英国人女性探検家、イザベラ・バードが1878年(明治11年)に東北や北海道を旅した記録『イザベラ・バードの日本紀行』には、当時アジアの新興国だった日本が生々しく描かれている。蚊とのみの大群、白人女性への突き刺すような好奇心、貧しいながらも穏やかな暮らし、急速な文明開化による物質主義。私たちの自画像を再確認する上でも欠かせぬ古典である。

明治11年の日本を踏破

 米国人女性文化人類学者、ルース・ベネディクトによる日本文化論『菊と刀』( 「『菊と刀』義理と人情と誠実と…日本人の行動の『型』を読む」 参照)が記されたのが77年前の1946年(昭和21年)。さらにその70年近く前の1878年(明治11年)の日本はどんな姿だったのだろうか。1868年の明治維新からわずか10年後の日本を、首都東京ばかりでなく日光から新潟、山形、青森をたどり、蝦夷(えぞ)と呼ばれた北海道まで踏破した記録がある。

 著者はイザベラ・バード(1831~1904年)。英国人女性探検家である。1880年に英国で出版された『Unbeaten Tracks in Japan』(邦訳 『イザベラ・バードの日本紀行(上)(下)』 時岡敬子訳/講談社学術文庫)は、徳川時代から大きな体制転換を遂げて、世界の舞台の片隅に姿を現したアジアの新興国に対する英国人の好奇心にあふれている。同時に今日の私たちを150年前に無理なくタイムスリップさせる優れた歴史旅行書でもある。

『イザベラ・バードの日本紀行(上)(下)』(イザベラ・バード著)
『イザベラ・バードの日本紀行(上)(下)』(イザベラ・バード著)
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蚊とのみの大群が襲う

 まず驚かされるのは蚊とのみの大群である。日光を出た頃から宿泊先で旅支度を解くと、畳から湧き出るようなのみの群れが襲ってきて、おちおち眠りにつけない。従者に持参させた簡易ベッドに横たわるが、登ってくるのみを防ぐのに一苦労である。蚊の群れも同様である。

 安眠を妨げるのはそればかりではない。障子の破れ目からのぞく、目、目、目。初めて見る西洋人。白人女性に対して旅人たちや住民たちは突き刺すような好奇心を注ぐ。著者バードはプライバシーなど存在しないことに、いささか音を上げる。

 彼女が旅先に近づくと、その情報がパッと耳打ちされ、一目見たさの見物人の人だかりができる。その数は数百人から、時に数千人。私たち日本人の持つ珍しいもの好きが浮かび上がる。ビックリする人数なのに、やじ馬たちは騒ぎを起こしたりせず、辛抱強く見つめる。バードが半ばあきれ、半ば感心したこの辺りの雰囲気は、今もあまり変わっていまい。

 初めて見る西洋人女性を、明治維新後10年目の私たちは、正直にしかも丁重にもてなしている。旅の荷物を馬で運ぶ際に、その馬を引く馬子たち。彼らは規定の金額以上の料金を吹っかけようとしないし、落とし物があると前の宿場に取りに戻り、その分の心付けも受け取ろうとしない。この辺りは好感を持ってたびたび記されている。

貧しくとも穏やかな暮らし

 蚊やのみの大群からうかがえるように、当時の日本の地方に住む人たちの生活水準は高くない。衣類が裸同然の人たちもいるし、食事は質素で肉類が供せられることは少なく、住まいの換気は悪く囲炉裏(いろり)やかまどの煙がくすぶっている。それでも親たちは子どもに愛情を注ぎ、穏やかな暮らしを営む人たちから旅人が危害を加えられることがない。

 山の向こう、川の向こうはどうなっているのか。バードが、地図には載っていない先を尋ねても、住民たちから返ってくる答えは要領を得ない。何か隠しているというより、道なき道を踏破中の地方では、峠の向こうに行ったことのない人たちが多いのだ。貧しいながらも穏やかな暮らしを育んだのは、他ならぬこうしたミクロコスモス(小さな世間)なのである。

 旅の雰囲気は、津軽海峡を渡り、北海道に到着するとガラリと変わる。雄大な北海道の自然に抱かれて、バードの気持ちも筆運びも伸びやかになっていく。本書が民俗学的にも貴重なのは、アイヌ民族の集落に飛び込み、そこで一緒に生活した記録を残していることだろう。

 アイヌの人たちを「未開」と記す部分は、今日の「ポリティカル・コレクトネス(政治的公正)」に反するかもしれない。だが、バードが記すアイヌの人たちの姿は素朴で実直そのものだ。商品取引ではなく、贈与と物々交換に基づく生活がそこにある。なまじ文明に接することで、アイヌ民族の生活の良さが失われることを惜しむ筆致が漂っている。

 急速な文明開化に本書は目を見張っている。例えば1871年に東京と大阪の間で開通した郵便路線。「モデルとなったイギリスの郵便にある程度匹敵するくらい」という。1880年の本書刊行時の記述である。電信も信頼性と効率性から「高い讃辞に値する」。海運力は大躍進し、三菱汽船は管理、料理、設備全般について「イギリスの第一級航路にひけをとらない」。

 何よりも目を見張るのは「人々を教育しようとする政府の努力」である。1877年時点ですでに初等学校が全国に2万5459校、教師が5万9825名に上っている。著者は訪問先の貧しい村々で子どもたちの教育に情熱を傾ける人々に出会う。「知的な熱情、熱意に富んだ受容力、賞賛に値する品行、まじめな自制心、従順さ、懸命なうえ持続する学習意欲」。これこそが、坂の上の雲を目指す明治日本だった。

 バードのまなざしは賞賛ばかりではない。西洋式の文化の受容を急ぐあまり、少なからぬ副作用が生じかねないことも見逃さない。「一部の高等教育機関が、手作業を軽蔑する口ばかり達者でうわべだけの半可通の数を増やし」たりすまいか。この疑問符は近代の日本の行く先を占ったようでもあり、今日も通じているようでもある。

無宗教な人々

 何よりも今日まで通じる指摘は、「日本人はわたしがこれまで出会ったなかで最も無宗教な人々である」との部分かもしれない。旅先で出会った知識人を自認する人たちに宗教のことを尋ねると、師範学校の教頭からは鼻先でせせら笑うようにこんな答えが返ってくる。「わたしたちは無宗教です。学識のある者ならみな宗教などいんちきであることは知っていますよ」。そんな経験を重ねるにつれて、バードは確信を深めていく。

 「まぎれもない物質主義的精神」。それは「頭脳の教育と活性化が人の特性とほとんど関係なく行われる」世の中であり、「人間性のゆがみや矮小(わいしょう)化が必ず起きるに違いない点は要注意である」。この指摘は150年近い時空を超えている。リアルな自画像を再確認する上でも本書は捨て置けまい。