資本主義のいい話は、たいてい「負の外部性(第三者の犠牲)」の上に成立していると、ベストセラー 『人新世の「資本論」』 の著者で哲学者の斎藤幸平氏は指摘する。この「負の外部性」にどう対処していくかが、「環境」や「人権」の課題に取り組む上で重要な視点となる。今回の対談後編ではこの点を中心に、 『すべての企業人のためのビジネスと人権入門』 の著者、羽生田慶介氏と斎藤氏に議論してもらった。
1つラインをつくったら1つ減らす
斎藤幸平氏(以下、斎藤):羽生田さんの本で興味深いなと思ったのは、途上国などから農産物を調達する際、フェアな価格で買おうとすると、その分、プレミアム(上乗せ価格)を払う必要があるけれど、企業はどうやってそのコストアップ分をカバーするのかという話です。本では、商品アイテム数を削減して、余計な在庫を抱えないことでカバーせよと言っています。これは、私が主張している「脱成長」とも親和的で共感しました。
羽生田慶介氏(以下、羽生田):私もそこに、斎藤さんが主張されている「脱成長」と親和性があると思っています。多くの企業がサステナブルな製品を開発し、新しいラインアップをつくる。けれども、従来のラインアップにプラスオンしてつくるので、在庫は増えていきます。だから、新たに投入したサステナブルな新製品が売れないと、もう最悪です。
私は企業に、新しい製品ラインを1つつくるときには、必ず既存のラインを1つ減らすようにアドバイスしています。目先で対策を打つのではなく、ポートフォリオ全体を見て判断することが欠かせません。
斎藤:ラインを減らすのは脱成長の発想ですね。この話に限らず、現代はいろんなものが過剰すぎます。例えば、ファッション業界の売上総額は全然伸びていないのに、販売点数はどんどん増えており、単価も利幅も下がる一方。そういうファストファッションの過当競争をやっているから、ファッション業界の人権問題も、環境問題もなくならない。
その解決策は明らかであって、減らすことです。それをできないのが今の資本主義の重大な問題点と言えます。大量生産・大量消費型のビジネスモデルをすぐやめるべきなのに、企業はそこに向き合おうとしない。
企業が代わりに何をしようとしているかというと、リサイクルしたり、オーガニックの原材料を使ったり。要するに新素材などを含めたテクノロジーで乗り切ろうとして、そもそもの過剰なまでの大量供給という問題から目をそらしている。ほかの業界も同じです。
供給過剰な中で企業は競争に勝ち残ろうとして、商品を差異化するために商品アイテム数を増やしたり、送料を無料にして翌日配送にしたり、店であれば年中無休にしたりなど、いろんなことをやっている。これらもすべて過剰。洋服なんて次の日に届かなくてもほとんどの人は困らない。3日後でも1週間後でもいいわけです。そういう社会にしていけば、働き方も今より随分余裕を持てるようになるし、地球環境への配慮も増えて、さまざまな問題について考え、解決するための余裕が生まれます。
ところが、今は余裕がない中で、環境問題にも対応して、人権にも配慮してとやっているからパンクしそうになっている。企業はそもそも余計なことにお金と労力を使いすぎです。
羽生田:商品アイテム数を減らすと企業の売り上げが下がり、経営にマイナスだと思う人がいるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。仮に利益が増えなくても、在庫が減るだけでキャッシュが増えるので、企業にとってはハッピーになり得ます。企業がSDGs(持続可能な開発目標)に取り組むとき、余計な製品・サービスアイテムを減らすというのは、重要な観点です。
人権問題を正面からやろうとすると抵抗があるかもしれないけれど、過剰なところを減らすことが人権問題の解決にもつながるとなれば、企業は取り組みやすくなるかもしれない。それが一企業だけじゃなくて、業界全体に広がっていくと、もっと効果が出ますね。
驚きの安さの裏にある深刻な「犠牲」
