5人の子どもたちを塾や家庭教師に頼らず、日本とアメリカで育ててきた本真エミさん。驚くのは、3人の子どもたちがハーバード、スタンフォード等の米国名門大学進学、全員が音楽分野で素晴らしい実績を持つことです。本真エミさんが選んだのは多くを与えすぎない“引き算の子育て”でした。今回は、子どもたちを魅惑してやまないゲームやデバイスとの賢い付き合い方をご紹介します。

「ここまではOK」の境界線をどう決める?

 スマホ、タブレット、動画、ゲーム……。子どもたちの周りはたくさんのデジタルツールであふれています。これに対し、「ルールを決めて与えましょう!」「ペアレントコントロールを活用しましょう!」というのは、至って正論です。けれど、現実はそんなに単純なものではないことは、おそらく、多くのお父さんお母さんたちの痛感するところではないでしょうか。

 子どもたちは、大人とは比べものにならないほどのスピードと執念で、デジタル機器の制限を突破する抜け道を、いともたやすく見つけ出します。もはやそれは彼らの“本職”と言っても過言ではありません。アプリの使用時間やアクセス制限の解除などは、彼らにとって靴ひもを結ぶくらいたやすいことです。

 親が「これで完璧!」と思っていても、子どもたちは常に三手先を読み、子ども同士の秘密結社みたいなネットワークで、あっという間に出し抜いてきます。では、親は、子どもがどのようにデバイスと付き合えば、心穏やかにいられるのでしょうか。

 十分勉強したあと、3時間ゲームをするのはよいのでしょうか? YouTubeを4時間見続けても、数学や科学に関する内容だったら許容していいのでしょうか? LINEのやりとりが勉強に関する質問なら大丈夫でしょうか?

わが家のとっておきゲーム活用法

 大人だってLINEでトークをしたり、気がつけば1時間ブラウジングしていたりするのは、よくあることです。子どもが“夢中”になると「中毒」なのに、大人の“やめられない”は「ちょっとした息抜き」で許されるのはフェアじゃない……なんてことを考え出すと、もうきりがない。

 私が子どもたちとのバトルを経て行き着いた結論は、「デバイスはもはや、子どもから切り離せるものではないし、ゲームが必ずしも害であるとは限らない」というものでした。

 今の時代、デジタルデバイスを使いこなせないと、周囲との距離が徐々に開いていきます。アメリカで暮らしていると、その現実がなおさらはっきり見えてきます。しかし便利になった分だけ私たちが自由になったかというとそうではなく、余裕が生まれるどころか、逆にもっと速く、もっと巧妙に、もっと効率的に……と、要求だけがどんどん高まっていくのです。

 便利さの隙間に滑り込んできた新しい忙しさに追われるのは大人だけではなく、子どもにも大きく影響します。与えられた時間の中で、どれだけ効率良く幅広い知識と創造力を構築していくか。それを競う受験やテストでは、デバイスは時間泥棒のようなものです。そして、デバイスがゲームやSNS利用の入り口になってしまっている以上、防ぎ切れるものではありません。

 ですが、子どもにとっての「ゲーム」は、大人が考える以上にずっと奥行きがあるようです。表面だけ捉えて「時間の無駄」と断じるのは、少しもったいない気がするのです。ゲームは、子どもの世界観を広げて想像力を培い、集中力を呼び覚まして空間認識力や反射神経を育む教材であり、子どもとの交渉の場で切る“最強のカード”でもあります。たとえば、「今日のタスクが終わったら、ゲーム2時間!」というように。

 デバイスはもはや取り上げる対象ではなく、「どう一緒に生きていくか」を考える時代を迎えているのです。うまく距離をとって、ときに甘え、ときに使い倒す──。そうやって「とことん活用する力」を育てていくほうが、長い目で見るとずっと効果的だと思います。

「管理されたら抵抗せよ」

 わが家の長男は28歳で、末息子とは16歳の年齢差があるため、子どもの娯楽が時とともに大きく変化していることを日々実感します。長男が幼い頃は、「テレビの視聴時間と進学率の関係」が話題になるなど、テレビが親の懸念の主な対象でした。

 さらに遡れば、「漫画こそ親の敵」とされていた時代もあります。ですが今、わが子がスマホに夢中になる代わりに、漫画を読んでいたとしたらどうでしょうか。

 漫画は今や、文字を読む習慣を養い、想像力を豊かに働かせ、語彙や漢字を自然に覚えるのに役立つ教材として、親を大いに喜ばせる存在です。時代が変われば、悪者だったはずのものが、常識に組み込まれたり、肯定的に評価されたりするのは世の常です。

漫画はいまや、文字を読む習慣を養う教材として、親を大いに喜ばせる存在です(写真:Video_StockOrg/stock.adobe.com)
漫画はいまや、文字を読む習慣を養う教材として、親を大いに喜ばせる存在です(写真:Video_StockOrg/stock.adobe.com)
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 他方、いつの時代も、親は子どもを管理し、子どもから娯楽を奪うことが大好きです。子どもからしたら、まるで“子どものため”という大義名分のハサミを手に、彼らの楽しみを次々と切り落としていく庭師のようです。

