近年の国際ビジネスで企業の持続可能な活動のために欠かせない要件となっているのが、「人権」への配慮だ。欧米では、すでに法制化や国際的枠組みを通じた人権尊重の義務化の動きが進展しており、その影響は日本にも及び始めている。「環境」だけでなく「人権」にも対応しないと、市場から退場を命じられる時代がすぐそこまで来ている。ところが、日本企業の人権対応への意識は低いままだ。なぜ、今、「人権」に取り組むべきなのか、日本企業の「人権対応」の現状と課題を、羽生田慶介・オウルズコンサルティンググループ代表の著書 『すべての企業人のためのビジネスと人権入門』 から一部抜粋して紹介します。その第1回。

企業にとって「人権対応」は喫緊のアジェンダ

 皆さんは「人権」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか?

 実のところ、2020年ごろまで「ビジネスと人権」のテーマで日本企業の経営者と対話すると、会話がかみ合わないことがほとんどだった。

 私は経営コンサルティング会社の代表として日々、企業からサステナビリティ(持続可能性)についての相談を受けている。その際、気候変動対策としての脱炭素の取り組みだけがサステナビリティの論点なのではなく、人権についてもしっかり経営会議で議論しましょう、と伝えている。

 企業の反応はさまざまだが、「人権って同和問題の話だよね。なんでウチに言ってくるんだ」という狭い解釈をしている経営者も少なくない。このタイプの経営者は単に「認識不足」なので、今日の「ビジネスと人権」の全体像を学ぶことで意識や行動が変わる期待もある。だが、次のような反応を示す経営者の場合は要注意だ。原因はより根深く、建設的な対話になるまでに苦心する。

 「俺が若いころは、ハラスメントなんて全然問題にならなかった。長時間労働は当たり前。だから会社は成長したんだ」

 「日本だって戦後の復興期には子どもが働いていた。経済が大きく成長するときというのは、どこの国でもそう。途上国は今その時期だから、子どもが働くのは当たり前でしょう」

 経営者がしたり顔で持論を展開するが、その会社の「人権担当」の役員や管理職は、気まずそうな顔で、苦笑いをしているだけ―。いや、現実は、「苦笑い」では済まされない状況だと言っていいだろう。

 世界では、企業の「人権リスク」に対して厳格に対処するためのルールづくりが着々と進んでいる。しかしつい最近まで、日本企業の「人権」対応の取り組みは、とても遅れていた。国際NGOが発表している人権対応スコアでは、名だたる日本を代表する企業が軒並み「ほぼ0点」の扱いを受けている。国連の持続可能な開発目標(SDGs =サステナブル・ディベロップメント・ゴール)の各項目に対する意識調査によると、日本は「人権」に対する意識が希薄だ。

 「そうは言っても、人権がどう自社のビジネスに関係するのかイメージが湧かない」という人がいるかもしれない。そんなあなたにはぜひ次のチェックリストに目を通してほしい。

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 例えば「アジア・アフリカ地域に製造を委託している工場がある」にチェックが付いた企業は、サプライチェーン上の児童労働や強制労働などに注意が必要だ。「外国人労働者・技能実習生を起用し始めたばかり」に心当たりがあれば、差別的対応(人種、国籍など)、賃金の不足・未払い、強制労働などの潜在的リスクがあるといえる。

 チェックリストの各項目につき、関連が深い主な人権リスクを下表に示した。ただし、このチェック項目は一例であり、「当てはまるものがひとつもなかったから我が社には人権リスクは存在しない」とはならない。あくまで取り組みの第一歩として、「自社にも人権リスクがあるのかもしれない」と気付いてもらうためのリストだ。

●チェック項目と関連が深い人権リスクの例
●チェック項目と関連が深い人権リスクの例
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悲しいほど低い日本企業への評価

 残念ながら、日本は「人権の後進国」と呼ばれることが少なくない。近年の出入国在留管理局や外国人技能実習制度のゆがんだ運用などが海外から批判されることもこの一因だが、近年は、データで示されるビジネスにおける「人権の後進国」ぶりが目立つようになっている。

 まずは第三者機関によって格付けされた、企業の人権への取り組み度世界ランキング「企業人権ベンチマーク(CHRB)」を見てみよう。結論として、日本企業の評価は、総じて悲しいほど低い(図表)。

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 自動車業界では、日本は7社が評価対象になった。ホンダ、マツダがかろうじて平均を上回ったものの、他の5社は平均以下に低迷した。満点は100%だが、トヨタ自動車が11.6%、三菱自動車と日産自動車、スズキの3社は10%未満だった。

 自動車以外の業種では、ファーストリテイリングが26点満点中19.5点で比較的上位につけたものの、セブン&アイ・ホールディングスが5点、ファミリーマートが4.5点、京セラが2.5点、キーエンスが1点など「ほぼゼロ点」の厳しい評価を受けた。

日本企業が「現代奴隷」を助長している?

