幼い頃からプロダクトを作り続け、現在、エムスリーのエンジニアを束ねる河合俊典は、小中学生の時はいじめられる側だったという。しかし、あるハックを境に人生が変わる。それは、自分の中で「高専でエンジニアリングの道に進もう」と決心をするきっかけにもなった。
一度エムスリーを退社した後、より良いエンジニア組織を目指す場所として再び同社に戻り、エンジニアを束ねる役割を選んだ。

エムスリーで業務執行役員 VPoEを務める。愛媛県出身。新居浜高専から千葉工業大学に編入して修士号を取得。高専時代からロボコン、鳥人間コンテストなどで活躍。オープンソースコミュニティでも多くの功績を残し「ばんくし」のハンドルネームで知られる。2016年SansanのR&D部門に入社。その後Yahoo!JAPANに転職。ヤフオク!機械学習モデリングチームのリーダーとして開発、マネジメントに従事。2019年2月にエムスリーに入社、機械学習エンジニアとして活動。2022年、CADDiに入社、エンジニアのマネジメント業務に携わる。現在は再びエムスリーに戻り、業務執行役員 VPoEを務めている。
学校に行けなかった私が夏休みの宿題をハックしたら
私の原体験みたいな話をすると、中学校の夏休みの宿題をハックして、ものすごく怒られたんですよね。それは、今でも強烈に覚えています。
小中学校の時代は、いじめられる側でした。そもそも、学校にもあまり行けていませんでした。行きたくなかったんですよね。両親が教師だったので「いじめられているから学校に行きたくない」とも言えず、行ったふりをして途中で帰ってきて、自分で「今日は休みます」って電話して、すべてを自分で完結させて。今でも面と向かって親には言えていませんが、でも、多分気付いていたと思うんですよね。通知表に出席日数とかも書かれていますから。
そんな中学生だった時、夏休みの宿題をハックしたんです。ウェブにある宿題をやるeラーニングみたいな仕組みがあって、それをハックしたコードを学校の掲示板に貼り付けたんです。そうしたらクラス中のみんなが使っていて、夏休みが明けたら犯人探しが始まりました。最終的にばれてしまって、校長室に呼び出されて激詰めされました。

でも、その時に言われたポイントは結構まともで、「一歩間違えれば大きな被害を出すようなスクリプトだし、本当にいいものを作る人はこんなことはしない」と。これは倫理を問われる問題だと。アニメの『攻殻機動隊』で言えば、「笑い男」側であるわけですよね。これには、私も反省しました。
その事件以来、学校では「こいつ結構使えるやつだな」と思われたのか、学校に行っても何か言われることはほとんどなくなりました。私はそれをきっかけに、「ものづくりって面白い」「これなら人生を変えられる」とも思うようになって、高専に進むわけです。その後、高専に入ったらギークなオタクしかいなくて。「技術があれば好き勝手やっていい」みたいな雰囲気だったので、いろいろやっていたら、自然と打ち解けていました。
高専から大学に編入したタイミングで東京に出てきて、大学院まで修了しました。
エンジニアとして心がけているのは「勝ち馬に乗る」「勝ち馬にする」ということですね。言葉は下世話に聞こえますが、大事なことなんですよ。会社選びも技術選びも、もちろん興味や面白さ、自分のやりたい気持ちも大切にしていますが、戦略や戦術がしっかりしていることも大切です。エムスリーもそうだと思います。
勝ち馬というか、「これから勝ちそう」と自分自身が思えることは大事です。これは若いエンジニアに伝えたいですね。勝てるからこそ、人の投資や技術的なチャレンジもできる。それができるタイミングって、会社が伸びている時なので、その時に一番チャレンジの可能性があるんですよね。
ユーザーが多くなるほど、技術的な課題はどんどん出てきます。巨大なインフラ、膨大なデータ、高速なネットワークなど、コンピュータサイエンスの知識が生かされるところがどんどん出てきます。それを体験してほしいなと思います。
一方で、「自身が乗る馬を勝たせることができるのは、自分自身だ」という心構えも大切です。チャレンジの機会をつかみ取っても、技術や知識が追いついていなければ、それを成就させることはできません。また、これから市場を取っていくようなイノベーションを生むのは、エンジニアの仕事でもあるのです。
それを選べるような技術力やコミュニケーション能力、戦略、戦術を身に付けてほしいですね。今日紹介する本を読んで、そのあたりを考えてほしいなと思っています。
Linux(リナックス)を作ったリーナス・トーバルズの自伝
この本は、フィンランドに住む学生だったリーナス・トーバルズが、Linux(リナックス)を作った時の話です。これがすごく面白くて、コンピューターオタク大興奮の1冊です。
Linuxって、今や世界中で使われていて、多くのシステムの土台にもなっています。「それはそれは、偉大なトップエンジニアが作ったすごいシステムなんだろう」とみんな思っているかもしれませんが、『
それがぼくには楽しかったから――全世界を巻き込んだリナックス革命の真実
』を読むと、「結構普通のオタクが作ったんだな」ということが分かります。
この変化は、長いプログラミングの日々の中で、夢うつつの時に起こったのだと思う。昼だったか夜だったかも覚えていない。ぼくはボロボロのバスローブ姿で、ターミナル・エミュレーションに別の機能を付け加えようとしていた。次の瞬間、ぼくは気づいたのだ――あんまりたくさんの機能が加わったせいで、ターミナル・エミュレータが新しいOSへと変化していることに。
『それがぼくには楽しかったから 全世界を巻き込んだリナックス革命の真実』(リーナス・トーバルズ、デイビッド・ダイヤモンド著、風見潤訳、中島洋監修、小学館集英社プロダクション)より引用
「砂場に行って山を作っていたら、どんどん山がでかくなって、気付いたらエレベーターに乗っていた」みたいな話です。でも、ものづくりってそういうものですよね。
OSS(オープンソースソフトウェア)も結構そういう側面があって、GAFAのような大企業のトップエンジニアたちが使っているソフトウェアでも、「コアコントリビューターは?」と聞くと、たった3人だったりします。

