――大学4年の春。授業でChatGPTを知った私は、宿題をサボるためにその活用法を編み出した。プログラミングにも使えることを知り、出来心で「#100日チャレンジ」に取り組み始めた。毎日1本、新しいアプリ(作品)を作り、X(旧ツイッター)に投稿するというものだ。暇つぶしで始めたそれは、過酷な挑戦であると同時に、日常的な興味と学び、そして飛躍をもたらした――。Z世代の著者によるAI駆動型プログラミング学習探究記『#100日チャレンジ 毎日連続100本アプリを作ったら人生が変わった』(大塚あみ著)の魅力を角川アスキー総研の遠藤諭氏が読み解きます。
下僕からの脱却
これから5年か10年のうちに、我々は、まるでSF映画の中にいるような「AIありき」の世界で生きるようになる可能性がある。そんな時代に、個人はどのように生きていけばよいのか、企業や組織はどのように活動するのが適切なのか、そのために準備しておくべきものは何か。
こうしたことに答えた、あまり説得力のある本はまだなかったのではないか?
本書は、大学4年生である著者が、ChatGPTを使ってレポート課題をAIにやらせようとしたことから始まった「予想もしなかった出来事」について書かれた本である。出版社の公式サイトには「学習探究記」とあるが、読んでみると「小説」のように興奮しながらページをめくっていくことになる。
世の中では、教育におけるChatGPTの使い方について「結果について疑いなさい」と教えていたり、ある大学教授はプログラミング演習で「生成されたコードを読めることが大切」と教えていたりする。それも、その場では正しいのだと思うが、それが「学び」なのだろうか?
それは、むしろ人間を生成AIの「下僕」になる道へとまっしぐらに向かわせるものではないか?ということが頭をよぎる。ChatGPTが、出力してくる結果をありがたく頂戴してそれで自分が得をしようという「与える・与えられる」の図式だからだ。
それに対して、本書の著者は、「100日チャレンジ」と称して1日1本のソフトを書く企画を続けるうち、ChatGPTに答えをもらい修正を繰り返すだけでは立ち行かないことに気づく。ChatGPTがサラリと出してきた答えは、地球上の膨大な知識を集約した文字どおり大規模言語モデルの「ほんの表面」に過ぎないからだ。
プログラミング学習にどう生かすか?を超えて
著者による100日チャレンジは、ChatGPTがプログラムのコードも出してくるのなら「プログラミング学習」にも役立つのではないかという予感から始めたものだそうだ。腰を据えたプログラミングのお勉強はご免だが、ChatGPTがポンポンとコードを出してくれる中で学ぶのなら、自分でもできそうだというわけだ。
チャレンジを開始したところ、彼女は、ChatGPTが期待どおりのコードを出さずに痛い目にあう。結果として、1日9~10時間もChatGPTに向き合うことになったそうだ。しかし、そうした中、ChatGPTにどう対処すればよいのかが少しずつ見えてくる。その過程が、彼女のかなり合理的であっけらかんとした性格も交えて、ChatGPT登場時の貴重なドキュメンタリーにもなっているし、何より物語として楽しめる。
「与える・与えられる」の発想では、我々は、自分が作りたいプログラムができて動いたときをゴールとする。しかし、彼女がそこでとった選択肢はまるで違ったのだ。
結果的に、彼女は、オブジェクト指向プログラミングにおけるクラスとメソッドの理想的な設計手法や、デザインパターンについての網羅的な知識を獲得する。そうなったのなら、そのまま業務的なソフトウェア開発ができるようになったかというと、論点はそこにはない。
本書から読み解けるのは、生成AIを使って手法や知識を獲得できたという「方法論」にとどまらない。自らの目的を達成するために、生成AIにどのように向き合い活用していくのかという「姿勢」、ちょっと大げさにいえば「生き方」そのものだ。
本書を読むと、担当の教授が、そんな著者の取り組みを評価して応援したことにも目を引かれるはずだ。巻末の著者プロフィールにある、いくらなんでもといった調子で並んでいる、電子情報通信学会のネットワークソフトウェア若手研究奨励賞、スペインでのEurocast2024での招待講演、国立情報学研究所(NII)主催シンポジウムでの2度にわたる発表、電子情報系では世界最高峰の学術団体によるIEEE CogInfoCom 2024での審査員特別賞は、それが同じように関係者に理解され評価された結果なのだといえる。
本書を読んで得られるもの――それは、これからAIがさらに進化したとしても必要となる「AIありき」時代の学び方・生き方への大いなるヒントである。
