「偉大な企業は正しく行動するがゆえに、やがて市場のリーダーシップを奪われてしまう」。クレイトン・クリステンセンは著書『 イノベーションのジレンマ 増補改訂版 』(玉田俊平太監修/伊豆原弓訳/翔泳社)でこう説きます。早稲田大学ビジネススクール教授の根来龍之さんが本書を読み解きます。『 ビジネスの名著を読む〔マネジメント編〕 』(日本経済新聞出版)から抜粋してお届け。

「正しい選択」が招く宿命的衰退

 優れた経営学理論は、意外性と納得感の両方をもつものです。意外性がないと「当たり前」になってしまいますし、意外性はあっても「それは特殊ケースにしか合致しない」と思わせるものは優れた理論とはいえません。

 ハーバード・ビジネススクールの看板教授の一人だったクリステンセンが書いた『イノベーションのジレンマ』は、まさに意外性と納得感の両方をもつ優れた経営学理論を展開した本です。

 クリステンセンは「偉大な企業は正しく行動するがゆえに、やがて市場のリーダシップを奪われてしまう」と主張します。既存のリーダー企業は、間違った意思決定をするから失敗するのでもなければ、新しい技術の出現に気づかなかったから市場を奪われるわけでもない。つまり「愚かだから失敗する」のではないと言うのです。

 写真フィルム業界の世界的巨人であったコダックの経営破綻を、クリステンセン理論に基づいて説明するならば、コダックは「フィルム技術を改善する」という正しい行動をしたがゆえに、デジタルカメラの波に乗り遅れたわけです。

 では、リーダー企業はなぜ正しく行動するがゆえに失敗するのか。三つの観察が前提になっています。

 まず、一般にイノベーションによる性能改良は、顧客の要求(ニーズ)の上昇よりもはるかに速いペースで進む。

 次に、従来の技術(持続的イノベーション)では実現できない収益力の向上や新機能をもたらす技術(破壊的イノベーション)が生まれる。

 最後に、破壊的イノベーションによる製品は、既存製品に比べてコストが安いが、最初は性能が劣っている。

 このため既存顧客のニーズを満たせず、最初は収益性も低いという観察です。

 これらの観察からクリステンセンは、既存企業が追求する持続的イノベーションと新規企業による破壊的イノベーションがもつ特性が、宿命的にリーダーの交代をもたらすと主張するのです。

破壊的イノベーションがもたらす効果

 リーダー企業の失敗の原因となる三つの観察は、どうしてこのような結論につながるのでしょうか。まず、言葉の定義を確認しておく必要があります。クリステンセンがいう「持続的イノベーション」と「破壊的イノベーション」は、技術の「漸進的変化」と「抜本的変化」のことではありません。

 持続的イノベーションとは、製品の性能を連続的に高めることを意味します。技術の抜本的変化によってこれが実現されることもあります。これに対して、「破壊的イノベーション」とは、少なくとも短期的には「製品の性能を引き下げる」効果を持ちます。

 しかし、これは、中心的ユーザーに対しての話です。破壊的イノベーションによる製品は、中心ユーザーではなく、一部の新しいユーザーに評価されることで市場に参入します。画期的に低価格であったり、大幅な小型化が実現されたり、使い勝手が大きく変わる製品をもたらす技術革新が、破壊的イノベーションなのです。

 この対比は、大型コンピューターとパソコンをイメージすると分かりやすいでしょう。パソコンが生まれた時には、企業の業務を処理する性能を持つものではまったくありませんでした。しかし、それは「低価格」「小型」「机の上で使う」という点で優れており、まずホビーユーザーに受け入れられました。

パソコンはまずホビーユーザーに受け入れられた(写真:shutterstock)
パソコンはまずホビーユーザーに受け入れられた(写真:shutterstock)
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 クリステンセンは、破壊的イノベーションの進行は、決して特別な現象ではなく、多くの業界で起きていると言います。『イノベーションのジレンマ』では、ハードディスク業界、掘削機業界、鉄鋼業界について詳細な分析がなされていますが、それ以外にも、コンピューター、写真、電話、戦闘機、医療機器、印刷、証券取引、病院、小売業などでも、破壊的イノベーションによってリーダー企業の交代が起こっているとしています。