 日本の「人権後進国」ぶりを示す別のデータを紹介しよう。日本は、「現代奴隷」が生産に関与した産品の輸入額が年間470億ドルに達する。これは米国に次いで世界第2位(2018年)の規模だ。「現代奴隷」とは児童労働や強制労働などの状態を指す言葉で、サプライチェーンにおいてこれらの労働者が関与した産品を日本は大量に輸入していることをこのデータは表している。具体的には、中国からの電子機器、ベトナムからの衣類、タイからの魚、ガーナやコートジボワールからのカカオ、ブラジルからの木材などが代表例。2021年6月に朝日新聞が『日本が増やしている? 児童労働』と題したウェビナーを開催したのは、こうした背景によるものだ。

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 日本の企業がサプライチェーンにおける人権リスクを精査できていないことだけが、世界2位の「現代奴隷」産品の輸入の理由ではない。日本はそもそも制度として、貿易における人権配慮の仕組みが欠けている。

 欧米各国の多くは、途上国からの輸入の際に関税を減免する「一般特恵関税制度(GSP)」の適用条件に児童労働や強制労働を禁止する条項を設定している(米国は総輸入額の大きさゆえに現代奴隷による産品の輸入額も最大となっている)。サプライチェーンにおいて関税のコストというものは実は甚大で、「関税3%は法人税30%に相当」とも言われるほどだ。つまり、途上国が欧米に輸出するとき、児童労働や強制労働がないほうがコストを抑えられる可能性が高い。だが2022年現在、日本政府はこうした人権配慮の通商ルールを採用していない。

深刻な日本の「強制労働」と「男女格差」

 「強制労働」は日本国外だけの話ではない。

 米国務省が毎年公表する「人身取引報告書」では、各国政府による人身売買防止措置を評価している。その中で日本は、未成年の女子高生と成人との出会いをあっせんする「JKビジネス」に代表される性的搾取や外国人技能実習制度の下での強制労働が問題視されている。特に、今や40万人を超える外国人技能実習生については、不当に低い賃金の支払いや悪質な労働環境、借金を背負った状態で働く債務労働などに対して、政府当局の取り締まりや予防措置が不十分だとし、「技能実習制度」を悪用する企業を強く非難している。

 さらに、世界経済フォーラム(WEF)が2006年から毎年発表している各国の男女格差を数値化した「ジェンダーギャップ指数」においても、2021年の日本の順位は156カ国中の120位と、世界全体で下から数えたほうが早い。120位の日本の前後は119位のアンゴラと121位のシエラレオネ。21世紀まで内戦が続き、少年兵・少女兵という「最悪の形態の児童労働」の傷痕が残る国と、日本のジェンダー評価は同水準だ。

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 評価分野別に見ると、「政治的な意思決定への参画」で日本は147位となっており、閣僚や国会議員の女性割合が低いことが低スコアにつながっている。また、「経済的機会」の格差も大きく、特に「管理職ポジションに就いている数の男女差」は139位で、これも日本の順位を押し下げる要因になっている。

(写真:Shutterstock)
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(第2回に続く)

人権への理解と対応力が身につく!

今ほどビジネスに「人権」の視点が問われている時代はありません。セクハラ・パワハラ・マタハラ、長時間労働などから、サプライチェーン上流の原材料採掘や海外製造委託先企業での強制労働・児童労働、さらには広告での差別的表現、AI開発時の差別的傾向、SNSの発信内容など、「人権」に配慮すべき領域は非常に幅広く、本業に直結している。もはや、法務部や人事部だけに任せておくものではなく、事業に携わるすべてのビジネスパーソンに、人権への理解と対応力が求められています。この一冊でその基本が学べます。

羽生田慶介(著)/日経BP/2200円(税込み)