情報が爆発的に増え、検索やAI(人工知能)で即座に答えが得られる現代。しかし私たちは「どう生きるか」という問いに、かつてない迷いを感じています。単なる知識の蓄積ではなく、世界の荒波を生き抜くために、今、できることは何か。探究型学習の実践者による知的な冒険の書、日経ビジネス人文庫『 正解のない教室 これから、何を学ぶべきか? 』(矢萩邦彦著)の読みどころを、編集工学研究所代表の安藤昭子さんが解説します。
正解が見えにくい時代の「学びの地図」
世界で生み出される情報量は、およそ2~3年で倍増するペースで増え続けている。コンピュータが誕生して以来のデジタル文明において、人類がこれまでに生み出してきた情報量の約9割は、ここ数年のあいだに生成されているとも言われる。私たちは今、かつてない密度の情報のなかに生きている。
「知識」へアクセスするのに、もはや制約はない。にもかかわらず、私たちはどこか所在なく、進むべき道に確信を持てないままでいる。多くのことを知れる環境なのに、目前の判断が難しい。答えは増えているのに、「どう生きるか」という問いは、むしろ重くなっているように感じられる。
こうした時代に必要なのは、答えの質や精度よりも、簡単には答えの出ない問いとともに生きるための「学びの力」にある。『正解のない教室』は、そんな時代のために編まれた、学びの地図のような書物だ。
著者の矢萩邦彦氏は、教育の現場に長く携わりながら、探究型学習やリベラルアーツ教育の実践を重ねてきた人物である。そして、自らを「アルス・コンビネーター」と名乗る。
「アルス・コンビナトリア(Ars Combinatoria)」とは、「アルス(技・術)」と「コンビネーション(組み合わせ)」を重ね合わせた言葉で、13世紀の哲学者ライムンドゥス・ルルスが提唱した「結合術」を指す。異なる知や経験、視点を結びつけながら、新たな意味を立ち上げていくための知の作法である。
役立つかではなく「どう生きるか」
無数の情報があふれる時代において、学びの重心は、知識の量や網羅性ではなく、異なるものどうしのあいだにどのような関係を結び、意味として立ち上げていくかという態度へと移っている。言い換えれば、それはものごとを「編集」する力だ。教育の現場での実践を通じて知の編集を体現し続けてきた矢萩氏は、現代における「アルス・コンビネーター」の姿を体現している。この呼称は、彼が師とする松岡正剛氏のもとで与えられたものである。
矢萩氏は、松岡氏が校長を務めるイシス編集学校で、「編集工学」の基礎から奥義までを学んだ。その最奥に位置づけられる「松岡正剛直伝・世界読書奥義伝『離』」では、世界をどう読むか、知をどう編み直すかという思考体力が徹底的に鍛えられる。
本書で展開されるのは、単なる知識の提示ではない。思考の入り口であり、自らの問いを立てるための足場であり、自分なりのやり方で世界に分け入るための地図である。
その奥には、気が遠くなるほどに広い宇宙が広がっていて、探究の心構えさえあれば、どこまででも進んでいける。本書自体が、読むたびに異なる入り口を示す「正解のない教室」として開かれている。分野横断、比喩、物語、思考実験を通して、読者自身の思考の癖や前提を、時に鋭く、時に面白く、揺さぶる構成になっている。
著者の言うリベラルアーツとは、知識の集積ではなく、世界と関係を結び直すための思考資源である。役に立つかどうかではなく、「どう生きるか」「どう問い続けるか」に関わる学びの源泉だ。
世界と関係を結び直し続ける
そもそも、私たちはなぜ学ぶのだろうか。世の中を理解するためだろうか。仕事に役立てるためだろうか。あるいは、正解に早くたどり着くためだろうか。
矢萩氏の思想と方法に一貫しているのは、そうした目的設定そのものを、いったん脇に置く姿勢である。学びとは、あらかじめ用意された正解へと到達するための手段ではない。それはむしろ、世界との関係をどのように結び直していくかという、継続的な営みとして捉えられている。
本書で繰り返し示されるのは、異なる分野を結びつけること、異なる価値観を往復すること、そして異なる問いを抱え続けることの重要性だ。哲学、科学、言語、認知といった多様なテーマは、教養として整理されるのではなく、「考えるとはどういうことか」を体感的に問い返すための素材として配置されている。
ここで問われているのは、知っているかどうかではない。理解したかどうかでもない。分からなさを抱えたまま、世界とどう関係を結び直し続けられるかという態度そのものだ。学びとは、人生のどこかで完了するものではない。生きている限り、世界の見え方は変わり続ける。その変化に応答し続けるための感受性と柔軟性を養うこと。矢萩氏が示しているのは、そうした「生き方としての学び」である。
編集という筋力を鍛える
異なる分野を結びつける力は、「編集力」と呼ぶことができる。それは情報を整理する技術ではなく、ばらばらに見える出来事を自分なりに受け取り直し、意味として引き受けていくための力だ。
AIが多くの知的作業を担う時代においても、知を自らの経験と結びつけ、関係づけ、血肉として生き直すことは、ほかならぬ自分自身、人間の仕事である。『正解のない教室』は、そのための筋力の鍛え方を、随所にちりばめられた「ちょっとおもしろい話」とともに案内してくれる。
本書中の断片的な情報のなかには、すでに知っているものもあるかもしれない。けれど、そのつなぎ方次第で、世界はまったく別の姿を見せる。本書が示してくれる知のマップは、読者の手元で結び直された時点で、自分だけの宝の地図にもなる。我々はなぜ学ぶのか、生きるとはどういうことか。そうした問いを携えながら何度でも分け入ってもらいたい、アルス・コンビネーターのための冒険ガイドブックである。