リーダー企業の交代をもたらす理由

 破壊的イノベーションは、なぜ「リーダー企業の交代」をもたらすのでしょうか。

 それは、『イノベーションのジレンマ』に掲載されている図1を見ながら考えればわかります。

(注)一部、説明のために修正 (出所)『イノベーションのジレンマ 増補改訂版』(翔泳社)
(注)一部、説明のために修正 (出所)『イノベーションのジレンマ 増補改訂版』(翔泳社)
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1 既存大企業は、既存の中心ユーザーの要求に応え、収益性の高い持続的イノベーションを追求する。図中の(1)の線を既存企業はたどるということです。

2 一方、破壊的イノベーションによる製品は、少しずつ改良され、やがて既存市場の中心的要求も満たすようになっていきます。市場のローエンド要求だけに対応できた図中の(2)の矢印が、時間を経るにつれ、やがては市場のハイエンド要求にも応えられるようになるということです。

3 持続的イノベーションによる製品性能が市場の中心レベルのニーズ以上の性能(過剰性能)になってしまい、一方では破壊的イノベーションの製品で消費者が満足できるようになると、一気にリーダー企業の交代が起こります(図中の(3)の時点)。

コダックはなぜ没落したのか

 以下では、クリステンセン自身が述べている事例ではありませんが、コダックの没落について、『イノベーションのジレンマ』理論にそって考えてみましょう。

 コダックは、1880年に創業され、世界で初めてロールフィルム及びカラーフィルムを発売した会社です。1980年代までは、同社は世界の写真業界の自他共に認めるリーダーであり、コダックという名前は、世界で最も価値あるブランドの一つと言われていました。

 しかし、2012年1月、米連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用をニューヨークの連邦地裁に申請するに至りました。

 言うまでもなく、コダックの凋落(ちょうらく)は、デジタルカメラの出現とフィルム市場の縮小によるものです。しかし、このことは、デジタルカメラを発明したのはコダックである(1975年)ことを考えると極めて皮肉なことです。

 コダックは、創業以来、一貫してフィルムの技術改善をリードしてきた会社です。白黒からカラーへと技術を飛躍させたのは同社であり、フィルムの小型化を主導してきたのも同社です。コダックは、持続的イノベーションを絶え間なく追求してきた会社なのです。その中には、カラー化のような「抜本的な技術変化」もありました。

 しかし、コダックは自らが発明したデジタルカメラを事業として本格的に追求することはありませんでした。それは、最初のうちは、デジタルカメラは解像度が低く、プリントできず、さらに同社の収益源である「フィルム」を使わない技術だったからです。そして、当初のデジタルカメラが、今日のようにフィルムカメラより便利で同等以上の品質をもつものになるとは予想できなかったのです(将来の可能性はともあれ、少なくともその代替スピードは分かりませんでした)。

 「利益率を下げず売り上げを維持・拡大する」正しい意思決定の結果として、コダックはフィルム技術の改善とその市場の維持にこだわったのです。そして、その結果、写真業界のリーダーの地位をデジタルカメラ業界の企業に譲り渡すことになりました。

 最後に、この理論を、なぜイノベーションの〈ジレンマ〉と呼ぶのかを確認しておきます。ジレンマとは、「自分のしたい二つの選択肢のうち、一方を追求すると、もう一方が必然的に不都合な結果になる」ことを意味します。上述の議論では、市場の中心ユーザーの要求に応えようとして持続的イノベーションを追求することが必然的に「破壊的イノベーション」への対応を遅らせてしまうことを指して、「イノベーションのジレンマ」と呼んでいます。

『イノベーションのジレンマ』の名言
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