コロナ禍で売り上げは95%減まで落ち込み、廃刊の危機に直面した、歴史ある旅行ガイドブック『地球の歩き方』。ピンチのさなか、「海外旅行ガイド」の“型”を打ち破り、国内ガイドを展開するなどでV字回復を遂げた。『ジョジョの奇妙な冒険』『ムー』『スター・ウォーズ』など、異世界とのコラボも話題に。V字回復の立役者の一人であり、現編集長として多彩なアイデアを取り入れる由良暁世さんの、考えの源になっている愛読書を聞いた。

2002年から『地球の歩き方』の編集に携わり、現在は編集長を務める由良暁世さん。ヒット作『地球の歩き方 JOJO ジョジョの奇妙な冒険』を企画した人物でもある
2002年から『地球の歩き方』の編集に携わり、現在は編集長を務める由良暁世さん。ヒット作『地球の歩き方 JOJO ジョジョの奇妙な冒険』を企画した人物でもある

「インド」グミに、コラボカレー

 『地球の歩き方』のユニークな企画は、旅行ガイドだけにとどまらない。2023年4月、ファミリーマートとコラボして「地球の歩き方グミ インド編」を発売するやいなや、SNSで話題に。同年11月にはグミの「台湾編」と、「地球の歩き方チョコ イタリア編」も実現した。さらに、24年にはスパイスメーカーと「世界のカレー図鑑レトルトカレーシリーズ」を販売したり、「世界を旅する」をコンセプトに飲食チェーンPRONTO(プロント)の朝食メニューでコラボしたりと、活躍の場を食にまで広げている。

カレーは、第1弾はスパイスメーカーの「36チャンバーズ・オブ・スパイス」と、第2弾は静岡県の食品製造も手掛ける企業「鳥善」とコラボした。「せっかく作るなら本物感を追求しようということで、現地の味から離れないようにこだわりました」(由良さん)
カレーは、第1弾はスパイスメーカーの「36チャンバーズ・オブ・スパイス」と、第2弾は静岡県の食品製造も手掛ける企業「鳥善」とコラボした。「せっかく作るなら本物感を追求しようということで、現地の味から離れないようにこだわりました」(由良さん)

今はもうない国や過去の時代もガイドする

 25年には、Xのつぶやきがきっかけで実現したアイデアもある。「『地球の歩き方 ハプスブルク帝国』とかあったら絶対面白そう、というつぶやきがプチバズりしていたんです。ちょうどその頃、編集部内で『ムー』や『ジョジョの奇妙な冒険』の他にも、異世界を旅する企画ができそう、と話していたので『その手があったか!』と。今はもうない国や過去の時代も、『地球の歩き方』なら紹介できる、と確信して取り掛かりました」。これが、発売前から重版がかかる大反響を呼んだ。

 『 ハプスブルク帝国 』は、もし今の時代から中世~近代のハプスブルク帝国を訪れることになったら? という視点で作ったガイドブックだ。「明治政府発⾏の旅券と、領事館または外務省の紹介状があれば⼊国は可能」などと記されている。「うっかりタイムスリップしてもご安心を。表紙カバーはリバーシブルになっていて、裏返すとハンガリー・ブダペストのマーチャーシュ教会のステンドグラスをイメージしたカバーデザインに変わり、未来人とバレずに旅を楽しめます」と言って由良さんはほほ笑む。

『ハプスブルク帝国』だけでなく『戦国』『昭和レトロ』など、時代を飛び越えたシリーズを展開する
『ハプスブルク帝国』だけでなく『戦国』『昭和レトロ』など、時代を飛び越えたシリーズを展開する

「さすが世阿弥先生!」

 さまざまな編集部のアイデアを育て、積極的に形にする由良さん。その仕事術の参考になっているのが、「演劇」についての本だという。「私は大学の専攻が文学部・演劇映像専修で、能・歌舞伎・浄瑠璃など日本の伝統芸能から、国内外の映画やシェイクスピア劇まで、幅広くアカデミックに学んできました。課題の1つとして読んだ室町時代の能楽師・世阿弥(ぜあみ)の『 風姿花伝 』(世阿弥著、野上豊一郎、西尾実校訂、岩波文庫)は、ふとした時に読み返す愛読書になっています」

