『アメリカのデモクラシー』(トクヴィル著/松本礼二訳)は、揺らぐ米国の民主主義を映し出す鏡である。フランスの政治思想家トクヴィルは、欧州にはなかった米国の自治や平等の原理に目を見開かせる一方で、将来、人種問題が深刻化するだろうことも予見。本書では奴隷制を廃止したオハイオ州の活況も描かれるが、そのオハイオは今や、哀愁感漂うラストベルト(さびた工業地帯)の典型だ。米大統領選挙を前に、古典的名著をひもといてみたい。

境遇の平等に驚いたトクヴィル

 2024年11月5日に投票を迎える米大統領選挙。民主党のカマラ・ハリス候補、共和党のドナルド・トランプ候補――どちらが勝ってもただでは済みそうもない。選挙イヤーである2024年は、世界各国で番狂わせが起きている。そのトリを飾る米大統領選が無事に幕を下ろせるか、誰も確信を持てずにいる。

 世界で最も長い民主主義の歴史を誇る米国の政治は、なぜかくもこれほどまでにきしみを生じさせているのか。今から2世紀近く前に記された古典『 アメリカのデモクラシー 』(トクヴィル著/松本礼二訳、第一巻上下、第二巻上下/岩波文庫)は、その疑問に答えるための基準点を提供してくれる。

『アメリカのデモクラシー』(トクヴィル著/松本礼二訳)。原著の第一巻は1835年刊。第二巻は1840年刊。画像クリックでAmazonページへ
『アメリカのデモクラシー』(トクヴィル著/松本礼二訳)。原著の第一巻は1835年刊。第二巻は1840年刊。画像クリックでAmazonページへ

 筆者はフランスの政治思想家、アレクシ・ド・トクヴィル(1805~59年)。刑事制度を実地視察するため1831年から32年にかけて9カ月にわたり米国を見て回った。その成果が本書である。「境遇の平等ほど私の目を驚かせたものはなかった」。序文の冒頭に記されたこの言葉に、トクヴィルの見抜いた米国民主主義の本質がある。

 トクヴィルが主に分析の対象としたのは、合衆国憲法をつくったイギリス系アメリカ人の社会である。自ら信じる宗教のためにイギリスから大西洋を渡り、北米大陸の東海岸に自治を打ち立てる。移住してきた人々は欧州のしがらみから解放され、社会生活の仕組みは住民たちが自らで決める。

 タウンと呼ばれる最も身近な自治体から、郡、州へと社会を積み上げていくところに、イギリス系アメリカ人の真骨頂がある。連邦政府が担うのは外交や国防といった限られた領域であり、合衆国はあくまでもお互いに同じくらいの力を持つ個人による自治が基本なのだ。

 北米大陸の豊富な資源と食料という恵みが、人々の対等な関係の裏付けとなる。あまりに人口が増え、住民同士が生活をめぐるいざこざを起こすことへの防波堤となっているのが、広大な西部のフロンティアだ。新たなチャンスを求める人々は、新天地に旅立つことができる。

 トクヴィルはフランス貴族出身ながらも、民主主義を世界の新たな潮流とみる。フランス革命後のフランスへのひとつの参考という意味が込められている。本書の筆致は自治を積み上げる米国人の社会生活にとても好意的だ。

人種問題の深刻化を予見

 民主主義の基本原理は平等。ということは、社会の分断や格差が深まるとき、民主主義は機能不全に陥る。19世紀前半の時点で米国社会が抱えていた爆弾をトクヴィルは見逃さない。人種問題である。

 「合衆国の将来を脅かすあらゆる害悪の中でももっとも恐るべきものは、その地の黒人の存在から生じる」。人種問題は当時、残されていた奴隷制という汚点と表裏の関係にある。

 白人と黒人。「二つの人種を隔てる法的障壁はたしかに低くなる傾向にあるが、習俗の障害はそうではない。奴隷制は後退しつつあると認められるが、それが生んだ偏見は不動である」。それどころか、「黒人を遠ざける偏見は黒人が奴隷でなくなるにつれて増大するように思われ、法の不平等が消えれば消えるほど、習俗のそれは深刻化する」とまでいう。

