2003年、圧倒的な軍事力でイラクのサダム・フセイン政権を打倒したアメリカ軍。しかし占領統治が始まると、敵をより多く殺害するという従来の戦い方が市民の反発を招き、反乱分子をかえって拡大させてしまいました。通常戦で「成功」を収めたアメリカ軍は、民衆の支持をめぐる戦いへとどのように転換したのでしょうか。日経ビジネス人文庫『知略の本質 戦史に学ぶ逆転と勝利』(野中郁次郎、戸部良一、河野仁、麻田雅文著)の第4章(担当:河野仁氏)から抜粋・編集してお届けします。

敵を増やした「襲撃志向」

 2003年12月にサダム・フセインが拘束されたものの、反米武装勢力による攻撃は衰えるどころか、勢いを増していた。2004年4月には、アメリカ軍の月間犠牲者数が150人近くに上り、イラク侵攻以来最悪の記録となった。

 連日行われていた掃討作戦では、夜間の強制家宅捜索、大量拘留、財産没収、そして何よりもアメリカ軍側の容赦ない武力攻撃により無辜(むこ)の市民にも多数の付随的被害をもたらしたことが背景となって、対米感情が悪化の一途をたどっていた。

 アメリカ軍はイラク侵攻後の2年間で130回以上の掃討作戦を実施したが、2003年5月1日までの戦死者数109人から、2005年2月中旬には1000人を超え、アメリカ軍側の犠牲者も激増していた。「アメリカ人兵士は誰彼かまわず発砲し、殺してしまう」というのが、イラク人のアメリカ軍兵士に対する一般的認識となっていた。イラクの民間人死者数も着実に増加していた。

 アメリカ軍兵士の「無差別殺人」を象徴する出来事が、ユーフラテス川上流のファルージャから約160キロに位置するハディサで2005年11月19日に発生した。海兵隊部隊が攻撃を受けたことに対する対抗措置として、女性や子どもを含むイラクの民間人24人が第1海兵連隊の兵士によって殺害されたのである(Ricks, The Gamble)。

 この「ハディサ虐殺事件」は、ベトナム戦争時に500人以上の民間人が殺害されたソンミ村虐殺事件になぞらえられ、イラク戦争における象徴的な民間人虐殺事件として欧米メディアに取り上げられた。この事件に象徴されるアメリカ軍兵士の「襲撃志向」こそが、イラク人の民心掌握を妨げる原因であった。

 この虐殺に関与した兵士も上級指揮官も、何も特別なことではないと感じていたと、のちに開かれた軍事法廷で証言している。このこと自体が、いかにこの「襲撃志向」が彼らの思考回路の奥深くに埋め込まれており、根本的な思考のパラダイムを形成していたかを物語っている。

現実を認めない軍の上層部

 アメリカ軍兵士の「襲撃志向」が、民間人に対する無差別殺人を発生させることによってイラク人の反感を買い、民心の離反を招くことで反乱分子を利するという悪循環は、占領期の初期のイラク各地で見られた。なかでもファルージャは、2003年4月28日に「ファルージャの悲劇」として知られるアメリカ陸軍第82空挺師団の兵士による民間人十数名の殺害事件が起きており、同年夏頃には「イラクで最も反米感情の強い町」といわれるほどの情況に陥っていた。

 その当時のアメリカ中央軍司令官ジョン・アビザイド大将は、イラクが「古典的なゲリラ戦」状態であることを認めていた。だが、ドナルド・ラムズフェルド国防長官は、頑なに「ゲリラ戦」や「反乱」が生起しているという現実を否認し続けていた。ベトナム戦争と同じく、イラク戦争においても、上層部よりも中堅の文官や軍人のほうが一貫して深い洞察力を示していたと、ジャーナリストのジョージ・パッカーは評価している(ジョージ・パッカー著『イラク戦争のアメリカ』豊田英子訳/みすず書房)。

 陸軍空挺部隊のある中佐は、イラクでアメリカ軍が直面している状況を、それまで軍隊が経験したことのない独特のものであり、「何か違う。ゲリラ戦でもなければ、毛沢東主義というわけでもない」と表現している。イラクの反乱活動には毛沢東もホー・チ・ミンもなく、明確な政治的方針のもとに組織化されたものというよりは、前体制分子、スンニ派、シーア派、イスラム過激派、外国人イスラム過激派などの各種武装勢力がバラバラに動いているように思われた。対するアメリカ軍のほうも一貫した対処戦略を欠いていた。

