毎日、はつらつと元気に活動できていますか? 「働き方改革」で残業が減った一方で、知的労働において重視されている「創造性」につながるような「本当の休み」を上手に取れている人は、実はそう多くないと、法政大学キャリアデザイン学部の梅崎修教授は指摘します。それはどういうことなのでしょうか。その理由と対処法を、「孤独」という観点から見ていきます。
「休み方改革」の時代へ
前回
、積極的に「一人の時間」を選択する価値について説明した。
あえて関係を切断するから孤独が生み出され、その孤独は自己内対話の時間となる。その対話が、結果的に仕事の創造性を高めてくれる。
言い方をもう少し労働者の実感に近づけると、「いかに働くかを考えるために、いかに休むかを考えねばならない」のである。
ところが、これまで日本人は、効率的な働き方ばかりを考えてきた。休み方は、働き方を決めた後の「残りの時間」の過ごし方であった。まさに余った暇(余暇)と判断されてきたのだ。
しかし、クリエイティビティ(創造性)が強く求められる知識労働者の割合が増えてくると、仕事の生産性の意味も変容する。肉体労働であれば、働く時間と場所を限定して、その中で作業の効率性を上げていくことが目指される。もちろん、その効率性の追求にも創造性は求められるのだが、その対象はルーティン業務であり、決まった定常作業を前提に改善のための創造性が求められている。すなわち、そのルーティン業務そのものを変えてしまうような創造性ではないのである。
一方、知識労働者の場合、ルーティン業務の割合が縮小する。すなわち、前例がないアイデアを創出できるかどうかが決定的なのだ。企業が時間管理・場所管理をしても、従業員が新しいアイデアを生み出さなければ、それは無駄な努力である。だから、そのような種類の創造性が求められた結果として「休み方」に高い関心が集まってきた。
そうならば、我々は、このような関心に応えるために「休暇学」を立ち上げなければならない。
「日本人は休み下手」は本当か?
ここで日本人の働き方=休み方の実態を数字から確認しておく(労働政策研究・研修機構(JILPT)『データブック国際労働比較2024』)。
まず、日本は、1990年代前半まで、就業者1人当たり平均年間総実労働時間が主要諸外国(以下の6カ国:アメリカ・イタリア・フランス・イギリス・ドイツ・スウェーデン)と比べて長かった。だが、中長期的に見れば、1988年の改正労働基準法の施行を契機に労働時間は着実に減少を続けている。1988年時点は2092時間であったが、2022年には1607時間になっている※1。
「あれ、意外と働いていない」と思った人は多いかもしれない。その実感のほうが正しい。実は、この数値にはパートタイム労働者も含まれるので、パートタイム労働者の割合が増えれば、労働時間は短くなるのだ。
社会学者の柴田悠氏は、「フルタイム」で男女差を考慮して分析すべきであると説明している※2。氏の分析によれば、他の先進国のデータは、女性も男性も1日7〜8時間程度なのに対して、日本の男性は1日2時間ほど長く働いていることを確認している※3。さらに氏は、この男性フルタイム労働者の長時間労働は、2019年を境にようやく短縮傾向が確認できるがまだ高く、諸外国並みに減らすことができるのではないかと主張する。
要するに、日本人は休み下手、もしくは休めない環境に追い込まれているのだ。では、長時間労働のフルタイム知識労働者の生産性は高いのであろうか。その答えははっきりしている。
NOだ。
なぜ我々は、自由が認められた時代に休めないのであろうか。その秘密を知るためには、休暇の歴史を知る必要がある。
※2 「変えないと、家庭も企業も国も危うい?!研究者がデータ&ファクトから語る、『働き方』と『休み方』の現在地(京都大学・柴田悠教授)」(「WORK MILL」2025年2月27日、https://workmill.jp/jp/webzine/how-to-take-a-break-20250227/)。
※3 他の先進国のデータは2023年、日本は2021年という違いはある。
日本における「埋め込まれた休暇」の時代
近代以前、我々の休暇は自然のリズムと共にあった。農作業は、1日、1週間、1カ月、1年間というスパンで仕事と休暇のリズムがあった。日が落ちれば休むし、秋の収穫が終われば湯治のような長期休暇になった。
民俗学には、ハレとケ、ケガレという3つの関連概念がある。ケとは、仕事、家事、食事などの普段の生活、つまり「日常」を意味する。それに対してハレとは、お祭りや年中行事・儀式などの特別な「非日常」を意味する。このような非日常体験が人々の活力を回復させるのだ。
このハレとケは、日本民俗学の創始者である柳田国男が提示した概念であったが、その後、民俗学の発展とともに、日常生活を営むためのケの活力が枯渇してくるケガレという概念が追加された。
