2024年秋、7作目の小説『 愛するということは 』(新潮社)を刊行した中江有里さん。孤独な子育ての道を選んだ母と、母との関係に苦悩する娘の30年にわたる日々をつづった長編だ。自身も母との関係に悩んだ経験を持つ中江さんは、その状況にどう対処したのか。「親子」をテーマとするお薦めの本についても聞いた。
1回目「 中江有里 「愛すること」でもゴールへの道は多様であっていい 」から読む。

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中江有里(なかえ・ゆり)
1973年大阪府生まれ。法政大学卒業。89年芸能界デビュー。NHK朝の連続テレビ小説「走らんか!」ヒロイン、映画「学校」「風の歌が聴きたい」などに出演。NHK「週刊ブックレビュー」で司会を務めた。読書に関する講演、小説、エッセー、書評も多く手がける。著書に『愛するということは』(新潮社)、『わたしたちの秘密』(中公文庫)、『万葉と沙羅』(文春文庫)など。文化庁文化審議会委員。天理大学客員教授。

『かわうそ』をイメージして書いた「怖い妻」

30年という年月を追った長編小説だけに、 『愛するということは』(新潮社) は登場人物が多く、脇役たちも個性的です。中でも一時期、里美と道ならぬ関係を結ぶ新庄は鮮烈な印象を残します。

 実家の援助も定職もなく、娘を1人で育てる里美は、客観的に見れば不幸かもしれません。でもその一方で、新庄との幸せな日々も確実に存在した。幸福そうな里美を見ることは、娘の汐里にとっても喜びだったはず。3人が共に過ごした時間は、よきものであったなと私自身も感じます。

ただ幸せもつかの間、新庄は思いもよらぬ不幸に見舞われ、優しく気立てがよいはずの新庄の妻は、残酷な素顔をのぞかせます。そのくだりはまるで独立した短編小説のようです。

 確かにそうかもしれません。実は新庄夫妻の関係を書いている間、イメージしたのは向田邦子さんの短編小説「かわうそ」なんです。

なるほど。夫の不幸をよそに何食わぬ顔で朝食のパンをむしゃむしゃ頬張り、きっちり計量したコーヒーを薄笑いしながら味わう新庄の妻には、確かに「かわうそ」の主人公の妻に通じる、底知れない恐ろしさがあります。

 ですよね。ただ新庄の妻に限らず、人は怖さやしたたかさを心のうちに持つ生き物なのかもしれないです。

「お母さんはあなたの妹」の一言で、胸のつかえがとれた

汐里と同様、中江さんはシングルマザーのお母さんに育てられたそうですね。どんなお母さんでしたか?

 妹がいたので母1人子1人ではありませんでしたが、お金に余裕がなく働きづめだった点は里美と同じ。とにかく強くてしっかりした母でした。
 ところがある時から親子の関係性が逆転し、何かと私を頼るようになって。10年ほどは「どうしてこんなにダメな人になっちゃったの」と腹立たしさが募り、母との仲がギクシャクしがちでした。
 でも数年前、知人に「お母さんはあなたの妹のような存在だったの」と言われ、すごくしっくりきました。

どういう意味でしっくり来たんですか?

 母は3姉妹の次女で、本来は甘えん坊の妹気質だったと思うんです。それなのに、娘の私の前では弱いところを見せまいと、ずっと無理してきたんだ、と腑に落ちて、いとおしさが込み上げてきました。同時に、私自身が「立派な母」の理想像を作り上げ、その型にはまらなくなった母を突き放していたことにも気づきました。母としてではなく、1人の女性として見る。よい関係性を築くにはその視点が何より大事だったのだと、ようやく理解できました。
 この作品の執筆中に、母は病気で亡くなったのですが、思い起こせば、苦労を重ねながらも母はずっと私を愛し続けてくれていた。わだかまりが消えたことで、亡くなる前の母に優しく接することができたのは幸いでした。

親子関係に悩み、この本を手に取る人も多いかと思います。そうした人たちに伝えたいことは?

