「国家という巨大な力に翻弄されながらも、その中で未来を創ろうとする人々の熱量と、冷徹な国際政治のリアリズム。その両方を知るために、今こそ手に取るべき一冊」。こう語るのは、現役の半導体プロセスエンジニアであるずーぼさんです。半導体業界で10年以上勤務しているずーぼさんが、『 半導体覇権 国家に翻弄される巨大企業 』(日本経済新聞社編/日本経済新聞出版)の魅力を紹介します。

「産業の米」はもはや生ぬるい過去

 かつて、半導体は「産業の米」と呼ばれていました。

 産業の米とは、文字通りあらゆる産業や生活の基盤となる不可欠な存在であり、かつての鉄鋼に代わって、半導体がその代名詞となったのです。

 私たちの身の回りにあるパソコンやスマートフォンはもちろん、家電や自動車まで、現代の豊かで便利な生活を支えてくれているさまざまな電子機器は、半導体なしには動きません。

 それでいて、安価かつ安定的に供給されることが当然とされ、消費者がその存在を直接意識することのない、いわば「水」や「電気」といったインフラのような存在となっています。

 しかし、本書『半導体覇権 国家に翻弄される巨大企業』を読み終えると、この「産業の米」という比喩はもはや生ぬるい過去のものになったことを痛感させられます。

 本書は、日本経済新聞社の世界各地の特派員たちが、シリコンバレー、台北、ソウル、北京、そして東京で繰り広げられる「半導体をめぐる巨大企業や国家の攻防」の最前線を取材、解説してまとめられた一冊です。

 ここで描かれているのは、純粋な経済合理性に基づいたビジネスの物語ではありません。国家の威信と安全保障が、エヌビディアや台湾積体電路製造(TSMC)、インテルといった巨大企業の運命を翻弄していく、スリリングですが冷徹な現実です。

 「事実は小説より奇なり」という言葉通り、私たちは今、これほどまでに複雑で予測不能な激動の時代を生きているのだと、改めて突きつけられます。

 ここでは、私が本書から受け取った、変化の激しい時代を読み解くための3つのポイントを共有したいと思います。

敵対国を排除する「地政学」の時代

1.「効率優先」が「重大なリスク」に変わってしまった

 これまでのビジネスにおける「正解」は、最もコストの低い場所で作り、最も需要のある場所で売るという、国境を意識しない最適化(グローバル化)にありました。

 多くの産業において今なお有効なこの鉄則が、こと半導体産業においては、現代では「重大なリスク」へと様変わりしています。

 「米国内での設計」と「台湾を中心とする東アジアにおける製造」の徹底した分業により、効率を極限まで追求してきた結果、先端半導体の供給網を自国でコントロールできなくなった米国。

 今、巨額の補助金を投じてインテルの再興を促しつつ、TSMCなどの自国への工場誘致を強行するその姿は、市場の合理性よりも「自国内で先端半導体へアクセスできること」を優先する、国家による市場の強制的な書き換えに他なりません。

 アダム・スミスが提唱した「見えざる手」が市場を調整していた時代は終わり、国家によるまさに「鉄の拳」が資源を配分し、敵対国を排除する「地政学」の時代となっているのです。

 TSMCの創業者モリス・チャン氏が、アリゾナ工場の建設式典で放った「グローバル化はほぼ死んだ」という言葉は、かつての自由貿易の理想がついえかかっていることを象徴しています。

「外交のカード」化する巨大企業

2.世界のトップ企業が国家に翻弄される姿

 時価総額で世界トップクラスに躍り出たエヌビディア。四半期ごとに注目される同社の決算情報や、革ジャンで有名なジェンスン・ファンCEO(最高経営責任者)については多くのメディアで取り上げられています。

 しかし、その圧倒的な強さゆえに、同社は今や米中対立における「武器」として扱われており、輸出規制という国家の足かせに苦しむ側面を持っています。

 ジェンスン・ファンCEOは、自社のチップが規制対象となるたびに、政治の荒波に翻弄されてきました。トランプ政権との「ディール」を模索しつつ、米国政府への働きかけを強める一方で、中国という巨大市場を失うリスクと隣り合わせの綱渡りを強いられています。

 ここで私たちは、あるパラドックスに直面します。技術を極め、世界を独占するほどに強くなった企業は、もはやその企業の意思だけでは動けなくなってしまいます。

 その技術が「戦略物資」と定義された瞬間、企業は国家の意志を体現する「外交のカード」にされてしまうのです。

日本の産業競争力を高めるカギとは

3.日本の半導体産業の現在地

 最後に、日本の半導体産業についても現実を直視しなければなりません。

 次世代半導体の国産化を目指す「ラピダス(Rapidus)」の挑戦は、かつて隆盛を誇った国内企業が没落したことを知る者からすれば、無謀な賭けに見えるかもしれません。

 しかし同社をけん引する小池淳義社長は強い執念を持ち士気も高く、工場建設からEUV(極端紫外線)露光装置の搬入、試作品完成に至るまでの猛烈なスピードは、「まるでフィクションのよう」と驚嘆を持って迎えられています。

 ここで重要なのは、「かつての栄光を再び」というノスタルジーを捨て去った、徹底的なリアリズムです。

 「技術の日本」というこれまでのプライドを捨て、「日の丸」を掲げた自前主義ではなく、米国や欧州との国際連携を前提としたオープンなエコシステムを構築しようとしています。

 一方で、日本には製造装置や素材といった、地味ながらも代替が効かない供給上の急所である「チョークポイント」が今なお存在します。この強みを武器に、複雑に絡み合った世界の依存関係の中でいかにしてキャスティングボードを握るか。それこそが、日本の産業競争力を高めるカギとなります。

 ただし、楽観視は禁物です。

 政府による巨額支援は、政権交代や政策変更といった外部要因に常に左右されるもろさをはらんでいます。さらに、激化する世界的な「人材争奪戦」という高い壁も立ちはだかります。

 ここ数年、「半導体」という言葉がニュースや新聞で目に触れる機会が非常に増えました。

 本書は、そういった日々の断片的なニュースをつなぎ合わせ、巨大な「覇権争い」の全貌を立体的に見せてくれます。

 国家という巨大な力に翻弄されながらも、その中で未来を創ろうとする人々の熱量と、冷徹な国際政治のリアリズム。その両方を知るために、今こそ手に取るべき一冊と言えます。