「あなたの強みは何?」と聞かれたら、あなたは何と答えますか? もしこの質問に、言葉が詰まってしまうなら、あるいは、10年前と同じ答えをしようとしてしまうなら、今こそ、「強み」についての考え方を変えたほうがいいかもしれません。 『「本当の強み」の見つけ方 「人生が変わった」という声続出の「自己価値発見トレーニング」』 の著者・福井崇人氏と、ファンを大切にしファンをベースにして中長期的に売り上げや事業価値を高める「ファンベース」を提唱する佐藤尚之氏が、不安の時代に自分とポジティブに向き合い、自信を取り戻す方法を語り合います。後編は「場所や環境の変化が価値観や行動に与える影響」について。

(前編から読む)

「身を置く場所」が人をつくる

佐藤尚之氏(以下、佐藤):福井さんは生まれも育ちも関西で、大学進学から地元を離れたんですよね。僕は生まれも育ちも東京ですが、電通に就職して関西配属になったことで、関西に行きました。

佐藤尚之(さとう・なおゆき)<br>コミュニケーション・ディレクター。株式会社ツナグ代表。株式会社ファンベースカンパニー取締役会長。大阪芸術大学客員教授。1961年生まれ。85年電通入社。コミュニケーション・ディレクター/クリエイティブディレクターとして数々のコミュニケーション開発に従事し、2011年に独立。著書に『ファンベース』(ちくま新書)、『明日の広告』(アスキー新書)、『明日のプランニング』(講談社現代新書)、『ファンベースなひとたち』(日経BP)など。(写真=尾関祐治、以下同)
佐藤尚之(さとう・なおゆき)
コミュニケーション・ディレクター。株式会社ツナグ代表。株式会社ファンベースカンパニー取締役会長。大阪芸術大学客員教授。1961年生まれ。85年電通入社。コミュニケーション・ディレクター/クリエイティブディレクターとして数々のコミュニケーション開発に従事し、2011年に独立。著書に『ファンベース』(ちくま新書)、『明日の広告』(アスキー新書)、『明日のプランニング』(講談社現代新書)、『ファンベースなひとたち』(日経BP)など。(写真=尾関祐治、以下同)
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福井崇人氏(以下、福井):「電通関西(電通の関西支社)」ですね。結構長く関西に行かれていましたよね。

佐藤:15年間です。関西は、親戚も友人も誰もおらず、まったく未知の土地でした。3代江戸っ子の僕は、最初は「会社辞めようかな」と思うくらい行くのがイヤでした。当時はまだテレビに関西のお笑いの人も今ほど出ておらず、とにかく慣れませんでした。異文化すぎました。でも、関西配属になったのは、結果的にはものすごいよかったです。あれがなかったら偏狭な東京人のままだったと思う(笑)。

 なんというか、関西ってまずは「自分を落とす」じゃないですか。そこからコミュニケーションが始まる。つまり「ボケ」の文化ですよね。「自分はアホや」というところをまず見せて、そして相手にツッコんでもらってコミュニケーションが始まるわけ。そういうコミュニケーションがまったくできない東京人の僕は、関西配属でその強烈な洗礼を受けるわけですよ。東京人は自分を落とさないですよね。自分を笑えないんです。つまりボケられない。僕も最初まったくできなかった。そういう人はバカにされるというか、相手にされない。「尚之くん、このごろようやくちょこっとおもろくなってきたなぁ」とか言われるのに7、8年かかりました(笑)。

福井:かっこいいとか美しいとかよりも、「おもろい」のが一番評価が高い文化ですね。家でも学校でも会社でも、自分をさらけ出して笑いを取った人が人気者だし、モテる。

佐藤:それまで僕は自分でボケて自分を笑うなんて、したことがなかったから。そういうところが、向こうからしたら子どもに見えたのかもしれないけど、かなりいじられました。でも、「自分を笑う」って、相当大人のコミュニケーションですよね。成熟していると思います。それを身をもって学べたのはありがたかったなぁ。7、8年かかってやっとボケられるようになったら周りの人もツッコんでくれるようになって、それからはとにかく会話がおもろくなりました。関西時代の最後の頃(15年たった頃)は割と「おもろい人」になれた気がしています。

 その後、東京に戻ったときには今度はそのノリが抜けなくて、とにかくまずはボケるんだけど、今度は東京人、誰もツッコんでくれなくて、ボケた言葉が無情にもその辺を漂うんですよ(笑)。そしてまた「アレ?」ってなったりしていました(笑)。

