石破茂首相が師と仰ぐ田中角栄元首相の看板政策が書籍として刊行されたのは1972年。過密と過疎、公害を克服し、住みよく豊かな社会をつくるには、工業の再配置、都市の再開発、道路、下水道など社会資本の充実と公害絶滅技術が必要――。その後の「狂乱物価」と石油ショックによって、政策実現は道半ばに終わったが、情報ネットワーク整備や都市再開発など、時代を先取りする構想も数多くあった。

「令和版・日本列島改造論」とどこが違う?

 「楽しい日本」を実現するための政策の核心は、「地方創生2.0」です。これを、「令和の日本列島改造」として強力に進めます――。石破茂首相は2025年1月24日の施政方針演説で令和版の「日本列島改造」をうたった。

 師と仰ぐ田中角栄元首相(1918~93年)の『日本列島改造論』を踏まえた看板政策なのだが、どこがどう違うのか。昭和の日本列島改造では、「道路や鉄道といったハードなインフラの整備を起点として人の流れを生み出し、国土の均衡ある発展が目指されました」。

 これに対して「地方創生2.0」という名の令和の日本列島改造は、「官民が連携して地域の拠点をつくり、地域の持つ潜在力を最大限引き出し、ハードだけではないソフトの魅力が新たな人の流れを生み出す」という。潜在力やソフトの魅力といっても曖昧模糊(もこ)としている。

 具体策は? (1)若者や女性にも選ばれる地方、(2)産官学の地方移転と創生、(3)地方イノベーション創生構想、(4)新時代のインフラ整備、(5)都道府県域を超えた広域連携の新たな枠組みの推進、がその5本柱に掲げられる。5本柱はいずれもどこかで聞いたことのあるスローガンだ。

 事実上の首相選びとなる自民党総裁選を1972年(昭和47年)7月7日に控えて、『 日本列島改造論 』(田中角栄著/日刊工業新聞社/リンクは復刻版)が出版されたのは同年6月20日だった。公害や都市の過密、地方の過疎など高度経済成長の副作用を実感し、一種の閉塞感を覚えていた当時の国民に、この構想は強く訴えた。

『復刻版 日本列島改造論』(田中角栄著/日刊工業新聞社)。画像クリックでAmazonページへ
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 「過密と公害を克服し、住みよく豊かな社会をつくるためには、工業の再配置、過密都市の再開発、道路、下水道など社会資本の充実、公害絶滅技術の早期開発などが必要である」。明確なメッセージを示したことで、政策本としては異例にも、たちまち91万部の大ベストセラーになった。

 「工業再配置」とは何か? それは「太平洋ベルト地帯とその他の地域との格差をなくしてしまおうという巨視的な構想に立つ政策である」。本書の政策提言の柱である第Ⅳ章は「人と経済の流れを変える」と題し、こううたう。越後の豪雪地帯から上京した青春時代の志が、「巨視的な構想」という気負った表現となっている。

工業再配置や25万人都市

 地方への工業の再配置。そのための手段として掲げるのが、大都市からの「工場追出し税」である。過密地域の工場には他より高い税金をかけ、その財源を活用して新たに工業を興す地域には、環境保全や社会福祉施設づくりを援助する。結局は実現しなかったが、そんな税制だ。

 農村工業化のための「25万人規模」の地方都市。自然との共存を目指すインダストリアル・パーク。全国を縦横に結ぶ新幹線網や表日本と裏日本の横断道路。本州の日本海側を指す裏日本という言葉は時代を感じさせる。ページを繰るごとに、裏付けとなる数字や候補地、政策実現のための関連法令などがポンポン飛び出してくる。

 例えば25万人都市については、「津山(岡山県)、新見(岡山県)、横手(秋田県)、酒田・鶴岡(山形県)、三条・長岡(新潟県)、武生(福井県)、福知山(京都府)、都城(宮崎県)」といった具合。大小のコンビナートについても、全国の候補地を列挙している。具体的、あまりに具体的なのだ。

