“日本外交の父”と呼ばれる明治の外交官、陸奥宗光。青年期には立法府の要職にありながら、政府転覆計画に加担しました。陸奥の波乱に満ちた前半生を描いた辻原登氏の『 陥穽 陸奥宗光の青春 』(日本経済新聞出版)。その読みどころ、魅力を『陸奥宗光』(中公新書)の著者で明治学院大学法学部准教授の佐々木雄一さんが解説します。
2018年に『 陸奥宗光 』(中公新書)が刊行された後、NHK「歴史秘話ヒストリア」「英雄たちの選択」「先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)」といった歴史系番組で陸奥宗光を取り上げていただいた。放送の度に思いもよらないところを含め多々反響があり、依然大きなテレビの力を体感した。
それらに負けず劣らず反応があったのが、23年3月から日本経済新聞で連載されていたこの『
陥穽 陸奥宗光の青春
』だった。「陸奥宗光、いま連載されていますね」「毎日楽しみに読んでいるんですよ」等々、各所で声をかけられた。
私が書いているわけではないので、読んでくださってありがとうございます、とは応じづらい。とはいえそうして陸奥に目が向けられるのは、陸奥研究者としてうれしいことだった。
陸奥宗光という人は、幼少期の史料はごくわずかしかない。かつて和歌山の方に、探したら何か史料は出てこないのでしょうかと尋ねてみたことがある。そしてたぶん、いまだ出てきていない。
一方、父・伊達宗広(千広)が失脚し陸奥らが放浪生活に入ってからは、陸奥が歴史の表舞台で活躍した時期でなくとも逸話や史料が豊富に残っている。ただ、逸話が話として出来すぎていて本当だろうかと疑わしかったり、史料や研究が多方面に断片的に存在したりしていて全体を把握するのが難しかった面があった。
そこで、自身が新たな史料を見つけながら諸情報を集積・精査し陸奥の評伝にまとめたものとして、まず萩原延壽『陸奥宗光』、そして私の『陸奥宗光』がある。この2書は本書の参考文献に挙げられており、いわばタネ本に当たる。
タネ本を書いた身なので、本書の舞台裏は結構透けて見える。「ここはあの史料に基づいて書かれているな」とか「あの逸話をこう料理したのか」など、ややマニアックな楽しみ方をした。
そして、惹き込まれた。逸話や史料を比較的そのまま利用しているところと、脚色しているところと、イチからの創作部分と、それらの間に温度差がなく、実に自然にまとまっている。
例えば、陸奥が上海で活動する話。陸奥の上海行きは、私が傍証を組み合わせて事実と思われる旨を論じたものだった。ただ、行っただろうという以上のことは、史料上はなんとも言い難い部分が大きい。陸奥と上海について、想像の翼を広げるとこういう世界が待っているのかと感じ入った。
ノイバラへの着目
本書の陸奥は、英語を有力な武器として、あるいはよりどころとして、幕末の世を生きている。読み書きだけでなく、会話も上達していって相当な水準に達したように見える。
実際の陸奥は、十数年後にイギリスに渡り議会政治について学ぼうとしたとき、「陸奥はうまく英語を話せない」とイギリス人やイギリス在住の日本人に評された。
陸奥自身も、日本にいる妻への手紙で自身の英会話力を嘆き、必死の勉強ぶりを伝えている。昔はできたのに、とは書いていない。そして娘が英語を学び始めたと知って、音を正しくしてイギリスでイギリス人と話ができるようにさせたいと強調した。
だから陸奥は本当は、幕末の時点でおそらく英語を自在に操れはしなかったのだろう。しかしそうなのだが、こういう陸奥の人生があってもよいのではないかと思わせる説得力がある。
幕末、英語を学ぶなかで、後に獄中で翻訳することになるジェレミー・ベンサムの主著と出会っている。伊藤博文やアーネスト・サトウとの関わりも生じた。紀州出身の医師・高岡要とノイバラへの着目が、全体をつなぐうえでよく効いている。ノイバラは最後、陸奥が生涯を終えるときにも傍らにある。美しく、また巧みである。
最後に一つ。本書の序盤、陸奥は何度か泣く。そうか陸奥は泣くのか、と思った。小利口、才子、冷徹などと評されるにもかかわらず、である。
泣くだけではない。本書の陸奥はしばしば戸惑い、落ち込み、怒り、喜ぶ。
考えてみれば、最初期の陸奥の評伝は陸奥を「多情多恨」と評した(渡邊脩二郎『評傳 陸奥宗光』)。本書はそうした「情」の人としての陸奥を、鮮やかに描き出しているように思われる。