この3つの概念について議論はいまだ続けられているが、個々人の意志ではなく、個人の行為が社会に埋め込まれたサイクルであるという点を押さえておきたい。つまり、前近代は「埋め込まれた休暇」の時代であったのだ。
疲労回復のための「管理された」休暇から自律的休暇へ
ところが、近代化によって産業社会が拡大すると、多くの人が工場で働くようになる。休暇は肉体労働とセットで管理されるようになる。つまり、肉体労働の疲労を回復するものとして休みが定義され、労働力の適切な再生産が計測されるという「管理される休暇」の時代になった。
もちろん、資本主義の勃興期には、休みのルールが未整備であったので、労働者に過度な負担を強いる労務管理が行われていた。しかし企業の持続的成長のためにも、肉体疲労と回復のサイクルが組み込まれるようになった。
なお、法定労働時間などのルールからも分かるように、基本的には現在も社会のルールとしては「管理される休暇」という枠組みは変わらない。
ただし、その一方で、知識労働者を中心にこの定義に当てはまらない働き方=休み方が広がってきた。
むろんすべての仕事が当てはまるわけではないが、先述した通り、休暇には回復以上の価値、つまりクリエイティビティを向上させるという価値が生まれた。その時に、ワーケーションに代表されるように働くことと休むことの境界は曖昧になった。そして、休暇は組織によって管理されるものから個人が選ぶものに変容したのだ。
以上の休暇の歴史を以下の表にまとめた。職種間・業界間でばらつきはあるが、徐々に今まで主流を占めていた「管理される休暇」から「自律的休暇」への移行が段階的に進んでいる。
休暇へのスイッチを切り替える力
休み下手という評価に対して、「自律的休暇」なのだから休む・休まないも含めて個人が好きな休暇を自由に選べばいいじゃないかという意見は正論だ。しかし、そのような意見は理想的過ぎる。
「埋め込まれた休暇」の時代は、一つひとつを個人が意思決定しなくても自然のリズムに合わせていればよかった。しかし、現代人はつながり過ぎることで外部の刺激に反応し過ぎて休めなくなっている。
銭湯や温泉というお風呂の医学的効果を長年研究してきた医師の早坂信哉氏は、著書『最高の入浴法』(大和書房、2018年)の中で入浴効果を高めるためには「積極的ぼんやり」というマインドセットが重要であると主張している。
なぜ、ぼんやりできる休みすら、積極的に選ばねばならないのか。
早坂医師によれば、私たちの日常は常に接続し続けており、絶えず強い刺激を受けながら脳を使っているという。一見リラックスタイムと思える時間でも、スマホを見て、SNSやゲームをしたりしている。
要するに、休暇のためには「積極的切断」が重要なのだが、実際のところ、目の前の刺激に我々は反応してしまう。それが、現代人が休み下手になってしまう原因なのだ。
退勤後なのに、仕事のことが頭から離れない「心の残業状態」
心理学者の内村慶士氏は、著書『仕事からの切り替え困難に対する心理的支援 持続可能な働き方の実現のために』(東京大学出版会、2023年)において、仕事と休暇の境界が曖昧になった世界で、勤務時間が終わっているのに仕事のことを考えてしまうという心理問題を分析している。
これは、実際に労働しているサービス残業とは違う。勤務外なのに「心の残業時間」と呼べる時間になっているのだ。これでは仕事のストレスから回復が阻害されて、様々な心身の不調を引き起こす危険もある。
日本人は周りの空気を気にし過ぎるといわれるが、そのような相互協調重視の中で、「あえて切断できる」ことは個人の力なのだ。しかし、これは言うはやすし、行うは難しい。
本稿の最後に、「あえて切断」する方法をちょっと考えてみよう。
まず、上司の指示であっても自分の心身の状況を判断して残業を断ることが第一だ。しかし、断ったとしても「上司の気分を害していないか」とか、仕事についてあれこれと気に病むならば、切断には成功していない。心は職場に残らせず、うまく気持ちを切り替える必要がある。
先ほど早坂医師による入浴のぼんやり効果を紹介したが、これは仕事の気分を生活に持ち込まないための「切り替えの儀式」なのだ。
そのように考えると、我々の身近にいる休暇達人たちは、サウナ、ランニング、孤独飯、一人酒や一人カフェなどなど、仕事と自宅の間にちょっとした切断スイッチを持っている。これらの切断スイッチが「場」の選択になっているのは示唆的だ。人は「意志」で「心」を直接コントロールできない。心や気分は意志とは独立に勝手に動いてしまう。だからこそ、休暇達人たちは、自分に合った「切り替えの場をつくること」で、「心」をうまく切り替えている。
我々は、働き方が自由になった時代だからこそ自分仕様の休暇への切断スイッチの「場」を持つべきなのである。
◆今日のひと言◆
「あえての切断」でつながり過ぎから身を守ろう。