 「日本列島の主要地域を一日行動圏に」「東京、名古屋、大阪などおもな都市相互間の所要時間を一時間圏に」「東北、北陸などの全国各地域をいまの一県以内の距離感に」。こうした時間距離の短縮、行動半径の拡大は、「人間のあらゆる活動の範囲を広げ、社会の機能を拡大させる」。そこには田中の思いがこもる。

 大胆な構想を人々はどう受け止めたか。田中内閣発足から2カ月後の1972年9月に、政府が中央調査社を通じて行った世論調査の結果が残っている。

  • 「工業の再配置」には、賛成…41.9%、反対…15.0%、一概にいえない…18.4%、わからない…24.7%。
  • 「工場追い出し税」には、賛成…55.5%、反対…7.6%、一概にいえない…24.1%、わからない…12.8%。
  • 新幹線網や高速道路網については、賛成…52.6%、反対…16.1%、一概にいえない…17.7%、わからない…13.5%。

 当初はいずれも賛成が反対を大きく上回っていたのだ。だが舞台はほどなく暗転する。1972年度補正予算と1973年度予算の大型公共投資が、日銀の金融緩和と相まってインフレを誘発したのだ。全国的な土地投機が起き、日本列島改造の予定地には、あふれるマネーが流れ込んだ。

 追い打ちをかけるように、1973年10月の第4次中東戦争が引き金となり石油ショックが撃った。田中は得意なはずの経済で躓(つまず)き、1972年7月の総裁選を争った福田赳夫(1905~95年)に蔵相の座を明け渡す。「狂乱物価」は福田の造語である。福田はインフレ抑制のため、公共事業を凍結し、日本列島改造に幕を引いた。

 2桁インフレを引き起こした田中の経済運営に対する経済史家の評価は概して厳しい。『日本列島改造論』にしても、高度経済成長を大前提にして、その延長線上に構想されていたことは否定できない。1985年(昭和60年)度の粗鋼需要2億トンといった想定はその象徴だ。それに財政、金融などマクロ経済政策の視点は、個別の産業政策に比べて希薄である。

インターネット時代を先取りした構想も

 こうした欠点を認めたうえでも、この本は日本経済のあり方をめぐる「古典」としての価値を持っている。何よりも都市集中という問題に正面から向き合ったからだが、新幹線網や高速道路網にとどまらず、時代を先取りする構想を提示していることも見逃せない。

 「全国各地を結ぶ情報ネットワーク」である。「有線テレビ、テレビ電話、さらに職場でも家庭でもボタン一つでコンピューターを呼び出すことのできるデータ通信」などだ。表現を少し変えれば、インターネット時代の先取りである。

 「情報ネットワークの整備、利用技術や情報システムの積極的な開発、通信コストの合理化を三本柱にして日本列島を一つの“情報列島”に再編成」することによって、都市と地方の情報格差も解消できるというのだ。21世紀の現在もこうした構想をなぞっている。

 都市開発について「低層建築制限」を打ち出したのも目を引く。道路の拡張や公園、緑地づくりや住宅の建設には、「オープン・スペース(空間)」が欠かせない。空間づくりのためには「平面都市を立体都市に改造」する必要があり、「低層建築制限」はその手段だという。

 『日本列島改造論』の政策部分を執筆したのは、田中が通商産業相時代の秘書官だった小長啓一を中心とした通産官僚である。そのなかには池口小太郎つまり堺屋太一(1935~2019年)がいた。石破首相が施政方針演説で掲げた「楽しい日本」。いみじくもその堺屋が晩年の著書『 三度目の日本 幕末、敗戦、平成を越えて 』(祥伝社新書)で用いた言葉だ。

 「『楽しい日本』とは、すべての人が安心と安全を感じ、自分の夢に挑戦し、『今日より明日はよくなる』と実感できる。多様な価値観を持つ一人一人が、互いに尊重し合い、自己実現をはかっていける。そうした活力ある国家です」。それは分かった。ならば何をなすべきか。首相は師の著作を今一度ひもといてみたらどうだろう。

写真/スタジオキャスパー