斎藤:今年、『ゴースト・フリート 知られざるシーフード産業の闇』という米国の映画が日本で公開されて、私もコメントを寄せました。拉致されてきた男たちがタイで奴隷船に乗せられ、漁業をさせられるという現代の強制労働や奴隷的労働を告発した内容です。
実は、そうやって取られた魚が、日本の回転寿司に並んでいたりすると映画は警告を鳴らしています。1皿100円ちょっとで回転寿司を食べられることには、ゆがみがあります。けれども、ゆがみの元凶である奴隷的労働は「外国で起きている話」なので私たちには見えない。こうして日本人は、世界中の破壊に無意識的に加担しているわけです。
羽生田:日本は児童労働や強制労働などの「現代奴隷」が生産に関与した産品を多く輸入しています。その額は年間470億ドルに上り、米国に次いでなんと世界第2位の規模です。日本の消費者はその事実を知らされずに、商品を買ったり使用したりしている。
斎藤:こうした状況を放置していると、どうなるか。前回の対談で述べたように、最終的には競争の論理に巻き込まれていき、自分たちも奴隷と変わらないような働き方をする存在になってしまう。
羽生田:安い食べ物や商品の「安さの真の理由」を追っていくと、「外部性」の問題に突き当たります。企業のサプライチェーンの外側にいる、虐げられた人たちの犠牲によってその安さが成り立っているのであって、真のコスト(トゥルー・コスト)はもっと高いはずです。
斎藤:そうなんですよね。結局、今の資本主義のいい話、楽しい話、「昔の日本人は頑張っていた」といった話の多くはたいてい、巨大な「負の外部性」の上に成り立っていました。けれども、「人新世」という人類の経済活動が地球全体を覆ってしまった時代というのは、そのような外部がもはやなくなった時代ということです。環境問題も労働問題も、この外部性をなくしていくような方向でしか解決できません。
モーレツ社員の裏にある妻の「犠牲」
羽生田:今の企業の経営陣は60代が中心で、若い頃「モーレツ社員」として名を馳(は)せた人たちですが、彼らと「人権」について議論すると、人権への配慮を「甘え」のように誤解する人も少なくありません。
「俺が若い頃は、長時間労働は当たり前。だから会社は成長したんだ」と力説する人も少なくない。けれども、統計を調べてみると、長時間労働のパワーが発揮され得る「就業者1人当たり労働生産性」においても、日本は1970年からずっと経済協力開発機構(OECD)38カ国の中で20位前後にとどまっていて、かつても今も相変わらず低いままです。つまり、「モーレツ社員」が活躍した頃も、日本の労働生産性は決して高くなかった。
斎藤:日本の高度経済成長期に猛烈に働いていた人たちは、マーケットが右肩上がりで拡大し、会社も急成長するので楽しかった記憶があるんだと思う。けれども、この楽しさは、他の人々の「犠牲」の上に成り立っていたものです。それは途上国の人だけではありません。
例えば、フルタイムで働いていた男性を支えたのは女性です。女性がモーレツ社員である男性の「奴隷」として働いていたわけですね。自分の夢やキャリアを諦め、さまざまな家事、子育て、洗濯、食事などをひとり背負い込んで全部こなしていた。だから男性はモーレツに働けたのであって、ものすごい「外部化」が生じていたわけですよ。
こういう外部化に目をつぶって、60代の経営層の人たちは「あの頃のほうがよかった」「楽しかった」と言う。そりゃ、当たり前だろうと(笑)。踏みつけている側は楽しかっただろうけれど、その逆の立場に身を置けば、全く違う歴史が見えてくる。
そういう勝者の物語を理想化するのは、もうやめる必要がある。私としては、そういう中で虐げられてきた人たち、「負の外部性」の犠牲にならざるを得なかった人たちの話をもっと真摯に聞くべきだと思っています。
そこに、今の社会のあり方をリデザインするためのヒントや本当の課題があるからです。その根本構造を見ようとせずに、単に勝者の側から、「この課題は我が社の新しい技術でこうやって解決する」と入ってきても、真の課題は解決せず、単に利権が生まれるだけになってしまう。
