起業、ヤフーでのPayPay立ち上げなど数々の事業を成功させてきた小澤隆生氏。作家・北康利氏の新刊『 小澤隆生 起業の地図 』から、PayPay誕生秘話を一部抜粋して紹介します。2025年7月には登録ユーザーが7000万人を超え、PayPayというサービス名も身近になっていますが、命名までは地獄のプロセスがあり、いくつもの別の候補がありました。
最初の有力候補は「ヤフーペイ」
まずはネーミングだ。最初はPay株式会社という社名で登記していたが、Payというサービスがあって名称変更を余儀なくされた。
ここから先が“地獄のプロセス”だった。

孫正義は名前にもこだわりを見せる。ヤフーBB以降、コンシューマービジネスでは名前が大事だということを痛感していたからだ。
最初は「ヤフーペイ」という名前を検討していたが、当時はまだ米国ヤフーとのロイヤリティの契約があった。ロイヤリティを払うと薄利のビジネスなので、決済の時に逆ざやが生じる。だからヤフーの名前は使えないということになった。
そこから○○ペイという名称を考え始めた。アリババだと「Alipay」だし、みな○○ペイだったからである。川邊健太郎と小澤で相談し、一つに絞って持って行けば納得してくれるだろうと、
「検討した結果、これ一つになりました」
と○○ペイ案を持っていったが、それでも孫は反対した。
次は逆に、複数の候補を持って行ってその中で決めさせる作戦に出た。
「この中でいいと思うのを言ってください」
と20個ほどアイデアを持っていった。
すると孫はのっけから、
「そもそも、○○ペイじゃないんじゃないか?」
と言い出したのだ。おそらくPaytmが念頭にあったのではないかと思われる。
川邊と小澤は思わず顔を見合わせた。
「本来『ペイ』のほうが主役だろう。そもそも世の中が間違っているんだ」
「でも、アップルですらApple Payじゃないですか」
「でもアップルだって『ペイ』を売りたいんだろう。アップルを売りたいわけじゃない。
ならばペイが前じゃないか」
確かに(Paytm)はペイが前に来ている。持ち帰ってまた川邊と小澤で相談した。
「じゃあ、Pay Jにするか? ジャパンだから」
「May J.みたいじゃない?」
こうなってくると、笑い話のような会話が続く。ともかく○○ペイを逆にしてペイ○○にして持っていった。
すると今度は、
「ペイが前なのはいいけど、何か違うな……何か違うな……」
この孫の「何か違うな」は一番嫌なパターンである。違う理由がはっきりしないからだ。
孫がこのループに入ると長い。
川邊と小澤は頭を抱えた。
だが決めないといけない。しかも早く。時間が限られているのだ。そこでいろいろと突き詰めていった。
(孫さんが出した条件はペイが主役ということだ。ペイが前だとも言っていた。ペイが主役だから、ペイの後ろに強い言葉がきてほしくないという感じだった。もちろん商標が取れるということも重要だ)
どちらからともなく、こんなことを言い出した。
「ドリカムの歌で『LOVE LOVE LOVE』ってあるじゃん。ラブを3回並べてミリオンセラーになってる。じゃあPayPayでいいんじゃない?」
法務部の人間に聞くと、PayPayは商標を取られてない。
「当たり前だよね。そんなんで取っているやついないよね」
2人は力なく笑った。
川邊と小澤の間ではPayPayPayで決まりかかったが、やはり長いという当たり前の話になって、
「じゃあ、PayPayでいいじゃない」
ということになった。
「だめじゃないけど、ほかに何かないのか」
商標が取られてないのを確認し、孫の出したすべての条件を満たすものはもうこれしかないですというプレゼンをつくって、翌日、孫に持っていった。
これまでのやりとりを確認し、孫は相づちを打ちながら聞いていたが、最後に、
「もうこれしかありませんから。見てください」
と言って「PayPay」案を出したところ、孫はうーんとうなった。
「だめじゃないけどさ。だめじゃないけど、ほかに何かないのか」
「もう時間がありません。決断してください!」
超不承不承、
「わかったよ。じゃあPayPayでいこう」
となった。
だが、これでめでたしめでたしではなかった。孫がちゃぶ台返しをしたのだ。
営業開始の3日ぐらい前に、
「やっぱりPayPayはやばいよ。ヤフーペイでいいんじゃない。ヤフーに今からロイヤリティを下げてくれって交渉してこいよ」
と言い出したのだ。
実際、米国ヤフーと交渉してきてくれた外国人がいたが条件はよくない。事ここに及んでさすがに孫も諦めて、PayPayでいこうということになった。
小澤たちの苦労も知らず、残念ながら社員の受けはすこぶる悪かった。
北康利 著/日経BP/1870円(税込み)
