元ソニーグループ副会長、石塚茂樹さんがたっぷり語り下ろした書籍『 ソニー デジカメ戦記 もがいてつかんだ「弱者の戦略」 』。その「外伝」として、独自の戦略を持って活躍している各界の方にこの本の読後感を伺っていきます。副読本としてお読みいただければ幸いです。初回は先日、日経ビジネス電子版「前代未聞の大相撲エンタメ『サンクチュアリー聖域ー』ができるまで」に登場していただいた映画監督の江口カンさんです。このインタビューの中で、江口監督のお父様が写真家であったこと、ご本人もフィルム、デジタルで相当のカメラを使ってきたことが分かり、本をお渡しして改めて、写真への思い、そしてカメラ、ソニーのデジカメについてのお話を伺いたいとお願いした次第です。たっぷりのお話、ごゆっくりどうぞ。(聞き手:編集Y=山中浩之)
先日はありがとうございました。おかげさまでインタビューはご好評をいただきました。同時に「聞き手がなれなれしい」というごもっともなご叱正も頂戴しまして、今回は襟を正してお話を伺いたいと思います。
江口カン監督(以下、江口):いやいや、面白かったです(笑)。こちらこそありがとうございました。その後にインタビューに来る方々は、だいぶあれで予習されてます。
それはとてもうれしいです。それにしても、インタビューで「デジカメ」「ソニー」という単語を出したら、カンさんがぐいぐい食い付いてきたのでびっくりしました。改めて伺いたいんですが、お父さんは相当、写真がお好きだったと。

江口:好きといいますか、作家なので、写真=人生そのもの、だったと思います。
父は僕が32歳のとき、1999年に亡くなったんですけど、お金を稼ぐという意味での仕事は九州大学の研究者だったんですよ。それとは別に、写真家としての活動があって。
僕が広告関連の映像制作の仕事をするようになって、「お前、うらやましいな」と言っていました。父は本当は作家の、写真のほうに行きたかったみたいなんですけど、時代も時代だし、そんなので飯が食えないな、ということもあったみたいで。
九大では、理科系ですか。
江口:そうそう。本職は今で言うバイオテクノロジーみたいな、室内で植物にいろいろな種類の光を当てたり、温度や湿度を変えたりすることによって、成長がどう変わるかを研究し発表する、そういうのをやっていましたね。
写真家のお父さんからライカを譲られる
カンさんご自身のカメラ遍歴は。
江口:僕が最初に父から渡されたのはオリンパスの「TRIP」というコンパクトカメラです(正式名称はTRIP35、公式サイトはこちら)。
安くて頑丈で映りがいい大ロングセラー機ですね。
江口:その後、父のお下がりでニコンのF2。
えっ、すごい。さすが。
江口:F2を一番使いました。大学でもこれで写真をたくさん撮りましたね。もちろん今でも持っています。
持っていらっしゃる。そうですか。
江口:父が亡くなる何年か前に「カメラを少し処分するから」と、ライカももらいましたし。
おおっ。
江口:僕のはM6です。これと合わせてライカが4台、いやもうちょっとあったかな。ハッセルブラッドもあったし。
結構なものですね。カンさんは使わなかったんですか。
江口:ライカはほとんど使わなかった。もらった頃、ちょうどQV-10(カシオ計算機)が出てきて、買ったんじゃなかったかな。
おっと、ここでデジカメが出てきた。しかし、ライカをもらってもQV-10のほうに気が行くというのが面白いですね。
江口:「デジカメ、圧倒的に便利じゃん」と思って。革命でしたよね。
でしたよね。撮ったらすぐ液晶画面で見られて、テレビやパソコンに出力もできて。当時私はパソコン誌にいたので、業界的にはめっちゃ親和性が高くて、これは面白いと大騒ぎして、そのときの仕事や記憶が『ソニー デジカメ戦記』にもつながるんですけれど。でも、カンさんは九州芸術工科大学(2003年に九州大学と統合)で、映像をつくっていたんですよね。「こんな画質じゃ使えねえよ」とは思わなかったんですか。
江口:何て言ったらいいのかな。そこを説明しようと思うと、テープメディアのビデオカメラの話とそれを使ったビデオアートの話になっていくんですけど。僕の学校にはフィルム派とビデオ派がいたんですね。こんなめっちゃマニアな話で大丈夫ですか。
いやいや、大歓迎です。
江口:うちの大学って、松本俊夫(1932年3月26日~2017年4月12日、映画監督、映像作家、映画理論家。元日本映像学会会長)という、「ドグラ・マグラ」とかを監督した有名な先生がいらっしゃって、僕が入学するのと同時にその大学を辞められたんですけど、その人が教えていたのがフィルムを使った実験映画で。なので実験映画の巣窟みたいな学校だったんですよ。その実験映画っていうのがクソつまんないんだけど、毒性が強いというか、なぜかハマっちゃうんです(笑)。
そっちにもハマっていったんですけど、僕は根がミーハーだし、現代アートとかも好きだったので、ナム・ジュン・パイク(1932年7月20日~2006年1月29日、韓国生まれでドイツ、米国で活動した現代美術家)とかを知って、フィルムとはまた違う新しい映像を使ったアートみたいなことをやり始めたんです。
それはQV-10とつながってきますね。
江口:そうなんですよ。フィルムは画質は優れていますが、ビデオにはビデオの意味がある。例えば、即時性ですね。そこを作品のテーマにしよう、といった話なんですけど。画質も、あの決して深くはないけど、ちょっと生っぺらい感じは実は決して嫌いじゃなかったですね。
あれもこれもみんな買いました!
QV-10をきっかけにデジカメを使うようになって、そのあと手に入れたデジカメはありますか。
江口:CONTAX SL300R T*(京セラ) というデジカメです。めっちゃかっこよかった。今も持ってますよ。
これはまた、どマイナーなところを。
江口:それをよく使っていて、でも、やっぱりサイバーショットの、何だっけ。P1だったかな?

