ロレックス、ヴィトン、ポルシェ…成功するブランドが大切にしている「ヘリテージ」とは何か 』を刊行したスイス生まれの気鋭のブランド学者、大阪大学大学院のピエール=イヴ・ドンゼ教授がスイスの時計、ジュエリーブランドのショパール共同社長、カール-フリードリッヒ・ショイフレ氏と対談。ビジネスにおけるファミリーの役割、日本のラグジュアリー市場の動向などについて1時間じっくり語り合った。その後編。

ショパール共同社長のカール-フリードリッヒ・ショイフレ氏(右)と大阪大学大学院のピエール=イヴ・ドンゼ教授(写真=宮田 昌彦、以下同)
ショパール共同社長のカール-フリードリッヒ・ショイフレ氏(右)と大阪大学大学院のピエール=イヴ・ドンゼ教授(写真=宮田 昌彦、以下同)

市場の発展に伴い、流通モデルも変化

ピエール=イヴ・ドンゼ氏(以下、ドンゼ):ショパールのようなスイスの独立系ラグジュアリーブランドにとって、日本市場は現在どのような存在でしょうか。

カール-フリードリッヒ・ショイフレ氏(以下、ショイフレ):私が初めて日本を訪れたのは35年から40年前だったと思います。当時はまだ代理店を通じて事業を行っていました。スイス時計の輸入が本格化し始めた時代で、高い関税もありました。私は現在までの発展を見てきましたが、日本の時計市場とジュエリー市場は高いレベルで発展したと思います。

 市場の発展に伴い、流通モデルも変化しました。最初は輸入代理店がありその先に百貨店などへ出店する小売店があるという構造でしたが、その後、自社の現地法人による体制へ移行しました。日本法人を設立したのは2006年で銀座に開設した最初のブティックの建物に日本法人も入りました。そこから直営流通への転換を本格的に進めました。当時に比べると、現在の取引先数は半分以下になっています。多くの店舗を自社で運営し、百貨店内の場合もよりラグジュアリーな環境の中で展開しています。私たちにとって非常に満足のいく発展でした。時計、ジュエリーの両分野において、日本市場にはまだ大きな可能性があると考えています。

ドンゼ:日本の時計市場では少し前までインバウンドの存在が大きなテーマになっていると思いますが、現在はいかがでしょうか。

ショイフレ:かつてはインバウンド比率が高く、私自身、そうした状況に対してある程度の懸念を持っていました。しかし当然ながら、お客様が日本を訪れ、日本で購入を楽しんでくださること自体は喜ばしいことです。一方で私たちは長年にわたり国内市場の開拓にも力を注いできました。その結果、現在はよりバランスの取れた状況になっており、国内顧客の比率が高まっています。

ドンゼ:商品そのものにも違いがあるのではないかと感じます。日本人コレクターと海外からの購入者とでは、好みが異なるのではないでしょうか。

ショイフレ:私たちには世界的に人気のあるコアコレクションがあり、近年はL.U.Cコレクションの発展にも成功しました。このコレクションは日本で高く評価されています。また、スポーツウォッチの「アルパイン イーグル」は、父、私、そして息子という3世代にわたるプロジェクトでもあります。このモデルは日本市場において新しい顧客層との接点を生み出し、新たなコレクターとの出会いにつながりました。ジュエリーでは「アイスキューブ」と「ハッピーダイヤモンド」という2つの成功したコレクションがあります。ハッピーダイヤモンドは26年で50周年を迎えました。

ドンゼ:ハッピーダイヤモンドのコンセプトは50年前の日本でも大きな成功を収めました。

ショイフレ:その通りです。日本でショパールの名前が広く知られるきっかけになったのがハッピーダイヤモンドでした。

ドンゼ:当時のショパールは、女性向けジュエリーウォッチブランドとして認識されていたわけですね。

ショイフレ:そう言えると思います。ただし、それは当時の輸入代理店がこのコレクションを重点的に紹介していたことも影響しています。

ドンゼ:それはまさに流通をコントロールすることの重要性を物語っています。

ショイフレ:今日において、ブランド自身が流通とマーチャンダイジングをコントロールすることは極めて重要だと考えています。

円安が進んでも価格は頻繁に調整できない

ドンゼ:スイスの時計ビジネスについて、スイスフラン高は世界中で進み、日本では円安も進んでいます。価格を上げ続けるわけにもいかない中で、どう対応していますか。

ショイフレ:確かに現在、円建てでスイス時計を購入する環境は難しい状況にあります。ただ、価格を頻繁に調整できるわけではありません。また、金を使った製品については金価格という別の要因もあります。ただ、先日あるお客様が「今買わなければ、明日にはもっと高くなっているかもしれない」とおっしゃっていました。製品の価値が通貨価値に対して維持されるという側面があります。

ドンゼ:金についてお話が出ましたが、ショパールはエシカルゴールドの推進で知られています。

ショイフレ:これは私たちの歴史とも関係しています。私たちはかなり早い段階で、自社の金溶解設備を導入しました。当時、そのような設備を持っていた時計メーカーはごくわずかでした。私たちは自社で合金を製造し、生産過程で生じるスクラップゴールドも再溶解して再利用しました。そのため金に関しては早くから高度な垂直統合体制を築いていたのです。原材料の調達から合金製造、ケースやブレスレットの生産に至るまで、金の流れを社内で管理できました。つまり私たちの循環は閉じたシステムになっていたのです。そのおかげで認証された供給源からのみ金を購入し、それを社内で追跡管理するエシカルゴールドの導入も比較的容易に行うことができました。このような体制を持っている企業は現在でもそれほど多くありません。

