お金を集めるばかりで、上手に使わなければ守銭奴(しゅせんど)になってしまう。経済的な成功は国家や社会があってこそ。その恩恵はお返しすべき。栗山英樹・前野球日本代表監督が大谷翔平選手に薦めた本としても知られる『論語と算盤』は、今も私たちの心に響く。2024年7月から新1万円札の顔となる渋沢栄一の言葉を味わってみよう。
栗山英樹氏が大谷選手に薦めた本
2024年1月5日、大谷翔平選手が動いた。能登半島地震の被害に、所属する米ドジャース球団などとともに100万ドル、円換算で1億4000万円あまりを寄付すると明らかにしたのだ。大谷選手は日本全国の小学校に、くまなくグローブを贈るプレゼントを始めたばかり。
23年12月に10年間7億ドルと1000億円を超える契約でドジャースに移籍し、大リーグ史上最大となる巨額報酬を得た球界のヒーローは、世の中のためにお金を出し惜しみしない。北海道日本ハムファイターズ時代に栗山英樹監督(当時)から読むように勧められた本の中身が板についている。
日本資本主義の父といわれる渋沢栄一の『 論語と算盤 』(角川ソフィア文庫)、『 現代語訳 論語と算盤 』(守屋淳訳/ちくま新書)である。「よく集めることを知って、よく使うことを知らないと、最後には守銭奴になってしまう。いまの若い人たちは、金づかいの荒い人間にならないよう努力するのと同時に、守銭奴にならないよう注意すべきなのである」(『現代語訳 論語と算盤』103頁)。
経済的に成功するには努力がいるが、同時に国家や社会のおかげがあってこそ。だから「この恩恵にお返しする」(同96頁)。大谷選手はそんな渋沢の考えに納得し、さっと行動に移しているように思える。血となり肉となった基準がハッキリしているので、とてもすがすがしい。
大谷選手の指導者である栗山氏が見いだした鉱脈は、武士の精神と商人の才覚を併せ持つ「士魂商才」(同15頁)である。栗山氏はプロスポーツの世界にこれを持ち込み「士魂球才」へと換骨奪胎したのであろう。
渋沢の言う「士魂」とは士農工商の封建時代における、切り捨て御免の武士のわがまま放題ではない。『論語』に代表される高い倫理観で自らを律する生き方のことである。
それが試されるのは、避けようもない逆境に面したときである。「天命に身をゆだね、腰をすえて来るべき運命を待ちながら、コツコツと挫けずに勉強するのがよいのだ」(同36頁)。順境と逆境が波のように訪れるプロ野球の世界で、素晴らしい成績を残している大谷選手の野球道もここに由来するのではないか。
多くの組織人にとっても渋沢の言葉は力強い励ましとなる。「日本資本主義の父」といわれる渋沢は、努力して富農となった父を通じて、幼い頃から中国古典に触れる。10代半ばから藍(あい)染めの原料となる藍の買い付けや販売、集金に働いている。『論語と算盤』には渋沢の血となり、肉となった生き方が染み込んでいる。
乏しい資本をどう集め、産業を育成するか
その渋沢が西欧文明と触れ合い、その核心を学び取ったことから明治の日本の資本主義が始まる。マックス・ウェーバーの『 プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 』(大塚久雄訳/岩波文庫)風に言えば、「論語の倫理と日本資本主義の精神」こそが渋沢のメッセージなのである。
幕末の使節団の一員として渋沢は1867年のパリ万国博に向かう。欧州歴訪の経験は近代文明を動かす株式会社という仕組みへと、渋沢の目を大きく見開かせた。そのさなかに、幕府は倒壊。明治維新後は徳川慶喜が蟄居(ちっきょ)を申しつけられた静岡に赴くが、やがて明治政府に呼び出され大蔵省に。1873年(明治6年)に実業家となる。
幕末から明治にかけて、塞翁が馬を地で行くような人生行路である。渋沢がただ者ではないのは、株式会社制度の本質をフランス滞在中にしっかりとつかみ取ったことだ。「元来商売というのは一人一己の力ではこれを盛んにすることは出来ぬものだから、そこは西洋に行われる共力合本法を採用するのが最も急務であろうと思う」(『 雨夜譚 渋沢栄一自伝 』岩波文庫、163頁)。共力合本法は株式会社制度にほかならない。
早くも1869年(明治2年)2月に、静岡市の有力実業家を集め、「商法会所」という商会を立ち上げた。「米穀、肥料等の売買、貸付または貸金もやり預金も引受ける」(同222頁)というのは、商業と銀行を一つにしたような仕組みである。この「商法会所」は、当時の静岡藩が音頭を取った「官民協調プロジェクト」といえる。
同じ資本主義でも米国の場合は、野心家たちが無主の地を舞台に、新たなビジネスを切り開くフロンティア型の経済活動を基本としていく。企業は資本家のものであり、利潤の追求こそが企業の存在価値となる。これに対して、渋沢が欧州から学び日本に持ち込んだのは、乏しい資本をどう集めて、日本に必要とされる産業を育成していくかだった。

お金は社会あってのたまもの
今日まで続くこうした資本主義のスタイルは、「渋沢資本主義」と呼ばれることが多い。それは必ずしも誤りではないが、官が図面を描き、民がその上を走るという意味で、渋沢の名を冠するのは事実に反している。渋沢が大蔵省を辞して、民間に転じようとした際のことを『論語と算盤』(現代語訳23頁)でこう振り返る。
「お互い官職にあって国家のために尽くす身だ。それなのに、賤(いや)しむべき金銭に目がくらんで、官職を去って商人になるとは実に呆れる。今まで君をそうした人間とは思わなかった」。後に初代大審院長(現在の最高裁判所長官)となる玉乃世履は、親身になってそう忠告した。
「金銭を取り扱うことが、なぜ賤しいのだ。…人間が勧めるべき尊い仕事は至るところにある。官だけが尊いわけではない」。渋沢はこう反論した。ここに渋沢資本主義の核心がある。興味深いのは、製紙業、紡績業、海運業、陸運業など多くの産業をスタートアップした渋沢が、民間に転じて最初に手掛けたのが銀行業だったことだ。
第一国立銀行である。官が金銭を賤しんでいては経済の芽は出ないし、民が自分の資金を抱え込んだままでは経済が回らない。だから産業が育つよう、みんなで協力しなければならない。事業で成功したとしても、社会あってのたまものだから、そのお金は新規事業への投資や寄付によって社会に還元しなければならない。
官から離れた民の自律を主張した福沢諭吉の「独立自尊」とはニュアンスの違いがあるにせよ、渋沢資本主義の流儀はここにあるように思える。そして2024年7月、1万円札の顔が福沢から渋沢に移る。
