鹿島茂さん(明治大学名誉教授)は、フランス文学者として、また希代の古書蒐集家(しゅうしゅうか)としても知られる。そこで、2025年7月に『古典に学ぶ現代世界』(日経プレミアシリーズ)を上梓(じょうし)した滝田洋一さん(名古屋外国語大学特任教授、日本経済新聞客員編集委員)と、東西の古典を巡る対談を行った。4回目は、3回目に続き『嫌われ者リーダーの栄光』(鹿島茂著/日経ビジネス人文庫)に登場する人物について。“聡明な独裁者”として台湾をつくった蒋経国、随一の勤王家として内戦を回避した徳川慶喜――意外すぎる歴史の一幕を語り合う。

ソ連留学でトロツキストになった蒋経国

名古屋外国語大学特任教授、日本経済新聞客員編集委員 滝田洋一さん(以下、滝田) 今回も引き続き『 嫌われ者リーダーの栄光 』に登場する人物について教えてください。私は恥ずかしながら、この本を読むまでは蒋経国についてはノーマークでした。

フランス文学者・作家 鹿島茂さん(以下、鹿島) 団塊世代にとっては蒋介石の息子、民主化運動を弾圧したバカ息子というイメージしかないですよね。

滝田 はい。この本では驚くべきエピソードがたくさんありますが、一番驚いたのはモスクワ中山大学に留学し、トロツキストになったこと。さらに孤児だった美しいロシア女性と出会い、結婚したんですね。

鹿島 2人は添い遂げたんですよ。台湾総統・蒋経国夫人、中国名は蒋方良です。

滝田 そうでしたか。なぜ、蒋介石ではなく、李登輝でもなく、蒋経国に興味を持ったのですか?

鹿島 1997年に台北の二二八紀念館を訪れたのがきっかけです。台湾の人たちは親日家だし、日本語も話せる。日本の影響の大きさを感じ、歴史を調べるようになりました。いろいろな人に話を聞いて、「台湾では誰がえらいんですか? 李登輝ですか?」と尋ねたら、「いや、李登輝に台湾を任せると決めたのは蒋経国だ。本当の国父は蒋経国なんだ」という答えが返ってきて、驚きました。

 蒋経国はモスクワ中山大学に留学し、ロシア語や世界各国の革命史、マルクス主義経済などをたたき込まれ、熱心なトロツキー派となります。私の印象に残ったエピソードは、日本の敗戦直前、満州と外蒙古の処置を巡って、蒋経国がスターリンに直談判しに行ったときのことです。スターリンが外蒙古は日本の侵攻を防ぐのに必要だから、ソ連が取ると言ったのに対し、蒋経国が「日本は敗戦国となるのだから、もはやソビエトに侵攻することはないだろう」と言うと、スターリンは「君の言っていることは間違っている。たとえ戦争に敗れたとしても、日本民族はまた立ち直ってくる。米国の支配下に入ったら、わずか5年で再起するだろう」と答えたとか。日本がかのスターリンにこれほどまでに買いかぶってもらえるとはね。

「蒋経国はモスクワ中山大学に留学し、熱心なトロツキー派になります」と話す鹿島さん
「蒋経国はモスクワ中山大学に留学し、熱心なトロツキー派になります」と話す鹿島さん

滝田 スターリンの観察眼はすごいですね。やっぱり人間不信が極まると、人を見る目が鍛えられるんですかね。

鹿島 鍛えられたのは、読書家だったことにもよるかもしれません。1日に500ページぐらいは平気で読み、政敵トロツキーの全集も読破して、「なかなか良いことを言っているじゃないか」という書き込みがしてあったと言われています。

 蒋経国に話を戻すと、治安政策のため父親から秘密警察を命じられるなど不本意なこともあったけれど、頭の良さとしては抜群だったと思います。スターリンとも1対1で、ロシア語で話しているわけですから。

滝田 対外危機をはねのけ、経済政策を進めて、台湾を再建しました。指導者が経済の視点を持っていることは大事だということがよく分かります。

鹿島 そして、血のつながりのない本省人の李登輝に次期総統の座を譲る。これは、なかなかできないことです。残念ながら、今の世界に蒋経国みたいな“聡明(そうめい)な独裁者”はいません。

滝田 本当ですね。現代企業でも世代交代がうまくできない会社の何と多いことか。

「最後の将軍」の真価とは?

滝田 そして、この本には徳川慶喜が登場します。こちらも良い意味で期待を裏切られたというか、司馬遼太郎の『 最後の将軍 徳川慶喜 』(文春文庫)で描かれていた人物像が、心地よくひっくり返されました。

鹿島 渋沢栄一の評伝を書くときに、渋沢が編さんした『 徳川慶喜公伝 』(平凡社)を読んだんです。戊辰戦争が起きたとき、フランスにいた渋沢はあわてて帰国しました。渋沢は戦略家ですから、「榎本艦隊を清水か沼津辺りに上陸させれば、戦いに勝てるだろうに」と、慶喜の恭順に怒り狂ったようですね。帰国後、慶喜に詰め寄ったところ、慶喜は「戊辰戦争の話はもういいから、フランスでの話を聞かせろ」と言ったのですが、渋沢は納得できなかった。

