田中孝幸さんの新刊『 世界を解き明かす 地政学 』(日本経済新聞出版)について、作家・エッセイストの岸田奈美さんは「この本は、どんなに窮屈そうに見える環境や状況でも考えてみることで開ける道はあるという、昨日までの自分には想像もできなかった希望を何度も示してくれる」と言います。普段から著者と親交のある岸田奈美さんが、この本の魅力を紹介します。

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 出張帰りの飛行機で、ドッと疲れていたにもかかわらず、一気に読み終えてしまいました。日々流れてくるニュースに「うわ~わっかんねえな~」と頭をかいていたわたしを、まるで見てたんかと思うほどのラインナップ。暗雲たちこめる世界の今、日本の未来への疑問が、バンバン晴れていく感覚に、ページをめくる手が止まりませんでした。

 わたしは、日本の歴史と文化は知っているのに、日本がどんな土地なのかを、まったく知らなかったんです。外から見る日本と、内にいて感じる日本が、こんなにも違うとは! わたしという人間はわたしが作ってきたものだと信じていたけど、本当のところは、日本という地理によって育まれていた部分も多いのかもしれません。

 たとえばこの本で、日本は天災が多くて、侵略が少ない国であることに、初めて気づきました。海に囲まれ、台風の通り道でプレートが押し合っている、そんな国は世界的にもめっちゃめずらしいそうです。

 だから、過去のことは水に流して、災害の時には手をとりあう、そんな行動様式がわたしたちに根づいたと。大陸で少しでも油断すると隣の国が迫ってくるような国の人からは、かなり不思議に見えるのかもしれません。

 国はその生き残りを賭けて、あらゆる手を尽くすことが、本書に書かれた各国の例からわかりました。世界は協力するよりも、分断するほうが、ずっと簡単なんだとも思いました。

 心から味方を信頼するより、なんか気にいらないなと敵認定してかかわらないようにすることが、人間関係でも楽なのと同じですね。悲しいことですが。

 日本にいると、情報を自由に発信することができます。だからSNSに流れるちょっとした言葉や写真で、簡単に分断が生まれてしまうんですね。今日もSNSでは、誰かを悪者にし、誰かを傷つける言葉に、激しい感情が渦を巻いています。

 でも、そんな時こそ、地政学だよと、田中さんはおっしゃるんですね。

 カッとなって、感情的に相手とぶつかっても、大変なだけです。相手がなぜそんなことを言うのか、なんの得があるのかという背景をわかれば、不毛な衝突を避けて、新しい関係をつなぎ直せるのだと。その新しい関係のことを、平和や均衡といいます。

 数百の民族からなるデッカい国は、トップが常に内部分裂や革命に怯えている。だから、わかりやすく武力を示したり、他国にあえて無礼な態度をとったりすることで、国民の機嫌を取りがちになる……というのを読んで、わたしは「それは学校や会社で起こっとることと同じやないか!」とハッとしました。

 ガキ大将が暴れまくる姿に、今は、人間くさい怯えが見えるようになりました。力には力で対抗するだけではなく、怯えている人間に暴力を止めさせるための新しい方法を、今なら考えることができます。

 わたしは家族に障害があるので、ケアの心がどれだけ人を救うかを、身にしみてわかっています。でも人を本当に救うケアをするにはまず、相手に寄り添わなければいけません。相手がどれだけ理不尽で恐ろしくともです。

 地政学はある意味、国という生き物へのケアなのだと思います。だからわたしは、この本に強く惹かれるのです。

「空気」で政治を語る前に必要なこと

 すごい偶然ですが、わたしがこの本を読んだ時、ちょうど衆院選の開票日でした。だからでしょうか。民主主義ってなんなんだろうな、と思ったんです。

 国境線の引かれ方や、地図の描かれ方ひとつとっても、国同士の力関係で決められていることを、この本に教えてもらいました。地図にある国々が、実際のサイズとはかなり違うなんて、それで得する国があるなんて、知らない人の方が多いんじゃないでしょうか。

 そういうことも知らず、目先に転がる極端なだけの言葉や、あおられた不安に追い込まれて、感情的に一票を投じているとすれば、それは「本当にあなたがあなたの未来をよくするために選んだことなのか?」と。

 空気というコロコロ変わるもので政治を語る前に、まずはこの本で、国が持つ地理的な宿命や、生き物のシンプルな行動原理を知ることが、大切なんじゃないかなとも思いました。レシピを集める前に、まずは食材を知るといいますか。

 冷戦以降、世界でなんとなく共有していた価値観やルールが、年ごとに変わり続けているのを感じます。かつてない時代をわたしたちは生きているという不安が、感染症やAIに翻弄される日々を過ごしていると突きつけられてきます。

 本書も後半にいくほど、核や諜報の話になってきて、わたしの想像以上に国同士の戦いがハイテクで目に見えづらくなっていると知りました。正直、こんな強力な武器や戦法に、日本じゃ太刀打ちできんのでは……と悲惨な気持ちになりました。

 それでも、本書の各章はかならず「これについて考えることが大切だよ」と、スッと問いを差し出して、締めてくれます。

 それは万能な答えでも、甘い理想でも、恐怖を煽る批判でもありません。この本は最初から最後までずっと冷静です。

 ただ、考えてみることで開ける道はあるという、昨日までの自分には想像もできなかった希望を何度も示してくれるのです。

 この本は、田中さんらしいと思いました。いつも冷静で、誠実で、穏やかなところが。だけど田中さんは、その足で、ウクライナ兵士にも、国を追われた難民にも、苦しむ子どもたちにも、危険を冒して会いに行き、かけがえのない時間をともにした人です。

 きっとその心には、筆舌に尽くしがたい悔しさも渦巻いているはずです。

 平和というあまりにも難しい、でも誰もが喉から手が出るほど欲している幸福を、問いへの答えと、さらなる問いという形で、田中さんはわたしたちに手渡してくれた。

 冷静な書きぶりの裏に祈りのある、すごく良い本です。わたしのような歴史オンチの勉強ぎらいにも、最高にわかりやすく書いてくださったことのお礼にかえて。