 火花が散るような「愛する」という感情は、激しい分、すぐ燃え尽きてしまうもの。瞬間の感情である「愛する」こと以上に難しいのが、どんなときも「愛し続ける」こと。休みのない営みである子育ては、究極の“継続する愛”だといえます。
 子どもが成長したのは、休まず愛を注ぎ続けた結果にほかなりません。親子のありように悩んでいる方には、「目の前に立つ子どもの存在自体が、親が作り上げた尊い愛の形」なのだと、この本を通して強く訴えたいです。

内田也哉子さんが亡き両親を見つめ、出会う旅

 自分自身の経験も踏まえ、親子の関係性をテーマとした2冊を紹介します。1つは『 BLANK PAGE 空っぽを満たす旅 』(文藝春秋)。母の樹木希林さんと、父の内田裕也さんを立て続けに亡くし、深い喪失感に見舞われた一人娘の内田也哉子さんが、「会いたい」と切望した人々と対話し、編んだエッセー集です。

『BLANK PAGE 空っぽを満たす旅』(内田也哉子著、文藝春秋)/画像クリックでAmazonページへ
『BLANK PAGE 空っぽを満たす旅』(内田也哉子著、文藝春秋)/画像クリックでAmazonページへ

 「心の引き出しに仕舞われたものを探し当てるように、生きること、死ぬこと、人との関わりについて語らった」という相手は、谷川俊太郎さん、小泉今日子さん、養老孟司さん、坂本龍一さん、ヤマザキマリさん、是枝裕和さん、横尾忠則さんといった15人の面々。中でも強く私の心に残ったのが、マツコ・デラックスさんとの語らいを基につづった一編です。

 「(母は)自分にとっての枷(かせ)でもあった。でも私が自分というものは押し殺して我慢してでも『あなたには幸せでいてほしい』と思えた人がもういなくなってしまった」「さすがに気づいてはいたはずだけど、(ゲイであることを)面と向かって言えてないのは心残り」…。普段テレビなどでは語ることのない亡き母への思慕をマツコさんが衒(てら)いなく打ち明けたのは、也哉子さんが「芸能界での心残りは希林さんに会えなかったこと」というほど心酔する人の娘だったのも理由でしょう。まさに亡き親がつないでくれた宝物のような縁です。

 私も生前の希林さんに幾度かお会いしたことがありますが、この本を読んで驚き、感心したのが、希林さんの徹底した裏表のなさ。希林さんは「母と娘」ではなく「個と個」であることを幼い頃から也哉子さんに求めていて、2人の間には「冷めた距離感」があったそう。相手が誰だろうとベタベタしない潔いそっけなさは、私が感じ取っていた希林さんの印象と見事に一致します。かわいいはずの娘であっても、態度を変えないのが希林さんだったと分かります。

 「人間は当たり前にみんな孤独」が口癖で、まだ小学生の也哉子さんを突き放すように海外留学させた。そうした希林さんの行動を「そういうものだ」と黙って受け止め続ける中で、也哉子さんは自分という器を広げ、文学をはじめとするさまざまな才能を開花させていったのではないか。そんなふうに想像しました。

 この本には裕也さんの葬儀における也哉子さんの喪主挨拶も収録されています。熱をこめすぎない“引き算された表現”を用いながらも、「共に過ごした時間の合計が数週間に満たない」という父への思いがほとばしった文章に圧倒されます。

娘を支配する母、母から離れられずわが道を見失う娘

 もう1つの作品が、イギリス人作家、デボラ・レヴィの『 ホットミルク 』(新潮社)。原因不明の病で歩けなくなった母・ローズと、献身的に介護に当たる25歳の娘・ソフィが、名医の診察を受けるため南スペインの海辺の町に出かけ、ひと夏を過ごす物語。イギリスの権威ある文学賞・ブッカー賞の最終候補作品でもあります。

『ホットミルク』(デボラ・レヴィ著、小澤身和子訳/新潮社)/画像クリックでAmazonページへ
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 文化人類学の博士号を目指しながらも、病のせいで抑圧を強める母に付き添うことを選んだソフィは、キャリアを諦めたことで、人生に展望を見いだせずにいます。ローズのソフィに対する依存の強さは異常の一言。娘の同情を引こうと「足が動かないから、切断する」と言い出し、切断を拒む主治医を訴える始末です。母の束縛から逃れるため、ソフィは許されざる行動に出ますが、それもいたしかたないと感じるほど。「毒親は世界中にいる」と思い知らされました。

 物語の冒頭、ソフィはスペインで「メデューサ(見た者を恐怖で石のように硬直させるギリシャ神話の怪物)」と呼ばれているクラゲに腕を刺されます。何度もぶり返す強い痛みが、抑圧に苦しむ彼女の心理状態を表しているかのよう。どこかけだるい南欧の海辺の町の描写も魅力的です。同作は映画化が決定しているとか。ソフィが下した選択の行く末を、スクリーン上でも確かめたいです。

取材・文/籏智優子 構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集) 写真/オフィスクレヨン(中江さん)、スタジオキャスパー(本)