もともとは、教育用に作られた簡易なUNIX互換OSであるMINIX(ミニックス)の環境が壊れていて、「じゃあ、自分で修理するか」ぐらいの話だったそうです。でもMINIXの問題点を改修しているうちに、新しいOSができあがっていった。
Linuxだと話が大き過ぎるように感じるかもしれませんが、OSSのイベントに登壇するとか、インタビューを受けるとかって、ほんの一歩踏み出すことなんですよね。いろいろな場でエンジニアを見ていると、「もう一歩なのに」と思うことはたくさんあります。それを、「ちょっと楽しんでやってみれば?」というのが、この本が一番伝えたいことなのではないかと思います。
エンジニアには、CFP(講演企画書)を、1つ勇気を持って出してみることをお勧めしたいです。一度登壇すると「あの講演良かったです。もう1回うちでも登壇してくれませんか?」とか「次、イベントがあったら呼びますね」とか、新しいつながりができてきます。また、OSSだっておすすめです。自分が思う小さな「こうしたい」が、多くの人が助かるイノベーションになることもあるのです。
もちろん、リーナスはスーパーヒーローなんですけれど、スーパーヒーローも人間で、悩むし、トイレにも行く。最近のマーベルのヒーローもそうですよね。もしかしたら、リーナスはエンジニア界のマーベルヒーローという印象になる、そういう本と言えるかもしれません。
元陸上オリンピック選手が語る「型」の大切さ
「何かを熟達すること」のほぼすべてが詰まっているのが、この『 熟達論――人はいつまでも学び、成長できる 』(リンクは文庫)です。成長論みたいな本はたくさんありますし、科学的に捉える本や論文もありますが、エンジニアに一番お薦めなのはこの本だと思います。
技能と自分。どちらかだけでは偏ってしまう。技能だけを高めてもそれを扱う人間が未熟であればうまくいかない。人間性を高めても技能がなければそれを表現できない。身体と脳、心と頭、意識と無意識。概念上分けたところで一人の人間を切り分けられるわけでもない。
『熟達論 人はいつまでも学び、成長できる』(為末大著、新潮社)より引用
この本は、「型」がいかに重要かということをひたすら語っていて、簡単に言うと「守破離(しゅはり)」の本です。守破離にプラスして心の動きだったり、守破離の「離」の後にどうなっていくかについても書かれていますが、とりわけその中でも「型」を大事にしています。
これは、エンジニアにもすごく通じる部分があると思います。エンジニアは、ひたすら「型」のゲームです。プログラミングはコードの書き方を学ぶところから始まって、良いアーキテクチャの型などひたすら古典的なところを学んだほうが、最終的にできあがるアウトプットは良くなります。