P1ですか。はいはい。ちなみに、石塚さんにトラウマを残したトラブル(電池の残量がすぐなくなる)は出ませんでしたか?
江口:僕はありませんでした。P1はやっぱりデザインが画期的にカッコよくて買いましたね。あ、でも先にこれも(本の表紙を指さして)買ったんだよな。
初代F1も?

江口:初代ではなくて、本にもありましたけれど同じデザインで改良が進んだ(Fシリーズの)後継機を買いました。何代目かはちょっと覚えてないですけど。そしてP1を買って、石塚さんが「スシ」と言っていたのも買いましたし。
U10も買ったんですね。

江口:これは完全に小ささに引かれました。ソニー好きとしては、小さいは正義ですから。でも、U10は小さすぎました。画面が本当に見えない。ホント使いにくかったですが、ある種スパイカメラ的な小さいがゆえのワクワクはありましたね。
ソニー好きだったんですね。
江口:はい。あ、そういえばマビカも学校にありましたね。
デジタルマビカですね。ソニー好きに加えて、結構、石塚さんが関わった機種を買っていますね。

江口:そうですね。そして最後に買ったソニーのデジカメがNEX-7でした。NEX-7がいいなと思ったのは、マウントアダプターをかまして、オールドレンズが使えること。ライカのレンズが家にごろごろしているので。
あ、そうか、お父さんの。