心に残った箇所には付箋を付けている、『風姿花伝』(世阿弥著、野上豊一郎、西尾実校訂、岩波文庫)/画像クリックでAmazonページへ
心に残った箇所には付箋を付けている、『風姿花伝』(世阿弥著、野上豊一郎、西尾実校訂、岩波文庫)/画像クリックでAmazonページへ

 「本書は、世阿弥が600年以上前に書いた能楽の聖典と称される本です。こんなに長く読み継がれていることがまずすごいな、と。もちろん能について書かれた本なのですが、その根底に流れる考え方は組織論や人材育成にも通じるものがあり、ビジネスパーソンに読まれているのも納得です。世阿弥は能を大成した表現者として、人を見抜く慧眼や人間への深い洞察力を持っているんですね。その視点が時代を超えて、現代の経営者やマネジメント層に刺さるのだと思います」

 世阿弥は人生には7つの節目があるとしていて、それぞれの時期に応じた修業のあり方を説いている。「学生時代に読んだ時は、『ふーん』と読み流していましたが、読み返したところ、44~45歳にもその“節目”があるそうでして。私が編集長になった年齢がまさにその頃。そこには、後進の育成を意識する時期だといったことが書かれていて、『さすが世阿弥先生! そういうタイミングなんですね』と得心しました」

演劇も仕事も、素の自分で勝負しなくていい

 「演劇を学んでいたことが、社会でどう役に立つのだろう、とずっと考えていました」と由良さん。その問いに1つの答えを示してくれたのが『 演劇脳とビジネス脳 』(西村真里子、宮城聰編著、講談社エディトリアル)だという。

『演劇脳とビジネス脳』(西村真里子、宮城聰編著、講談社エディトリアル)/画像クリックでAmazonページへ
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 本書は、国際的に活躍する演出家の宮城聰さんと、日本を代表する9人のビジネスリーダー(元サントリーホールディングス会長の新浪剛史さんやスズキ社長の鈴木俊宏さん、連続起業家の孫泰蔵さんなど)との対談を通じて、演劇とビジネスの思考の“交差点”を探る内容となっている。

 「演劇に詳しくない人でも、マネジメントやチームビルディングのヒントを得られると思います。演劇では、役柄ごとに最適な配役をすることが作品の質を左右します。それは、多様な人材を適材適所に配置する組織づくりとよく似ています。仕事でも、『素の自分で勝負しなければ』と気負う必要はなく、託された役割を全うすればいい。そう考えると気持ちが楽になりませんか? 素の自分で働こうとすると、“自分らしさ”を発揮しなければいけない…という発想になって、意外としんどくなるものですから」

 演劇でも旅先でも仕事でも予想外のトラブルが起きたら、アドリブを効かせるがごとく、この局面で自分がどう動けばいいかを考える。「一人ひとりのそういった行動と経験の積み重ねが、組織の全体最適につながると思います」

キツネが教えてくれた人との関わり方

 編集長になる前は、『地球の歩き方』でフランスを長く担当していたという由良さん。フランス人作家・サン=テグジュペリの『星の王子さま』の大ファンでもある。愛蔵しているのは、ページをめくると絵が飛び出す大判の 仕掛け本 (サンテグジュペリ作・絵、池澤夏樹訳、岩崎書店)。「以前箱根にあった『星の王子さまミュージアム』で買ったものだと思います。子どものころから仕掛け本が好きで、この本もたまに広げて眺めています。不思議と気持ちが落ち着くんですよね」

『星の王子さま(ポップアップ絵本<コンパクト版>)』(サンテグジュペリ作・絵、池澤夏樹訳、岩崎書店)/画像クリックでAmazonページへ
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 『星の王子さま』は、「いちばん大事なものは目に見えない」や「大人は誰でも元は子供だった」など、心に残るフレーズが多いことでも知られる。由良さんが最も印象に残っているのは、王子さまが旅路で出合うキツネとのエピソードに出てくる「飼い慣らす」という言葉だ。

 「キツネは王子に『おれを飼い慣らしてくれ!』と頼みます。『飼い慣らす』って、現代語では従わせる、支配する…といった意味で、いいイメージがありませんよね。でも作中では、『絆を結ぶ』『唯一無二の関係になる』というより深い意味で使われています。仕事はもちろん、人との関わり方そのものを考えさせられるシーンとして、深く心に残っています」(次回へつづく)

取材・文/茅島奈緒深 構成/大松佳代(日経BOOKプラス編集) 写真/洞澤佐智子