鹿島茂さん(明治大学名誉教授)は、フランス文学者として、また希代の古書蒐集家(しゅうしゅうか)としても知られる。そこで、2025年7月に『古典に学ぶ現代世界』(日経プレミアシリーズ)を上梓(じょうし)した滝田洋一さん(名古屋外国語大学特任教授、日本経済新聞客員編集委員)と、東西の古典を巡る対談を行った。5回目は、古典の読み方について。鹿島さんは「古典とは自分勝手な解釈ができるもの。しかし古典を読むときは語学と同じで、自由意思に任せるのは良くない。なんらかの強制を働かせることがカギ」と話す。後段では鹿島さんお薦めの古典も聞いた。
「古典」とは自分勝手な解釈ができるもの
名古屋外国語大学特任教授、日本経済新聞客員編集委員 滝田洋一さん(以下、滝田) ここまで古典と経済との関わり、古典に登場する様々な人物について聞いてきました。改めて、鹿島さんにとって古典とは何でしょう? 私は『古典に学ぶ現代世界』を書くときに、古典を訓詁(くんこ)学にするのはやめよう。また、古典の作品名や一文を引用するだけにはしないで、現代の読者が感じている問題意識に引きつけて考えたいと思っていました。
フランス文学者・作家 鹿島茂さん(以下、鹿島) 僕が古典を定義するならば、後世の人間が「自分勝手な解釈ができるもの」です。一通りの解釈しかできないものは古典にはなりません。
滝田 なるほど。
鹿島 だから、後世の人間が古典を読むのは自分勝手なやり方でいいんですよ。正しい読み方なし、教わることなし、です。もっとも「古典を読むきっかけ」というのは、なかなか生まれるものではないんですね。
その点、僕が良かったと思うのは、逆説的ですが、家に読むべき本が1冊もなかったことです。実家は酒屋で、『文藝春秋』と『主婦の友』しかなかった。それで中学生のときに隣町の書店に行ったら、店主が「君、良い本があるよ。これを購読しなさい」と言って、筑摩書房の『現代日本文学全集』を読むことになりました。

滝田 購読というと、文学全集が毎月届くんですか?
鹿島 そう、毎月出るんです。夏目漱石に始まり、中だるみしないように作家の並び順が工夫されていました。僕はほかに読むべき本がないから、雑誌でも読むように文学全集を読んでいました。徳田秋声とかは面白かったですね。
滝田 中学生で自然主義文学とは早熟ですね。
鹿島 自然主義文学の作品では2つだけ印象に残っています。徳田秋声の『仮装人物』と、島崎藤村の『家』。僕は、島崎藤村は嫌いだけれど、『家』は傑作です。つまり何を言いたいかというと、古典をどう解釈しようが自由なのですが、誰かが選んだ全集みたいなものを強制的に、もしくは準強制的に読まされるということが、案外重要なんです。読書というのは語学と同じで、自由意思に任せると良いことはない。
滝田 なるほど。でも、今の中学・高校でそうした読み方をしている学校は少ないですよね。
日経BOOKプラス編集部 鹿島さんが大学で教えていたときは、学生に何とアドバイスしていましたか? 「とにかく読め」と?
鹿島 僕が大学のオリエンテーションで言っていたのは、「まず、自分が面白そうだと思った授業を全部取らない。そして一番つまらなそうな授業を選びなさい。すると、誰も受講していないからその先生を独占できるよ」と。学ぶというのは1対1が最も効率がいいからです。300人対1人の授業よりも、確実に得るものが大きくなる。学ぶ前に「つまらなそうだ」と思うのと、実際に学んでみて「つまらない」と思うのは違いますからね。この指針はけっこう人生で役立ちます。
滝田 なるほど。もっと早く鹿島教授に出会えていたら、人生が変わっていたかもしれません。『古典に学ぶ現代世界』の連載は今後も続きます。これから古典を読むとしたら、何がいいですか?
パスカル『パンセ』は最高の古典
鹿島 パスカルの『 パンセ (上)(中)(下) 』(塩川徹也訳/岩波文庫)は最高の古典です。パスカルはキリスト教信者ではない人に、キリスト教を信じさせるにはどうすればいいかを徹底的に考えた人なので、説得術のノウハウ本としても読めます。
誰かを説得するときに理詰めでいくと、たいてい失敗する。どう説得すればいいかというと、相手の見方、観点を認めることから始める。「あなたの立場に立つとこういうふうに見えるということは分かるけれども、あなた以外の見方もあるんだよ」と。
滝田 それはまさに今の政治にも通じますね。グローバル・リベラルオーダーに反対する勢力が現れると、ついつい上から目線の説教をしたがる。でも、そうした勢力が出てくる背景を把握した上で対話をするのが、説得の基本ですね。
鹿島 僕が書いた「パンセ入門」は、『 NHK「100分de名著」ブックス パスカル パンセ 』(NHK出版)です。この本では平凡な悩みを抱えた人を想定し、その悩みにパスカル先生が答える形式を取っています。例えば、「就職したけれど、重労働でまいっています」とかね。
滝田 心に響く人が多いでしょうね。パスカル以外の作家となると、バルザックなどはどうですか?