 この観察がどのくらい過去のものとなったかは、米政治や社会の専門家に尋ねるほかない。ただ確かなのは、習俗つまり社会のならわしにおける差別や不平等が残っている、と自覚しているからこそ、今でも人々は法的な不平等の解消に力を注いでいるということだ。それでも矛盾が残るところに米国社会の難しさがある。

オハイオの変貌

 2世紀を隔てた当時と現在。トクヴィルの本にとても印象的な記述がある。オハイオ川の右岸にあるオハイオ州と左岸のケンタッキー州。奴隷制を残した左岸のケンタッキー州は人影まばらで、産業も社会も沈滞している。対する右岸のオハイオ州は奴隷制を廃止した。そのオハイオ州では「産業の存在を遠くまで宣言する騒音が鳴り響いている」。

 やがて南北戦争(1861~65年)に至る米国社会の亀裂を鮮やかに描いた一節。その昔、本書を読んだ際にはそう感じたが、今読み返すと複雑な思いを抱かざるを得ない。オハイオ州、それはトランプ氏が副大統領候補に指名したJ・D・ヴァンス上院議員のふるさとであり、彼の自叙伝を思い出したからだ。

 『 ヒルビリー・エレジー 』(J・D・ヴァンス著/関根光宏、山田文訳/光文社未来ライブラリー)。「田舎者の哀歌」と直訳できる自叙伝の副題は「アメリカの繁栄から取り残された白人たち」である。麻薬中毒の母を持つ壮絶な生い立ち。「ラストベルト(さびた工業地帯)」の典型である斜陽化した鉄鋼業の街。向上の希望を失った人々の貧困生活。それらを生々しい筆致で描く本書は、全米ベストセラーになった。

 ヴァンス氏は海兵隊に入り、イエール大学ロースクールを卒業し、弁護士として成功する。ヒルビリー生活に終止符を打った成功者ともいえるが、2016年9月にサンフランシスコのベンチャーキャピタルに彼を訪ねた記者が、当時の印象深い言葉を引き出している。

 「目も青いし、肌も白い。だから、僕がこういう場所にいることを不思議に思う人は少ない。でも、本当は『自分の居場所ではない』と感じているんだ」「オハイオに戻って、故郷の人たちの役に立ちたい」。その後、紆余曲折(うよきょくせつ)を経てトランプ氏とともに大統領選を戦うめぐり合わせとなる(「分断の『通訳』を諦めたバンス氏 トランプ氏の右腕に」日本経済新聞24年7月20日)。

 「多くの白人労働者が『自分の技能が評価されない』『いい父親ではない』と悩んでいる。学位もなく、家族ともうまくいかず、社会から評価されないと感じている。そういう人々からすると、学歴も家庭も完璧なオバマ大統領(当時)のような人物は『異能』でしかない」。ヴァンス氏のそんな言葉は、黒人大統領を生んだ後も米国が抱える矛盾を映している。

 オハイオ州の人口は1197万人。そのうち53%は大学を出ていない白人である。彼らの不満を巧みに吸い上げているからこそ、トランプ候補はしぶとい。

 トクヴィルが訪ね、『アメリカのデモクラシー』の着想を得た時の大統領は、第7代アンドリュー・ジャクソン(任期1829~37年)。東部のエリートに反旗を翻し、西部の開拓農民や労働者の味方として、ジャクソニアン・デモクラシーを掲げた。1832年に民主党をつくる。それから2世紀。ジャクソン流の反エリート、草の根の政治を体現してみせるからこそ、トランプ氏の演説会に民衆は熱狂する。

 「境遇の平等ほど私の目を驚かせたものはなかった」。トクヴィルが喝破したように米国社会の根本原理が「平等」であればあるほど、かつての栄光が失われた人々の「エレジー」は哀愁を増す。かたやインド系米国人のハリス候補が体現するのは屈託のない高笑いであり、アメリカンドリームである。米国社会のねじれは、トクヴィルの古典を鏡とすることで、一層鮮やかに映し出される。

写真/スタジオキャスパー