人の中心は情緒である。数学の役目というのは機械にできないことをやるということ。本当の数学は、自分の心の中にあるものを心の目でみてやる――。AI(人工知能)時代の今、天才数学者、岡潔の残した言葉を読み返すと、洞察の深さに改めて感じ入る。岡の数学への向き合い方は、私たちが行くべき道のヒントになる。
※本連載をまとめた書籍『 古典に学ぶ現代世界 』(日経プレミアシリーズ)を発売しました(2025年7月10日追記)

数学の役目は機械にできないこと

 サム・アルトマン率いる米国の「オープンAI」が、人と対話をするように自然な文章を作成するAIの「チャットGPT」を送り出してから2年余り。AIが人の脳を超え、人間の仕事がどんどんAIに置き換えられてしまうのではないか。そんなモヤモヤも漂い、世の中がAIに翻弄されている。

 「頭の働きも機械的になっている。むしろこれからの傾向としては機械的なことは機械に任せ、そうでないのを教えるべきだと思うのだが…」。今から60年あまり前にそう喝破した数学者がいる。岡潔(1901~78年)である。文章は『 春宵(しゅんしょう)十話 』(光文社文庫。単行本初版は1963年刊)の一節。生成AIが人間の表現を数式に置き換えたものとすれば、数学と人類全体の福祉、利益の関係はどうなるか。もう少し岡の議論に耳を傾けると、次のようになる。

『春宵十話』(岡潔著/光文社文庫)。画像クリックでAmazonページへ
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 従来、数学という学問は計算も受け持たなくてはならなかった。が、「最近機械が発達して機械的なものは機械にやらせればよいようになってきました」。これが電子計算機と呼ばれたコンピューターの登場である。そのコンピューターが発達すれば、「やがて論理学も人がやらなくてすむようになるでしょう」。すると、数学という人間の営みはどうなるか。

 「こうなると数学の役目というのは機械にできないことをやるということになります。それは調和の精神を教えるということであります」。1963年といえば昭和38年。東京オリンピックの前年に本書が出版されたとき、人々はコンピューターの演算速度や正確性に驚嘆しても、岡の指摘をどこか浮世離れした仙人の発言と聞き流していたかもしれない。

 だがAI時代の今、読み返すと洞察の深さに改めて感じ入る。「人の中心は情緒である」。この書き出しこそは、岡の揺るがぬ確信だ。AIの能力が人間に迫ってくるなかで、情緒は人が人としての存在感を発揮できる分野だろう。岡の数学への向き合い方は、私たちが行くべき道のヒントになる。

スミレはただスミレらしく咲いているだけでいい

 数学をやって何になるのか。そう尋ねられると、この数学者はこう答える。「私は野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ」

 小林秀雄の「当麻(たえま)」の一節、「美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない」を想起させる精神世界である。「ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きている」という岡の喜びは、「発見の喜び」にほかならない。だから数学と芸術は響き合う。

 「数学の目標は真の中の調和であり、芸術の目標は美の中における調和である。…そこに働いているのが情緒であるということも同じである」「本当の数学は黒板に書かれた文字を普通の目玉で見てやるのではなく、自分の心の中にあるものを心の目でみてやるのである」

 天才数学者だからこその発言と思われるかもしれない。だが、試験をめぐるこんなエピソードはどうだろう。数学の試験の答案を書き終えて、間違えていないか十分確かめたうえで教室を後にする。「これでよいと思って出すのですが、出して一歩教室を出たとたんに『しまった。あそこを間違えた』と気づくのです」

 「たいていの人はそんな経験がおありでしょう」と問いかけて、こう続ける。「教室を出て緊張がゆるんだときに働くこの智力こそ大自然の純粋直観と呼ぶべきものであって、私たちが純一無雑に努力した結果、真情によく澄んだ一瞬ができ、時を同じくしてそこに智力の光が射したのです」。この智力を養うには刀鍛冶のように、「熱しては冷やし、熱しては冷やしというやり方を適当に繰り返すのが一番いい」というのである。

 このあたりは岡の社会論や教育論と密接に絡んでくる。今の社会や教育は大脳前頭葉を熱し続けるばかりである。「本だって読むことより読みたいと思うことのほうが大切なのです」。智力のあり方に対するとても分かりやすい表現だろう。だが『春宵十話』の議論はここでは終わらない。

 調和が失われ、情緒がないがしろにされた教育に対する岡の批判は熱を帯びる。「日本は昔から情緒の中心だけは健在だった。それが汚されたら、いったいどこを指して日本というのだろうか」「日本の危機もまた教育、特に義務教育から来ている」「小学校で道義を教えるのを忘れ、高等学校では理性を入れるのを忘れている」

戦前に戻してそこから軍国主義を抜く

 では教育をどう改めればよいか。「戦前に戻してそこから軍国主義を抜けばよい」。法律や経済の専門家だと、仲間内を気にしてとてもこうは言えまい。虚を突かれるようなひと言に違和感を抱かれる方もおられるだろうが、むしろその違和感を入り口として真剣に問題を考えてほしい、というのが岡の訴えだろう。

 その岡の主張をより深く掘り下げたのが、小林秀雄との対談『 人間の建設 』(新潮文庫)である。大家同士の対談には何を言っているのか分からないものも少なくない。しかしこの本は、小林が自然科学に分け入り、岡が宗教や文学に心を寄せつつ、ふたりはお互いの思いをぶつけ合っている。舞台は1965年(昭和40年)の京都。

『人間の建設』(小林秀雄、岡潔著/新潮文庫)。画像クリックでAmazonページへ
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 「いつでも常識は、感情をもととして働いていくわけです」と小林が言えば、岡は「本然の感情の同感なしには数学でさえ存在しえない」と答え、こう続ける。「物理学者あたりが、ベルグソンの非難したとおり知性だけで存在を主張しようとしてもできない相談なのです」

 人間の知情意や行動から「本能的な生活感情を抜くというのが科学的なこと」とすれば、科学なるものは危うい。岡は核兵器を引き合いに出して、「(理論物理学が)しているのは破壊と機械的操作だけなのです」とまで言う。「人間の中心は情緒である」。その洞察を改めてかみ締めるときが来ているのではあるまいか。

写真/スタジオキャスパー

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