一人の日銀マンが突如、アフリカの小国ルワンダの中央銀行総裁に。着任早々、面会した大統領からは金融政策のみならず、国民経済全体の再建を託される。植民地時代からのさまざまな利害がからみ合う中で、あくまでルワンダ国民の立場から、次々と改革を進めていくさまは、「サムライここにあり」と喝采したくなる。日本は内向きになったといわれる今こそ、本書を手に取りたい。

日銀マンに白羽の矢

 今、日本では「援助疲れ」という言葉があいさつ代わりになっている。他国を助けるほどの国力は日本には残っていない。援助しても相手国の経済発展には役立たない。訳知り顔の物言いがネット空間にこだましている。だが、そもそも援助とは何なのだろう。今から半世紀以上も前、経済立て直しのために、アフリカ中部の小国・ルワンダに乗り込んだ人物がいる。当時、日本銀行の職員だった服部正也(1918~99年)だ。彼の手記が『 ルワンダ中央銀行総裁日記 増補版 』(中公新書)である。

『ルワンダ中央銀行総裁日記 増補版』(服部正也著)
『ルワンダ中央銀行総裁日記 増補版』(服部正也著)
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 それがめっぽう面白く、援助疲れをめぐる頭でっかちの議論など吹き飛ばしてしまう。服部が国際通貨基金(IMF)からルワンダ中央銀行総裁の打診を受けたのは1964年。東京五輪の年である。実は戦後復興の節目となるこの年には、東京でIMF世銀総会が開催された。その席上で誘いを受けたのだ。高度経済成長の軌道に乗った日本が、今度は発展途上国を助けに回る。そんな転換期の出来事だった。

 翌65年2月、ルワンダに到着し、空港から首都キガリに向かう。そこは「舗装をしていない道を赤い土煙をあげて走る」。キガリにある「二階建ての、頑丈ではあるがペンキのはげかかった建物」。それが中央銀行だった。公邸は未完成で、寝泊まりする仮の宿舎といえば「床はカーペットもなく、セメントのままである」。ここまででもワンダーランドだが、服部が最も驚いたのは「中央銀行の金庫に、銀行券のストックが足りないことであった」。

 行内を見学した。「各職場ではさかんにおしゃべりしている。数人は居眠りしている」。空席が多いので理由を聞いても、「監督者も知らない(あるいは言わない)」。思わず逃げ出したくなるこんな状況に直面しても、服部はかえって意を決する。「逆に見れば、これ以上悪くなることは不可能である」と。「私がなにをやってもそれは必ず改善につながるはずである」。こう見定め、中央銀行とルワンダ経済の立て直しにまい進していくのである。

大統領から経済再建をすべて託される

 着任から1カ月余りたった65年3月、服部は大統領からの面会を求められる。だまして、どこかに監禁するつもりなのだろうか。身構えながらも、着いた先は幸いにも大統領官邸。大統領の質問に応じて意見を具申すると、しまいにはこう依頼される。「あなたにこの経済改革の全般について必要な措置の立案をお願いしたい」。午後6時半からの面談は午後11時半まで、実に5時間に及んでいた。

 「だんだん夕闇が迫ってくるにつれて、大統領の顔は暗闇に吸いこまれて、しばらくは白眼だけが二つ光っていた。そのうち白眼も消え、たばこを吸うときの光でわずかに顔がうっすらと照らし出される」。小説のようなシュールな情景描写は、2人の腹を割った対話とともに、読む者の脳裏に焼き付けられる。

 経済改革の過程では摩擦は避けられない。ルワンダで業務を営む旧宗主国の銀行との丁々発止は、大統領との面談とは別の意味で、本書前半のヤマ場である。中央銀行からベルギー系の商業銀行に協定を締結しようと申し込んだことに、先方の総支配人が不満をぶつけてきたのだ。面談の場所はワシントン。相手の主張に一つひとつ反論していくと、総支配人はしまいにはたんかを切る。「われわれには商業銀行を閉鎖する自由があることをお忘れなく」

 服部も負けてはいない。「銀行家としての生涯最後の仕事が、…それ(経済再建)に協力を拒んだということでよいのでしょうか」。両者にらみ合いのなか、服部は翌日の銀行の緊急取締役会での説明を求められる。旧宗主国という番長から体育館の裏に呼び出され、「現地人参加の途上国の会社の、取締役会運営の実体をはじめて目撃したのである」。合意の取り付けに向けた奮闘は、本書に譲ることにしよう。

 海外ビジネスを経験した人なら誰でも遭遇するシーンだろう。それにしても、たった1人での戦いはちょっと日本人離れしている。銀行員だった父の勤務の関係で、ロンドンで7年、上海で3年過ごした経験も生きているのだろう。それ以上に、太平洋戦争中に東京帝国大学法学部を卒業後、海軍に招集され、終戦を海軍大尉として迎え、ラバウルで戦犯裁判の弁護人を務めたことが大きいはずだ。多くの辛酸をなめたであろうこの経験が、何事にも動じない服部を生んだ。

 本書はさらに欧米勢にある微妙な亀裂まで視野に収めている。つまり「ベルギー側の植民地意識に対する反感ないし不信の念」を、服部に加勢した米国とドイツの取締役の態度から読み取っているのだ。相手方の心のひだを捉えて初めて、経済外交も海外ビジネスも成果を収められる。

 中盤の「経済再建計画の答申」と「通貨改革の準備」、「改革の実施」は本書の核心部分といってよい。通貨改革を単なる通貨切り下げにとどめず、経済改革の突破口にする。華々しい工業化の成果を急ぐのではなく、まずは「農業中心で農民の繁栄」を図る。東南アジアの中央銀行職員に対する研修で、アジアの途上国に向き合ってきた日銀行員ならではの発想は、地に足の着いた開発戦略である。

ここにサムライあり

 外国人と外国企業に有利な税制や為替制度にメスを入れ、ルワンダの生産増進を政策面で後押しする。ルワンダの人たちのふところに飛び込み、その声に耳を傾ける姿は、文字通り獅子奮迅である。植民地時代からの制度で甘い汁を吸う欧州系の人々の言い逃れを、事実と論理で打ち砕いていく。そんな姿は痛快であり、ここにサムライありと日本人としての誇りを呼び起こされる。

 ルワンダ政府の基本方針となる答申を1人で書き上げた服部の力量には舌を巻くばかり。通貨、財政、金融、産業育成、競争政策とほぼすべての分野で、ルワンダの人たちにとっての最適解を探る。そうした姿こそ、本物の国際貢献である。そして本書の読後感がよいのは、終盤に記されたルワンダ経済の離陸という成果を残せたからだろう。服部は6年間の仕事を済ませ、71年にルワンダを去る。

 経済発展を遂げたルワンダも1990年代に凄惨(せいさん)な民族対立に見舞われる。2009年に刊行された増補版には、内戦についての服部の論稿が収められているが、再び苦境に陥ったルワンダに注がれるまなざしは温かい。

 そして内戦から30年を経た今、ルワンダでは民族和解が進み、ICT(情報技術)をテコに「アフリカの奇跡」と呼ばれる経済成長を達成している、と「日本経済新聞」(24年4月8日付夕刊)は伝える。泉下の服部は目を細めることだろう。海外との交易を抜きには生きていけないのに、日本が内向きになったといわれる今だからこそ、本書は輝きを増しているように思われる。

写真/スタジオキャスパー