仕事、勉強、住まい、人間関係、結婚――最新科学で「あきらめる力」の大切さを解き明かした『 QUITTING やめる力 最良の人生戦略 』(ジュリア・ケラー著/児島修訳/日本経済新聞出版)。この本の魅力を、人材マネジメントに詳しい治部れんげ・東京工業大学准教授が語ります。
「やめていい」というメッセージ
著者はアメリカのピュリツァー賞ジャーナリスト・小説家です。大量の事例と研究データを通して本書が伝えるのは、「やめていい」もしくは「無理せずやめたほうがいい」というシンプルなメッセージです。
プロローグで描かれる著者自身の体験談は、意外なものでした。大学院生活で行き詰まり、泣きながら迷っている。人生のどん底を描くのは、成功者の自伝やエッセーにはつきものですから、読者と目線を合わせて寄り添ってくれます。
ただし、その後の展開は他の成功者自伝とはずいぶん違っています。
著者は大学院をやめ、実家に帰ることで回復します。その後、別の大学院で英文学博士号を取得するのですが、本ではやめたときの心情や決断が印象に残ります。さらには、ジャーナリストとして得た職をやめた体験も後に続きます。
加えて、映画などメディアが「やめる」シーンをいかに描いてきたか、「やめる」ことがいかに解放につながるか、人間だけでなく鳥やミツバチなど動物がある行動をあきらめて「やめる」に至るメカニズムを明らかにしてくれます。
すぐに試してみたくなる方法を紹介
本書のタイトルに引かれる人は、きっと今、何かに迷っているのでしょう。今の仕事を続けるべきか、やめるべきか。着手したがうまくいかないプロジェクトを続けるべきか、やめるべきか。先が見えない人間関係をいかにして清算したらいいのか――。
きっと多くの人は、迷いながらも心の底では「やめたほうがいい」と分かっている。
やめられないのは、これまでかけた時間や労力がもったいなく思える、つまりサンクコスト効果かもしれません。
もしくは、ここでやめたら周囲の人にどう思われるか気になっているのかもしれません。はたまた、単に惰性で続けているだけということもあるでしょう。
何かをやめたいがやめられない人は、本書の第3部「あきらめる」実践ガイドから読むといいかもしれません。「半分やめてみる」「罪悪感」の原因を探るなど、すぐに試してみようと思える方法が紹介されています。
根性主義はアメリカにも浸透している
私が最も興味深く感じたのは「第4章 忍耐は、なぜ重視されるようになったのか」というところ。第1章から第3章までを読み、アメリカに深く浸透しているという根性主義に驚いたのです。アメリカ社会ではもう少し個人の意思決定が尊重され、やりたくないことを我慢して続けなくてもいいのだろうと考えていたからです。いわゆる「根性主義」は日本的なものだと思い込んでいました。
第4章では、19世紀半ばのアメリカで読まれた書籍『自助論』に触れています。この書籍の普及により、アメリカ社会には、人が成功するかどうかは、生育環境ではなく努力の度合いであるとする価値観が浸透したとか。また「やめること」が「選択肢の一つ」ではなく「モラルの問題」と位置付けられるようになったのだ、というのです。
実は私自身も似たような考えを持っていました。しかし、こうした考え方は古いものになりつつあります。
今、大学生に仕事と私生活について尋ねると、「当然、私生活が優先です」「生きるために働くのであって、逆ではありません」という答えが返ってきます。「お給料によります」という答えもありますが、私が若い頃のように「キャリアの投資だから我慢する」といった考え方は、共感を得られません。
何かを「やめた人」がいるなら、その人から見切りをつけられた人や組織があります。「簡単にやめるなんて…」と眉をひそめる人には、自分や自分が属する組織が捨てられる可能性について知ることができる本という観点からもお勧めしたいですね。
経験豊富なジャーナリストが、最新の神経科学や進化生物学の知見、著名アスリートなどへの豊富な取材事例も踏まえ、何かを「やめた」人につきまとうネガティブなイメージを根底から覆し、「やめること」の妥当性を分かりやすく説く人生指南の書。
ジュリア・ケラー著/児島修訳/日本経済新聞出版/1980円(税込み)