あるいは「男女平等が重要ですね。では、女性も男性と同じように長時間働いてもらいます」といった誤った解釈が広がってしまう。そうではなく、長時間労働が必要な事業モデル自体を改革していく必要があるわけです。
法律に違反しなければいい、では不十分
斎藤:羽生田さんのように、ビジネスにプラスになるから人権への配慮を経営に取り入れていこうと企業に呼びかけ、内部から変革を促すアプローチも重要ですが、私はそれだけでは、不十分な対策になるかもしれないと思っています。
むしろ、内部からの変革の動きや外圧、国の規制に加えて、労働者や消費者などが運動を通じて声を上げなければならない。四方八方からの圧力が1つのうねりとなって、経営者に大きな変革を迫るような状況をつくる必要があると考えています。
羽生田:企業は勘違いしているケースがよくあるのですが、法令違反しないことと人権配慮はイコールではないんです。そもそも法律を守ることは当然の義務ですし、さらに、法律に違反していなくても、人権侵害はいくらでも起こります。
斎藤:その点は非常に重要ですね。日本では、法律をつくれば社会が変わるという幻想がありますが、大事な部分は法律ではないところにある。それは私たちの価値観とか規範です。
日本にはパワハラやセクハラに対する法律も一応あります。それなのになぜ奴隷的な労働や、パワハラ・セクハラがなくならないかというと、それを職場で実際にやめさせるような人権の規範や力がないからです。その結果、少なからぬ被害者が泣き寝入りをしている。その意味で言うと、法律をつくることよりも、規範をしっかりつくり、マジョリティーの側の価値観をアップデートしていく必要があると思う。
人権対応をやらないと海外の企業から取引を打ち切られる、機関投資家から投資を打ち切られるリスクがある――そうしたことも、人権対応の動機の1つにはなるかもしれません。けれども、自分たちの社会をもっと豊かで、人々が傷つかないものにしていくのは、投資家の金が欲しい、とか儲(もう)かるからやるという次元の話ではない。そんな問題とは関係なしに、必ず守らなければいけない最低限のルールなはずです。
羽生田:今、若い人たちの感覚が、一世代、二世代前の人たちとは変わってきていて、「人を傷つけないこと」に価値を見いだす世代が増えてきた可能性もある。そこはいい変化かなと思います。人権に配慮する会社の売り上げが伸びるかどうかは、その会社の実力による部分も大きいですが、人権の配慮によって、労働者や消費者、取引先などのステークホルダー(利害関係者)から「選ばれる会社」になることができます。
斎藤:一方で、私は環境や人権に関して経営者が自発的に変わることはほとんど期待していません。成功体験に縛られた彼らを本気にさせるには、対立的な勢力が出てこないと難しい。「怒り」のようなパワーが必要だと思っています。
羽生田:私はコンサルタントであると同時に、NPOの顔もあります。この本は、北風と太陽のたとえで言えば、太陽のスタンスですが、北風のスタンスをとる団体の存在意義も理解しています。そして斎藤さんの言う労働運動も合わせ、四方八方からアプローチしていくことで、人権後進国である日本の今の状況をともに変えていければ素晴らしいなと思っています。
取材・文/沖本健二(日経BOOKSユニット第1編集部)
今ほどビジネスに「人権」の視点が問われている時代はありません。セクハラ・パワハラ・マタハラ、長時間労働などから、サプライチェーン上流の原材料採掘や海外製造委託先企業での強制労働・児童労働、さらには広告での差別的表現、AI開発時の差別的傾向、SNSの発信内容などまで、「人権」に配慮すべき領域は非常に幅広く、本業に直結している。もはや、法務部や人事部だけに任せておくものではなく、事業に携わるすべてのビジネスパーソンに、人権への理解と対応力が求められています。この一冊でその基本が学べます。
羽生田慶介(著)/日経BP/2200円(税込み)