 私たち親は、「子どもをキチンと育てなきゃ」という使命感のもと、その邪魔になりそうなものを全て切り離そうとしがちです。そうなると、子どもは静かに、親から距離をとり始めます。親が「味方」ではなく、「監視者」になる瞬間です。こうしてもはや親の言葉は「聞くべきもの」ではなく、「避けるべきもの」になってしまうのです。

 子どもにかぎらず大人だって、誰かにコントロールされると、本気で抵抗したくなるものです。たぶん私たちの遺伝子には「管理されたら抵抗せよ」と刻まれているのでしょう。「ダメ」と言われると、なんだか挑戦してみたくなる。人間ってなかなか面白くできています。

誰かにコントロールされると、本気で抵抗したくなるものです(写真:MNStudio/stock.adobe.com)
誰かにコントロールされると、本気で抵抗したくなるものです(写真:MNStudio/stock.adobe.com)
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「ムダ」や「失敗」こそ、成長のカギ

 わが家の5人の子どもたちにかぎっていえば、デバイスやゲームに依存しなかった子も、朝から晩までYouTubeやデバイスを見て時間を潰していた子も、成績や発育に大きな違いはありませんでした。

 三男が幼い頃は私の忙しさのピーク時で、絵本を読んであげることも一緒に遊んであげることもままならず、タブレットを見せてやり過ごすことも少なくありませんでした。その結果、どうなったでしょうか? 三男は今、5人のきょうだいの中で一番の知識人です。成績だって悪くありませんし、数学に関しては彼の右に出る者はいないくらいです。

 次男には、中学生の頃からデバイスを好きなだけ触らせてきました。親が「できれば一生知らずにいてほしい」と思うようなサイトにも、しっかり立ち寄ってきたのではないかと思います。子どもの好奇心は、大体親にとって都合の悪いところから育っていくものですね。

 一方、彼の高校時代を支えた、膨大な音楽の知識、研ぎ澄まされた耳の感覚、素晴らしい録音技術は、ネットの世界から吸収したものがほとんどです。もちろん、いいことずくめではありません。ネットやSNSに費やした時間のツケは、しっかりと成績に跳ね返ってきました。さすがにこれではまずいと強く感じた彼は、落ちた成績を取り戻すべく徹夜を繰り返し、見事に自分の力で返り咲きました。

 5人の子どもたちの子育てを通じて私が感じたのは、子どもは往々にして、親が「無駄」や「失敗」と捉えがちな時間の中でこそ、多くを吸収し、学んでいるということでした。その際もただ自由にさせるのではなく、時間をかけて「子ども自身が人生を創り上げていくこと」「自分の人生に責任を持つこと」の大切さを絶えず投げかけてきたことは、効果があったように感じます。

それでもやっぱり「親の見守り」は大事

 ひとつだけ、子どものデジタル環境について痛感したのは、特に小学生までは、デバイスやゲームに関して、一定の親のコントロールが必要ということです。わが家の子どもたちの場合、長時間デバイスを与え続けていると、極端に落ち着きがなくなる兆候が出始めたのです。判断と分別が未熟な小学生のうちは、親が気づかないうちにネットの“裏路地”に迷い込んでしまうこともあります。

 子どもにとって学童期は心の土台がつくられる大切な時期であり、そこで触れたものが、そのままその子の性格や価値観に影響を与えます。まるで、まだ柔らかいコンクリートに足跡をつけるようなものです。だからこそ、この時期のネットの使い方には、丁寧な見守りと、ちょっとした工夫が必要なのです。

 私はゲームやネット利用による影響を過度に恐れるのではなく、デバイスを通じて、道徳心や良識といった「内なるブレーキ」を、子どもが自分で使いこなせるようになることを目指しました。

 これは、子どもに望ましくない影響を与える全てのものに対して通じる考え方です。親が知らない場所で、子どもがそうしたものに触れるのは難しいことではありません。子ども自身が自分を律する力を身につけないかぎり、周囲がどんなに防ごうとしても完全に食い止めることはできないのです。私が子どもにデバイスやゲームを禁止しなかったのは、長年子どもを育ててきた中で得たこうした学びの結果でした。

 最後に、息子からもらった印象的な言葉をご紹介します。ある質問をした時に返ってきた言葉です。

「だってママは、 ぼくたちの敵じゃないもん。
子どもにとっての敵は、ぼくたちの好きなものや大事なものを、
なんでも好きなようにうばってしまう人だよ」

 子どもたちが避けたいのは、ただ監視し、奪おうとする大人なのかもしれません。もし私たちがそうなってしまえば、どれだけ愛情を注いでも、子どもの心には届かない。愛しているつもりでも、その姿が「敵」に映ることがあるのかもしれないのです。

■変更履歴
「わが家の⻑男は28歳で、末息⼦とは12歳の年齢差があるため」は、正しくは「わが家の⻑男は28歳で、末息⼦とは16歳の年齢差があるため」でした。本文は修正済みです。 [2025/08/05 19:20]