江口:そう。この組み合わせがかっこいいんですよね、アンバランスさが。薄くて小さくて、ムダのないボディーのちょっと未来的な感じと、武骨なオールドレンズが合体しているところが。そしてNEX-7はあれですよ、ファインダーが付いていたんですよ。
背面液晶とは別に、有機ELのEVFが付いている。そこは評価したい点なんですね。
江口:オールドレンズはオートフォーカスが使えないから、自分でフォーカスを合わせるじゃないですか。背面の液晶よりも、ファインダーで見たほうが僕は合わせやすかったです。
NEXシリーズは石塚さんが外観から広告までこだわって世に出したシリーズですよ。
江口:本にもありましたね。デザイナーとのやりとりが面白かった。
江口さんは石塚さんの思い入れがある機種をかなり買ったり使ったりしてますね。
江口:そう。だから、『ソニー デジカメ戦記』の感想を一言で言うと、「石塚さんの悩みは俺たちにバンバン伝わっていたよ」です。
えっ、どういう意味ですか。
「ここは悩んだんだろうな」というのが手に取るように分かる
江口:新製品が出て、俺たちが買うじゃないですか。だけどそうするとマイナーチェンジとか、後継機とかが、どんどん出てくるじゃないですか。それで出てきた新型で改良されているポイントが「ああ、やっぱり」というところなんですよ。
石塚さんや、ソニーの開発陣も「ここ、どうしよう」と悩んでいたんだろうなという。
江口:そうそう。製品とその後継機を見るとにじみ出てくるんです。開発陣の悩みが。この本を読んで答え合わせができた感じですね。「ですよね、買った僕には全部分かっていましたよ」と思いながら読みました。石塚さんは全然隠そうとしていないのか、それとも、隠していたのに出ていたのか分かりませんけれど……。
それは明らかに前者ですね。ご自分がご存じでご自身が関わったことなら、都合の悪いことでも一切隠そうとされませんでした。なので「期待したほど売れなかった」機種の話もガンガン出てきます。売れた話より、そっちのほうが多かったですね。
江口:ああ、やっぱりそうですか。すごく潔い印象でした。だから「次はこうしなきゃ」って、開発陣がドタバタ頑張っていたんだろうという様子がおのずと伝わりますね。
そうして新型機が出てくるとまたカンさんは買う。
江口:そう、「この前買ったのにまた新しいやつが出るんだ」みたいな。でも、追い掛けるじゃないですか。あ、そういえばすごく薄いのも買ったな。俺、これの黒を買ってますわ。
え、Tシリーズも買っているんですか。

江口:そう。これ(T1)のさらに薄いやつが出て。
T7ですかね。
江口:かっこいいんですけれど、使いにくいんですよね、薄すぎて。
石塚さんも言っていましたね、そういえば。薄くて軽すぎて手ぶれするって。それもあってそんなに売れなかった、と(本書79ページ)。
よくここまで率直に語ってくれましたね
江口:そう。全部分かるんですよ。石塚さんが悩んでいたことを全部、俺は分かりながら使っていた感じ。本当に使いにくいなと思って、分かっているのかな、カメラのことをって思っていたら、後でご自身が言われているじゃないですか。「ソニーのデジタルカメラになにが足りていなかったのか」というYさんの質問に、「写真を撮るカメラ」をつくっていなかった、って。
石塚:僕らは「写真を撮る道具をつくっている」というよりも「デジタルで何か新しいことができる製品をつくっている」という感覚だったんです。別の言い方をすれば、「写真を撮る」ということを、たぶん主眼に置いてなかった。今までのカメラとは何か違うことができる、ということを目的にしていた。
(『ソニー デジカメ戦記』第8章「5年で首位を獲ったソニー『技術だけでは勝てなかった』」227ページ)
さらっとこんなことを言われたので、聞いているほうはびっくり仰天しました。聞き返しましたが「本当のことだから」と。

江口:そうそう。当時、僕も本当に思っていました。ソニーの人たち、絶対にカメラを使ってねえよなって。それにしてもまあ、石塚さん、よくここまで率直に話してくれましたね。
ええ、ここまでは普通は言わない、言えないですし、広報さんが止めるでしょうね。ソニーのデジカメを草創期からフルサイズミラーレスで業界トップになるまで引っぱってきた石塚さんだから話せることです。
江口:ですよね。今のαシリーズの成功があるから話せるのであって。でも、言わなければ分からない自分の弱みを、堂々と話せるのはすごいと思う。
そうですね。一方で、そのソニーの弱点を、使うほうは江口さんのように、ちゃんと感じ取ってもいた。きれいごとで隠したって、ムダといえばムダなわけで。
江口:そう、ユーザーはちゃんと分かっている。もう、当時めちゃくちゃ感じていましたね。ソニーの製品は面白いけれど、本当に使い手のことを考えてないな、と。例えばCLIE(クリエ)とか、めっちゃ俺は愛用していたんです。何台も使いました。いきなりなくなったでしょう、あれ。

なくなりましたね。石塚さんの話にも出てきます(100ページ)。
「お布施だから、しょうがないよな」
江口:パシッとなくなったじゃないですか。「えーっ、俺のためてきたデータをどうしてくれるんだ」って思いますよね。きついこと言いますけれど、本当に思い付きで始めて、面白がって伸ばしていって、でも、逆風が吹いてくるとパタッと止まるんですよね。
うーん。
江口:クリエで思い出しました。ソニーのノートパソコン、VAIOのC1だっけ。
はいはい。これですね。かっこよかったですね。