福井:その冷ややかな目、分かります。怖くて、ボケられなくなりますよね。

佐藤:そう。で、東京に合わせてコミュニケーションを変えていったら、今度はたまの関西出張で当時のみんなに会うと、「またお前、おもろくなくなったな」と言われたりして(笑)。

 福井さんの新刊『「本当の強み」の見つけ方』にもあるけど、場所って、本当にその人をつくりますよね。同じ人でも場所によって態度が変わることも含めて、場所の力は大きい。

福井:自分が生まれ育った場所や普段過ごしている場所、そこにいる人たちを捉え直すだけでも、自分自身を深く知るヒントになりますから。場所が人をつくるのは、間違いないと思います。

佐藤:1995年に個人サイトを作って文章を毎日のように書いていたんだけど、なんというか「自分をさらけ出して書けた」んですね。だから人気サイトになっていった。これは関西に行ったおかげだなぁと思います。場所の力というか。東京にいたままだったらさらけ出せなかったなぁと怖くなります。関西に行って本当によかった。

福井:私は大学進学で金沢に行って、就職で東京に来ました。就職したばかりの頃、東京は洗練されていてかっこいいと思いましたね。

 ただ、人と人との距離が離れているような気がしました。電車の中で聞こえてくる何気ない会話が、それまで私が聞いてきた会話と違う。ホームシックもあったのかもしれませんが、気取っているように思えてしんどいこともありました。慣れるまでに3年はかかりましたね。

佐藤:大阪に慣れるのに7年かかった僕より、適応能力が高いですね(笑)。

会社を辞めて、初めて変わった「視点」

佐藤:26年勤めた電通を辞めたのは50歳になる年でした。よく覚えているのは、辞めた翌日に、今まで見ていた街の風景がガラリと変わったこと。それまでは、街を歩いていても、スーツを着た人とか、颯爽(さっそう)と仕事に向かう人みたいな姿ばかりが目に入っていたのに、辞めたら急にそういう人たちの姿が目に入らなくなったんですね。その代わりに、杖(つえ)をついているおじいちゃんとか、道端に寝ているおじさんとかの姿が目に入ってきたんです。今までそういう人たちがあまり目に入っていなかったんですね。うわー、今までの自分の見ていた世界って、なんて偏っていたんだ!って。

福井:その感覚、めちゃくちゃよく分かります。私も会社を辞めたとき、まったく同じ感覚になりました。

 自分では意識していませんでしたが、いつの間にか漠然とした視点で、ざっくりと世の中を見て、分かった気になっていたところがありました。それが、食堂を切り盛りする老夫婦や小さい子を連れたお母さんにも目が行くようになって、その一人ひとりに対して素直に尊敬の気持ちが芽生えたんです。価値観が変わった、ということなんでしょうか。

佐藤:ある種、傲慢だったんでしょうね。世の中を「所属」で見て、そこに生きる一人ひとりが目に留まっていなかったというのは。

福井:私は自分の広告制作における視点もちょっと変わったんです。

佐藤:というと?

福井:広告の持つ「きれいごとや建前、きれいなイメージを伝える力」という面に対して、疑いを持つようになったというか。そればかりを打ち出している広告を見ると、首をひねりたくなるようになりました。

 それと同時に、見る人が求めている広告も、きれいごとや建前ではないんだと強く感じたんです。世の中の流れとして、そういうものに対して「こんなの、嘘だろ」と見透かす時代にもなっています。

佐藤:僕もネットにはまり始めた1990年代後半、最初びっくりしましたね。一般の生活者がみんな「広告はこう言っているけど、信じられない。本当はこうだろう」みたいなことを言い合って、情報交換している。マスメディア側に立って伝える立場だった僕たちは、その辺の「生活者の本音」みたいなものが見えていなかった。ネット初期からそこに気がつけて、今では本当によかったなと思っています。で、マスマーケティング以外の手法を考えるようになった。

福井:その中で佐藤さんも仕事における視点の変化があったと?

佐藤:そうですね、「不特定多数の人に届く大きな言葉」を使わなくなりますよね。例えば、友人に何か物を薦めるとき、大げさな宣伝文句みたいな言葉なんて使わないじゃないですか。自分が本当にいいと思うものを、自分の言葉で、相手に合うように伝えて薦める。そういう「小さな言葉」が大切だし、本来はそうあるべきだと思いますね。なのに、仕事の上では、不特定多数であるマスに伝える「大きな言葉」をマスメディアに載せないといけない。それは自分の中でずっと矛盾を感じながらやってましたね。

福井:佐藤さんのパーパス(存在意義、価値)は、マスを向いているものではなかったんですね。確かに、自分の心の奥底にある価値観や人生の指針と、やっている仕事がずれて一貫性がなくなってしまうと、つらくなってしまいますよ。

