稀代の経営者、稲盛和夫氏の逝去から3年。今なお信奉者が多い稲盛氏とは何者だったのか。新刊『稲盛和夫と二宮尊徳』の著者・井上裕氏が、金澤しのぶ稲盛財団理事長を訪ね、「父・稲盛和夫」と彼が遺した財団の使命について聞いた。第2回では「経営の神様」の“素顔”に触れる。

「目の前で人に頼まれるともうだめです」

 父は経営という仕事がものすごく好きな人でした。会社をやることが一番大変だし、素晴らしいことだと心の底から考えていました。ほかのことは片手間でもできるけど経営は別だと。

 会社を経営すること自体が楽しくて仕方がなかったようです。DDI(第二電電)という会社を作って通信事業に新規参入した頃のことです。通信自由化でNTTの独占に風穴を開けるんだという熱気もあったのでしょう。父は本当に楽しそうに、若い人たちと一緒になって、サークルみたいなノリで毎日仕事をしていたそうです。

 日本航空(JAL)の再建を引き受けた時もそうでした。引き受ける理由をいろいろ申していましたが、私は(経営を)純粋にやりたかったのだと思います。特に目の前で人に頼まれるともうだめです。

 JALの話が持ち上がった時、私は山崎豊子さんの長編小説『沈まぬ太陽』をすぐに読んで父に言いました。「やめとき」って。高齢だったし、過去に大病もしていましたから。でも全然聞いてはくれませんでした。頼まれると断れない。買収とか合併とかにしても、自分で始めたこと以外は頼まれたことしかやらない。そういう人でした。

 父が朝、洗面台に向かって何かぶつぶつ言っていたのは本当のことです。やりすぎたなとか、前の日に起きたこととかを、おそらく反省していたのだと思います。何を言っていたのか、私たち家族は知りませんが。父は電気カミソリを使わないので、結構時間をかけていました。洗顔とか髭剃りに。多分、内省する時間がその時しかなかったのだと思います。いったん、外に出てしまうと仕事ばかりの毎日でしたから。

稲盛和夫氏(写真:山田哲也)
稲盛和夫氏(写真:山田哲也)

上司として会っていたら、多分大好きに

 「経営の神様」と呼ばれることには相当、抵抗があったようです。何が神様だ、自分には全くわからないと。

 「なぜそう言われるのだと思う?」と聞いたことがあります。確かに何かの力が自分に働いて他の方よりも少し先にものがわかったり、見えたりすることはある。そのようなことを言っていました。父は父なりに、どうしてこんなにうまくいくのだろうと内省する時があったのだと思います。実際、ほとんど(仕事で)失敗をしていませんから。自分を助けてくれる力への素朴な感謝の気持ちがあったのは間違いのないことだと思います。

 仕事、経営一辺倒の人生でしたから、趣味と呼べるようなものはなかったように思います。普通、海外出張に行ったら、少し羽を伸ばして、ちょっと行った先にあの美術館があるから見てみようとかありますよね。それが全くない。本当に興味がない。

 本好きで歴史の本とか哲学の本とかはよく読むのですけれど、フィクションはほとんど読みません。司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』とかを読んでいるのを見たことはありますが、司馬さんの本もたくさんじゃない。映画も、飛行機に乗っている時とか以外はあまり見ません。映画館に足を運ぶことも滅多になかった。

 父はわかってほしい人なんです。クレサンベール(京セラが独自技術で開発した再結晶宝石)の開発に成功した時。「これ出来たんやで」と夜中に家に帰ってきて、私たちを叩き起こして。どうやって作るかから始まり、いかにすごいかまで、延々うれしそうに、お茶目に話す。それって、やはり自分がいかに大変だったのかを誰かに話したいんですね。だから、私などは、いつも外でそんなに格好いいことばかりじゃなくてもいいのにと、そう思っていました。

 亡くなった後には、いろいろな方から父の話をお聞きして、聞けば聞くほど、父に対しては上司として会いたかったなって思っています。そうしたら自分も、もっと成長できたかもしれない。上司として会っていたら、多分大好きになって、この人のためならどんな仕事も厭わないと考えたかもしれない。

 だけど、やはり家族はそうはならない。父にとって家族は、どこか付属物みたいなところがありました。悪い意味ではなくて、いろいろ説明しなくてもわかっているだろう、と。でも、それが当然だろうと言われれば、さすがにそれは無理です(笑)。(談 次回に続く)

金澤しのぶ氏 稲盛財団理事長
金澤しのぶ氏 稲盛財団理事長
1960年京都市生まれ、故稲盛和夫氏には3人の娘がおり、3姉妹の長女。2011年稲盛財団理事、15年同副理事長。2019年6月に1984年の財団創設以来、稲盛氏が続けてきた理事長職を引き継ぎ、現在に至る。(写真:稲盛財団)
利他の心で“ど真剣”に生き、働くことが人生の価値を高める唯一の道――。この信念こそが、「稀代の経営者」稲盛和夫氏の哲学の根幹です。逝去から3年。いまだに信奉者が多い稲盛氏の思想を、氏自身が手本とした「ど真剣の元祖」二宮尊徳の生き様と重ね合わせて深掘りします。自己利益と効率だけを追求しがちな今、ビジネスパーソンが立ち返るべき人生、仕事の向き合い方とは。経営学者、楠木建氏の解説も必見です。

井上裕著、日経BP、2420円(税込み)

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