江口:あれも何台も買いました。
これもまたのちに石塚さんの部隊に加わった人が開発したパソコンです。江口さん、なんだか石塚教の信者さんみたい。めっちゃソニーにハマってましたね。
江口:信者。ああ、僕らソニー好きは(不満はあるけれどソニー製品を買うことを)「お布施」と呼んでいましたね。「ソニー製品を買うのは、お布施だからしょうがないよな」と言って。
その後お布施はアップルに受け継がれるんですけど、確かに当時はそんな感じでした。
江口:ねえ。
何でそんなにお布施を出す気になったと思いますか?
江口:一番大きな理由は、やっぱり期待です。いつでもすごく、ソニーには期待していましたね。
そうですね。お布施は期待か。そうか、そうか。
江口:お布施は期待ですよね。投資、と言えるかもしれないですけど。
こっちの期待が100%満たされることはないと分かっているけど、次の製品への期待は捨てないよ。だから、買うよと。
親譲りのニコン党、冷たく見ていたソニーの本格派デジカメ
江口:うん。そして業界の人間として見逃せないのが、CMのかっこよさ。
CMはかっこよかったですよね。
江口:猿が聴くウォークマンとかね。
あれは最高でしたよね。
江口:だからこそ、製品としても、いつか本当にずっと持っておきたくなるものを出してほしいなと思いながら、買い続けていましたね。
石塚さんのお話の中にも悪戦苦闘が語られていますけど、ソニーはニコン、キヤノンに対抗しようと、高性能な一体型の大型コンデジを出したり、コニカミノルタの事業継承までやって一眼レフデジカメも出したりするじゃないですか。ああいう、本格派のデジカメは買いませんでしたか?
江口:あれはちょっとないなと思いましたね。ほら、そこはおやじの影響があって、(本格派のカメラは)ニコンなんですよ。だからニコンのデジタル一眼レフは買いました。でも、ソニーがこういうのを出す意味はあるかなと。
カメラ市場の本丸、本格派のカメラを手掛けないと﹂という強い危機意識があって、コニカミノルタから事業継承までして手に入れたデジタル一眼レフが、うまくいかなかった。その理由はどこにあるのでしょうか。
石塚:もともとコニカミノルタが持っていたシェア以上を取れなかった。ということは、ユーザーの心を動かせなかったんでしょうね。「ソニーがデジタル一眼レフを出した、だから何なの?」と。一眼レフの世界では、ソニーだから売れるということは全然ない。ソニーブランドの値打ちがないので、うまくいかなかったわけですよ。
(『ソニー デジカメ戦記』第4章「ソニーらしいレンズ交換式カメラへの長い道のり」119ページ)
石塚さんが言っていたとおり、やっぱりそういう冷たい目で見られていたんだ。
江口:僕はそうでしたね。これだけソニーが好きだったけれど、逆に、あれを出してきたときが一番中途半端に感じて、「もう買わないかも」って思いました。意味があるのかな、という。
厳しいですね。でも実際にソニーの一眼は苦戦が続いて、レフ(ミラー)搭載機からミラーレスへの移行で息を吹き返すわけですが。
石塚:A1プロジェクトの初年度というのはこんな感じで、まだNEXもあったし、Aマウントも売っていました。そこに、フルサイズのミラーレスを出しましたと。でもこの時点で、ミラーレスがこの後レンズ交換式カメラの主流になっていく、と予想した人は、あまりいなかったと思います。
なるほどミラーレスだけあって、フルサイズでも小さくて軽いね、でもやっぱりピントが合うのが遅いし、レンズもこれからだね、と。
石塚:そうそう。そんなふうに「やっぱりフルサイズでもミラーレスはたいしたことない」と、デジタル一眼レフで天下を取っている上位メーカーに油断してもらうことも、実は計算していました。
(第6章「写真」を撮るカメラでは、ソニーは“弱者”だった)
ちなみに、江口さんは最近のソニーのミラーレス一眼に触ったことはありますか。
(映像作家としての現在のソニーのカメラ評、「サンクチュアリ-聖域-」との関わりは、後編に続きます)
[日経ビジネス電子版 2023年7月18日付の記事を転載]
山中浩之(著)、日経BP、1870円(税込み)