佐藤:特定少数である「ファン」を大切にする「ファンベース」という考え方に自分で行き着いて提唱するようになったときにはすごくホッとしましたね。広告も、友人への「小さな言葉」のようであっていい、と一貫できたんです。広告って、マスに届ける分、どこか「売るための建前や裏表」があってイヤだったけど、ファンに正直に届けさえすればいい。相手はその商品のファンだから誤解もしないんですね。だからファンベースを始めてからは、「建前」も「裏表」もない仕事になりました。パーパスも一貫性を保てるから、生き方が楽になった。

(写真:Shutterstock)
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パーパスが突き動かした行動、自主プレゼンと社外活動

福井:自分のパーパスに従って一貫性を持って働くためには、自分と組織のパーパスは、できるだけ一致していたほうがいいですよね。でも、そうやって生きられる人は、果たしてどのくらいいるのでしょうか。

佐藤:なかなかいない気がしますね。会社のパーパスに自分のパーパスを無理やり合わせて生きている人が多いんじゃないかな。

 完全に一致するなんていう幸せなことはごく一部の人しかできていないだろうし、その一部の人でも、世の中が変わったり自分自身が変わったりして、徐々にズレが出てくるのは自然なことでしょうね。

福井:場所が変わったり環境が変わったりするだけでも、パーパスは変わるものですからね。生じたズレが大きくなって我慢するのがしんどくなったら、転職か起業なんでしょうか。今は流動性が高い時代だから、その選択肢が取りやすくていい時代とも言えますが。

佐藤:僕は、電通にいながらいろんな社外活動をしていました。個人サイトの運営のほか、ジバランというレストランガイドを作ったり、本を書いたり、内閣のバックにボランティアで入ったり、災害支援団体を主宰したりしていました。そうやって複数の路線を持っていたことでバランスを取っていたところがある気がします。そういうのもひとつのやり方だとは思います。確か、福井さんも同じようなことをしていましたよね?

福井:社外活動していましたね。若者を集めてNPOを立ち上げたり、ボランティアでソーシャル広告の仕事をしたり。お互い社外活動をしていたから一貫性を失わずに済んだのかもしれませんね。

「社外活動をしていたから一貫性を失わずに済んだのかも」と語る福井氏
「社外活動をしていたから一貫性を失わずに済んだのかも」と語る福井氏
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佐藤:会社と合わないところがあったら、役員や社長とかの上層部に自主プレゼンして、なんとか変えようと動いていましたね。

福井:私も自主プレゼンの結果、新しい部ができました。

佐藤:変えたいことややりたいことがあったら、上層部にプレゼンしてみるっていうのはいいですよね。提案やアイデアを通すにはすごく大きな壁があるように感じると思うけど、壁を感じているのは自分だけで、相手は壁をつくっていないこともある。

福井:意外とウエルカムな人も多いですよね。最近は上層部へのプレゼンを推進する会社も増えていますし、どの会社の上層部にも話を聞いてくれる人がいると思います。

 ただ、注意点は、直属の上司にだけ働きかけちゃダメということ。上長にもよりますが、評価する立場の人だから、「勝手なことをするな」と言われておしまいになる可能性が高い。 あくまでも上層部の人に話しに行けば、たとえ提案が通らなくても、面白い人材としてかわいがってくれることもあると思います。

佐藤:「こいつは面白いことを考えているぞ」みたいな「ラベル」を貼ってもらえると組織の中で生きやすくなりますよね。

僕はプライベートで食関連の活動をしていたこともあって、「あいつは夜はレストラン探索に行っちゃうから、夜に会議を設定してもどうやら出席しないみたいだぞ」というラベルを貼られるように努力したんです(笑)。実際は3カ月くらい夜の会議を断り続けていただけなんですけど。そうしたら、夜に打ち合わせが入らなくなってすごく楽に!(笑)

福井:やりたくないことばかりやっていると、パーパスを見失いがちになります。生きやすくなるラベルを貼ってもらうこと、大事ですね。

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文・構成=茅島奈緒深

ガシガシ書き込みながら自己分析できる自分探しメソッド

「自分が心の底からやりたくて、自分だからできる目標」である個人のパーパス(存在意義)を、あなたはもう自覚できていますか? 著者自身が仕事で大きな挫折を経験し、70日間引きこもってようやく見つけたメソッドを体系化。自分を深掘りすることで、強みはもちろん「自分の価値」にも気づくことができます。働きがい・生きがいを発見する人生の旅に、一緒に漕(こ)ぎ出そう。

福井崇人(著)/日経BP/1760円(税込み)