鹿島 バルザックから1冊選ぶとしたら、『ゴリオ爺さん』。僕も『 ペール・ゴリオ パリ物語 バルザック「人間喜劇」セレクション 』(藤原書店)というタイトルで翻訳をしています。『ゴリオ爺さん』は、『 21世紀の資本 』(山形浩生、守岡桜、森本正史訳/みすず書房)で有名なピケティが「資本主義の教科書だ」と言って引用しています。
改めてどんな内容かというと、ゴリオ爺さんは昔大金持ちでしたが、娘に全財産を注ぎ込み、パリの安下宿屋で暮らしています。その安下宿屋にはラスティニャックという野心家の学生もいるし、ヴォートランという悪党もいて、ラスティニャックを悪の道に引きずり込もうとします。
滝田 まさにピケティの本、『21世紀の資本』に出てくるような話ですね。
鹿島 ラスティニャックを説得するためのヴォートランの大演説があるんですが、これは資本主義のすべてを含んでいる内容です。すごく面白いので、ぜひ読んでもらいたいですね。
滝田 ありがとうございます。今後の連載の宿題とします。鹿島さんは大変な読書家ですが、読んだ本の内容をどう執筆に生かしていますか? インプットとアウトプットをどのように循環させているか教えてください。

すぐに役に立つものは、すぐ役に立たなくなる
鹿島 今年、荒俣宏さんが『 すぐ役に立つものは すぐ役に立たなくなる 』(プレジデント社)という面白い本を書いているのですが、このタイトル通りですよ。すぐに役立つ本は、最終的にあまり役に立ちません。これは新刊だけではなく資料集めのための古本買いにも通じることです。「すぐには役立ちそうにないけれど、もしかすると役立つかもしれない本」を思い切って買うことは、資料集めで最も肝心なところですね。
滝田 鹿島さんといえば、「子どもよりも古本が大事だ」と言ったという逸話がありますが、古本に対する目利きはどうやって身に付けたのですか?
鹿島 1つは経験の積み重ねですが、偏見からどれだけ自由になるかも大事ですね。最終的に世に残る本はものすごく具体的なものか、ものすごく抽象的なものか。中間の本はすべて消えてしまいます。
滝田 連載第1回「 鹿島茂×滝田洋一 古典の面白さとは? 人は結局、欲得から逃れられない 」の中のお話で、『資本論』を向坂逸郎訳で読まれたと言っていましたが、鹿島さんの青春時代は資本論やマルクス、エンゲルスといった思想圏があったのではないかと思います。そこから少し離れて空想的社会主義といわれたサン=シモン主義やフーリエについて論じるのは、少し勇気がいったというか、気持ちの上でのジャンプがあったのでは?
鹿島 僕は文学畑の人間ですから、思想の枠組みからは自由なんです。僕にとっての問題は文学作品が当時の思想の影響をどう受けているかということです。
例えば、『 レ・ミゼラブル(上)(下) 』(ヴィクトル・ユゴー著/永山篤一訳/角川文庫)でジャン・バルジャンはミリエル神父から銀の燭台(しょくだい)を譲り受けます。「更生して、いい人間になりなさい」と言われて、ジャン・バルジャンが何をしたかというと修道院に入るわけでもなく、神父になるのでもなく、模造宝石の製造で成功を収めます。僕は「なぜ、更生する道が実業家なんだ?」と驚いて調べたら、それはサン=シモン主義の影響だと分かった。文学を読むということは、思想だけでなくありとあらゆるところにつながるんです。
滝田 文学の中から思想なり、経済学なり、社会学なり、社会のリアリティーを抽出する能力が付くということですね。
鹿島 そうです。フランスの教育が素晴らしいと思うのは、バカロレアに受かるために哲学書や文学書を読まなくてはいけないことです。そのための必読書リストが存在します。『 グランゼコールの教科書 フランスのエリートが習得する最高峰の知性 』(ジャン=フランソワ・ブラウンスタン、ベルナール・ファン著/木村高子、広野和美、岩澤雅利訳/プレジデント社)という本でも紹介されています。
滝田 なるほど。鹿島さんが文学全集を購読したように、古典の山に触れる機会、努力が大事なんですね。
鹿島 そうです。読書や語学、基礎科学を自由意思に任せると、何もやらない人が多くなる。だから強制力が必要です。人から強制されるのが嫌だったら、“自己強制”でもいいから、とにかく古典に触れて読んでみること。そして「よく分からなかった」という経験も絶対に必要なんですよ。
もし、今、若者で「小説家や物書きになりたい」と言う人がいたら、とっておきの自己投資方法があります。神保町の古書店に行って、『世界文学全集』や『世界大思想全集』(春秋社)を全巻5000円ぐらいで買ってきて、自己強制をかけて部屋でひたすら読む。これほど安くて効果の出る自己投資はありません。
滝田 私の時代は中央公論新社の『世界の名著』が出ていましたが、今は確かに安くなっていますね。
鹿島 中央公論新社や文藝春秋、集英社などいろいろな全集が出ていますが、どれでもいいと思います。まずは全巻読むことが大事。いかに安い投資で、最大の効果を生むか。これぞ経済学の法則ですよ。
滝田 まさにそうですね。大学生なら夏休みに1冊ずつ読むことができそうです。私も自己強制をかけ、今後の連載で古典を読み続けたいと思います。
取材・文/三浦香代子 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集) 写真/鈴木愛子
AIと超高齢化、ポピュリズムと全体主義、権力の偏重とタテ社会、人情と情緒、外交と経済運営――。長きにわたって読み継がれてきた古典は、私たちが抱えている課題解決へのヒントになる。ジョージ・オーウェルから有吉佐和子まで、数々の名著を現代の視点から読み解く。「日経BOOKプラス」の好評連載を大幅加筆。
滝田洋一著/日本経済新聞出版/1210円(税込み)