 その後、慶喜が名誉回復して東京に出てくると、渋沢は三上参次(国史学者)らと、慶喜本人に戊辰戦争の経緯を聞く史談会を開催して、質問をぶつけました。

滝田 まさにオーラルヒストリーですね。

鹿島 渋沢は、なぜ慶喜が徹底抗戦しなかったのかを知りたかったようですが、話を聞くうちに、実は日本一の勤王派は慶喜だったと思い至りました。

滝田 そこは大変なパラドックスですね。慶喜がそこに至る経緯として、水戸学で苛烈なスパルタ教育を受けたことも書かれています。

鹿島 当時の水戸藩については、水戸藩の儒学者だった青山家の末裔(まつえい)・山川菊栄が『 覚書 幕末の水戸藩 』(岩波文庫)‎という本を書いています。そこには、「御三家といっても尾張は約六十二万石、紀州は五十五万石をこえているのに、水戸は二十五万石にすぎず、何かと肩身の狭い思いだった。実力のともなわぬ三十五万石の看板を出して肩を張り、せのびをし続けた苦労は、結局農民にしょわされた」と記されています。その結果、水戸藩には貧乏学者という、ルサンチマンをため込んだ潜在的な反逆者集団が存在するようになりました。この世界で一番危険なことは貧乏インテリを量産しちゃうことですよ。

滝田 それはまさにロシア革命前夜ですね。フランス革命に至る経緯にも似ています。幕末の話が出たところでうかがいたいのですが、『古典に学ぶ現代世界』では勝海舟(かつかいしゅう)を取り上げました。勝の徳川慶喜に対する評価は「頼りない上司」といった感じで、なかなか厳しい。しかし、慶喜の十男を自らの養子に迎えるなど、アンビバレントな関係だったかと思います。鹿島さんは勝と慶喜をどう見ていますか?

鹿島 勝海舟には「日本一の勤王家である将軍」というパラドックスは理解できなかったんでしょうね。勝海舟の曾祖父はもともと農民の出でした。それが父の小吉の時代に旗本の勝家の養子となりました。渋沢も豪農から幕末の志士になったし、徳川末期ほど地位流動性が高かった時代はないと思います。そのおかげで蘭学などを学ぶ者が出て、最終的には融通むげな組織になっていた。この路線で行けば、渋沢が考えていたように雄藩連合に持ち込んで、慶喜がそのトップにつくという道もあったかもしれません。

明治維新がなければ日本は植民地化されていた?

滝田 歴史に「if」は禁句ですが、もし雄藩連合が実現していたら、日本はそのほうが幸せだったと思いますか。

「もし明治維新が起きず、雄藩連合が成立していたら」と鹿島さんに問う滝田さん
「もし明治維新が起きず、雄藩連合が成立していたら」と鹿島さんに問う滝田さん

鹿島 なんとも言えませんね。雄藩連合になっても、結局は薩摩・長州と旧幕府はどこかで戦争をしたかもしれません。

滝田 マグマをため込んでいたと。内戦が起き、そうなると諸外国から植民地化されていたかもしれませんね。

鹿島 僕も気になって、その当時に日本が植民地化されるリスクを調べたことがありました。英国は植民地拡大を一時的に中止していました。インド経営に集中していたからです。フランスはというと、ナポレオン3世はけっこう乗り気だったんだけれど、外務大臣のエドゥアール・ドルーアン・ド・リュイスが積極的な海外政策には反対。ロシアも農奴解放令の後で、余力はなかったでしょう。米国は南北戦争中です。意外と海外の介入はなかったかもしれません。

滝田 歴史のエアポケットみたいなところに入っていたんですね。「もし、日本で内戦が起きていたら日本は植民地化されたか?」という長年の疑問に大きなヒントが得られました。勝海舟と福沢諭吉は両雄並び立たず、徹底的に馬が合いませんでしたが、そうした内輪もめをしていたら、植民地になっていたかもと思っていたので。

鹿島 福沢は海外の事情もよく分かっていましたからね。そういえば最近、荒俣宏さんが『 福翁夢中伝 (上)(下) 』(早川書房)という本を書いていて、これが面白いんです。福沢が荒俣さんに憑依(ひょうい)して書いているかのようで。福沢が「最後の戦い」として何をやりたかったかというと、教育勅語に対する戦いだったそうです。教育勅語というのは、僕に言わせると日本における直系家族の思想の最たるもの。福沢は英米派なので、核家族主義。福沢は日本における直系家族と核家族の戦いを「最後の戦い」にしようとしていた、というのが荒俣さんの解釈です。

 明治維新においては、徳川的な直系家族をぶち壊すために、薩長が戦った。しかし、結果的に明治政府では直系家族が完全によみがえった形になりました。エマニュエル・トッドも言っていますが、革命派は自分が打倒したはずの家族システムを政治的に再現してしまう。ロシアで革命が起き、共同体家族の原理を全部ぶち壊してつくったはずのロシア共産党が、共同体家族そのものだったという理論が当てはまります。

滝田 変えたつもりが元通りということは、現代社会でも見られることですね。

(第5回に続く)

取材・文/三浦香代子 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集) 写真/鈴木愛子

日経プレミアシリーズ『 古典に学ぶ現代世界
名著の中に問題解決の道を探す

AIと超高齢化、ポピュリズムと全体主義、権力の偏重とタテ社会、人情と情緒、外交と経済運営――。長きにわたって読み継がれてきた古典は、私たちが抱えている課題解決へのヒントになる。ジョージ・オーウェルから有吉佐和子まで、数々の名著を現代の視点から読み解く。「日経BOOKプラス」の好評連載を大幅加筆。

滝田洋一著/日本経済新聞出版/1210円(税込み)