アメリカ軍は2003年、イラクに侵攻してフセイン政権を打倒した(写真はイメージ)(写真:Bumble Dee/stock.adobe.com)
アメリカ軍は2003年、イラクに侵攻してフセイン政権を打倒した(写真はイメージ)(写真:Bumble Dee/stock.adobe.com)

「敵の撃滅」から「民衆の支持」へ

 通常戦における究極の目的は、クラウゼヴィッツ流の古典的な戦略論においては、「敵戦闘力の撃滅」である。また、これこそが「アメリカ流の戦争方式」の核心でもある。湾岸戦争やイラク戦争の初期侵攻作戦においては、ほぼ理想的な形で軍事作戦は推移した。しかしながら、イラク戦争の占領期、すなわち「フェーズ4」においては、当初アメリカ軍上層部が想定していなかった「対反乱作戦」(以下、「COIN作戦」と略記)を実施せざるを得ない情況になっていった。

 通常の軍事作戦とCOIN作戦は、同じ軍隊による作戦ではあっても、非常に対極的なアプローチが必要になる。作戦思考の基本的な枠組みを根本的に変えなければならないことから、軍事戦略思考における一種のパラダイム・シフトが要求される。COIN作戦においては民衆の支持をめぐる戦いが中心となる。COIN作戦における重心は敵(反乱分子)ではなく民衆である(Galula, Counterinsurgency Warfare)。

 改訂された新しいCOINドクトリンは、「民衆中心主義」戦略を重視し、「敵殲滅(せんめつ)型戦略」から「民心掌握型戦略」への一種のパラダイム・シフトを果たさなければならないと説いた。これは、通常戦を想定した「アメリカ流の戦争方式」からの「急進的な」変更を求めるものでもあった。

 COIN作戦を含むすべての「フル・スペクトラム作戦」においては、「攻撃・防御・安定化」作戦が複雑に入り交じり、それらの最適なバランスは、各戦闘指揮官が担当する作戦地域の状況によって異なる。改訂されたCOIN教範はこのように説く一方で、「襲撃志向」にもとづく過度の武力行使を厳に戒めている。

常識を覆すことの困難さ

 COIN教範は、限定的な武力行使を推奨し、ときには反乱分子を殺害しなければならないことがあるかもしれないが、「5人の反乱分子を殺害したとしても、付随的損害の発生により無辜の一般市民までが巻き添えになって戦闘の犠牲となり、結果的に50人の新たな反乱分子を増やす」ことにつながりかねないと述べ、「敵殲滅」中心主義の思考がCOIN作戦の目的達成に必ずしもつながらないと警告する。

 通常戦の「常識」を覆すことが、COIN作戦の「成功」、そしてイラク戦争における「勝利」にとって、何にもまして求められたことだった。

 反乱分子を担当地域から一掃(クリア)すること、すなわち、反乱分子と思われる成年男子を、抵抗する者は片っ端から殺害し、嫌疑をかけられた者は捕縛するという行動の基底にあるアメリカ軍兵士のエートス(集団的精神)を問題視し、思考の根源的な枠組みの変更を迫ろうとしている点が、新COIN教範の「急進的」である所以であった。

 ラムズフェルドの後任であるロバート・ゲーツ国防長官は、イラクで新しいCOIN戦略を推進するうえで、「通常戦争のDNAが軍部ではとてつもない力を持っている」ことを痛感したと回想している(ロバート・ゲーツ著『 イラク・アフガン戦争の真実 ゲーツ元国防長官回顧録 』井口耕二、熊谷玲美、寺町朋子訳/朝日新聞出版)。2003年の時点でCOIN作戦の原則を理解しているアメリカ陸軍将校は希少だった。後日、COIN戦略への転換の推進役をイラクで果たしたレイモンド・オディエルノ将軍でさえCOIN戦略の意義を理解していなかった。

 当時、陸軍副参謀総長だったジャック・キーンに対してオディエルノが行ったブリーフィングは、「何人殺したか」ばかりに焦点をあてており、キーンをがっかりさせた。キーンはオディエルノの部下の旅団長を務める大佐とも面談をしたが、「敵を殺す」ことにしか注意を向けていないことを確認し、暗澹(あんたん)たる気持ちになった。「これじゃ、反乱分子が増えるばかりだ。もっと民衆に目を向けろ」とキーンはオディエルノに告げた(Kaplan, The Insurgents)。

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