例えば、100人しか使わないサービスだったら、スプレッドシートでもいいかもしれません。でも、10万人が使うサービスになると、その数に耐えられるサービスの設計方法は、過去に経験しているか、型の知識がないと分かりません。逆に、10万人が使うサービスの型を知っている人が100人のサービスを作ったら、素晴らしく良いものができます。
結局、型がないと、次の段階に至れないんです。
例えば、今はAI時代で開発スタイルが大きく変化しています。しかし、「AI時代の開発スタイルってこうだよね」と言えるのは、経験とか型があって、それを体系的に会得していないとできません。
一方で、エンジニアの仕事は今のサービスを拡大していくだけではありません。線形な成長を大きくステップアップさせるイノベーション、今まであったOSSや典型例をより新しい考え方で打破し、会社も世の中も変えていくのが偉大なエンジニアの仕事です。誰しもここに至る可能性があるので、守破離の「破」「離」につながる考え方を学んでほしいです。
私はこの本の著者である為末さんの講演会にも行きましたが、話もとても面白かったです。質問を受けると30秒ぐらい考え込んで、それから話し出すんです。もう哲学者のようでした。
ピークを一度過ぎた超巨大企業を、どうやってよみがえらせたか?
最後の1冊は、現在のマイクロソフトを再興させたサティア・ナデラが書いた『
Hit Refresh(ヒット・リフレッシュ)――マイクロソフト再興とテクノロジーの未来
』です。
マイクロソフトは世の中のスマホシフトに乗り遅れて、古くさい、多くの人に愛されていない会社になっていました。それを再興したのがサティア・ナデラです。私が憧れる人の1人であり、憧れる会社の1つです。
人間や組織や社会は、新たなエネルギー、新たなアイデア、つながり、再生を絶えず求めていく中で、どう変化していく可能性があるか。あるいは、どう変化していくべきか。どう「リフレッシュ」ボタンを押せばいいのか。
『Hit Refresh(ヒット・リフレッシュ)――マイクロソフト再興とテクノロジーの未来』(サティア・ナデラ、グレッグ・ショー、ジル・トレイシー・ニコルズ著、山田美明、江戸伸禎訳、日経BP)より引用
サティア・ナデラが生まれたのはインドで、条件としては決して恵まれたスタートではありません。そこから様々な障壁を乗り越えて、アメリカのトップ企業の1つであるマイクロソフトのCEOになるんです。偉大なCEO、マネージャーであり、偉大なエンジニアでもあります。
さっきの話で言うと、「勝ち馬」ではなくて、「勝ち切った後の馬」だったマイクロソフト。そんな停滞した状態を打破できるのも、やっぱりエンジニアリングなんです。テクノロジーや技術を適切な場所でうまく使えば、会社の状況さえ一変させられます。文字通り、リフレッシュボタンを押せるんです。

自分も含めて「自分たちが作ったものが使われないのは、体制や上司、CEOなど役職を持った人たちの責任だ」と考えてしまうことは多いと思います。環境や人のせいにせずに、自分の責任でいろいろ考えなければいけないということですよね。
体育会系な言い方に聞こえるかもしれませんが、「最後はあなたがやるしかないんだよ」というのは、若いかどうかにかかわらず、エンジニアに伝えたいと思っています。あなたがやれば、エンジニアリングの可能性はそれだけ広がります。技術1つで、本当にいろんなことが変えられますから。
エンジニアが会社をより良い方向に変えていくためには、2つポイントがあると思っています。
1つは、お金の話ができるようになること。会社組織を変えようとするなら、お金の話という苦しさと向き合わないといけません。もう1つは、誰かにプロダクトを使ってもらう経験をできるだけ多く積んで、「人に使ってもらえるプロダクトとは何か」を考えられること。
サティア・ナデラのように会社を変えていきたいのなら、その2つの能力を磨いていくしかないと思います。
取材・文/村上タクタ 写真/尾関祐治(人物)、スタジオキャスパー(書籍) 構成/西倫英(日経BOOKプラス編集部)