ドンゼ:多くのブランドでは金の出所を完全には把握できないのですね。

ショイフレ:その通りです。

ドンゼ:自社で合金をつくる中で、特別なゴールドを開発されたことはありますか。

ショイフレ:私たちにも独自のレシピはありますが、可能性が無限にあるわけではありません。ローズゴールドやイエローゴールドに加えて、異なる種類のホワイトゴールドも製造しています。時計用とジュエリー用では求められる特性が異なる場合がありますので、その点で創意工夫を行っていますし、現在も研究を続けています。

ドンゼ:もう一つのブランドである「クロノメトリー・フェルディナント・ベルトゥー」についても教えてください。極めてハイエンドな機械式時計ブランドであり、複雑で特殊なムーブメントで知られています。

ショイフレ:クロノメトリー・フェルディナント・ベルトゥーはショパールグループの一部ですが、実質的には独立した部門として運営され、独自の装飾技術や研究開発体制もあります。大規模な開発チームのリソースは共有している部分もありますが、ベルトゥー専任のエンジニアも在籍しています。

 フェルディナント・ベルトゥーはブレゲ(の創業者アブラアン・ルイ・ブレゲ)と並び称される18世紀の著名な時計師の一人でした。膨大な資料や設計図を残しており、それらが現在の私たちにとって大きなインスピレーションの源になっています。主にマリンクロノメーター(航海精密時計)の開発で知られています。私たちの目標は、その名にふさわしい最高レベルの時計をつくることでした。基本的な発想はマリンクロノメーターを腕時計として再解釈することで、現在の年間生産本数は約80本です。

ドンゼ:こうした時計にとって、日本市場は重要でしょうか。

ショイフレ:日本のお客様は知識が豊富で審美眼にも優れています。クロノメトリー・フェルディナント・ベルトゥーに対しても深い理解と愛着を示してくださっており、日本市場ではよい成果を上げています。

ドンゼ:ショパールは世界中でさまざまなイベントに関わっています。カンヌ国際映画祭はその代表例ですが、時計にとって重要なのでしょうか。それともジュエリーのための活動でしょうか。

ショイフレ:カンヌ国際映画祭は世界的イベントの一つであり、高い注目を集めます。カンヌとのパートナーシップは長年にわたって続いていますが、これは主としてハイジュエリーのショーケースですが、時計も重要で、ブランド全体にとって非常に価値のある機会となっています。妹が(最高賞)「パルム・ドール」のトロフィーをデザインしており、最近はエシカルゴールドで製作するという素晴らしいアイデアによってトロフィーをリデザインしています。

ドンゼ:先代がショパールを継承した当時、小さな会社でした。しかし現在ではジュエリー、高級時計を擁する世界的なラグジュアリーブランドへと成長しています。どのようにそれを成し遂げたと考えますか。

ショイフレ:父がショパールを継承した当時、小さな工房でした。創業家のひ孫にあたるショパール氏自身が働いており、過去につくられた時計の修理などを行っていました。しかし後継者がいなかったため、会社を引き継ぐ相手を探していたのです。父はまず「ショパール」という名前を気に入り、ジュネーブにルーツを持つブランドであることにも大きな魅力を感じました。父と祖父はさまざまな企業を検討した結果、わずか数日のうちにショパールを引き継ぐことを決断。その後、父は高級ジュエリーウォッチを製造する技術とノウハウをショパールへ持ち込みました。1976年には可動するダイヤモンドを時計に組み込むという革新的なコンセプト「ハッピーダイヤモンド」が誕生し、特許も取得しました。この成功によってショパールは時計業界の中で独自の地位を確立したと思います。当時、多くのブランドは伝統的な時計づくりに重点を置いており、ジュエリーウォッチにはあまり取り組んでいませんでした。

ドンゼ:ジュエリーウォッチは当時、例外的な存在だったのですか。

ショイフレ:その通りです。私たちはその過程でジュエリー製造のノウハウも獲得しました。ジュエリー事業への本格的な扉が開かれたのは85年のことでした。

サンプルケースを持って米国中を回った両親

ドンゼ:ブランドづくりという面についてはいかがでしょうか。どのようにして人々にショパールを伝え、ラグジュアリーブランドへと育てていったのでしょうか。

ショイフレ:私が学校へ通っていた頃、両親はサンプルケースを持って米国中を回り、時には3週間も家を空けていました。当時はインスタグラムなどがありませんから、顧客に直接会い、小売店を訪ね、新しいパートナーを探し、展示会に出展する。それしか方法がありませんでした。両親はこれを徹底的に行い、市場を自ら開拓したのです。

 また、私たちは早い段階から垂直統合された流通モデルを信じ、日本など一部を除いて代理店を置かない方針を採ってきました。当時は重要なスイス時計ブランドでも自社流通を行っていない企業がまだ多く存在していましたが、当社は欧州において基本的に自社流通でした。ですから直接流通は成功の重要な要素だったと思います。かなり早い段階から、ショパールのブティック展開を始めました。当時はまだ、多くの時計ブランドが自社ブティックを運営していた時代ではありませんでしたから、これも大きかったと思います。

約1時間にわたり、2人はじっくり語り合った
約1時間にわたり、2人はじっくり語り合った

日経ビジネス電子版 2026年8月20日付の記事を転載]

誰もが知る一流ブランドには、“〈創作された伝統〉=ヘリテージ”がある。「安くていいモノ」の時代は終わり、今後はヘリテージの成否が企業の成長を決める。ユニクロ、無印良品の成功にも通じる高付加価値の方程式を、スイス人の経営学者が明らかにする。世界で勝てる強いブランドを模索する日本企業に向けた一冊。

ピエール=イヴ・ドンゼ(著)/日経BP/2640円(税込み)