2024年夏、五輪の祭典で盛り上がったパリ。その喧騒からやや東にずれた場所では、およそ230年前にサド侯爵がバスティーユ監獄で『ソドムの百二十日』を書いていた。ノンフィクション書籍『サド侯爵の呪い 伝説の手稿『ソドムの百二十日』がたどった数奇な運命』では、この問題作の流浪と、文学や手稿をめぐる強烈な人々などを描いている。この連載では、本書に関連するが詳しくは触れられていない、フランス史や文学史の印象的なエピソードを、翻訳を手掛けた中西史子さんと金原瑞人さんが紹介する。第一夜のお話は「サド侯爵を取り巻く女性たち」について。『サド侯爵の呪い』を読んでいなくても楽しめる内容です。[ナショナル ジオグラフィック日本版サイトより転載]
『サド侯爵の呪い 伝説の手稿『ソドムの百二十日』がたどった数奇な運命』は、手稿の受難、サド自身の波乱の生涯、投機詐欺という3本の糸がからみあうミステリー小説のようなノンフィクションだ。
さまざまなエピソードが盛り込まれており、翻訳中は調べものが多かった。ただおかげで、翻訳書には入りきらない興味深い話がたくさんみつかった。今回、それらをご紹介いただく機会をいただいたので、全3回でお届けしたいと思う。
第1回は、サドを取り巻く女性たちについてお話しさせてください。この本には、貴族の出であるサドの妻や義母から娼婦まで、さまざまな立場の女性が登場する。
監獄の鍵は義母の手中
まず注目したいのは、サドの妻ルネ=ペラジの母マリー=マドレーヌ・ド・モントルイユ。モントルイユ家でおとなしい夫を差し置いて決定権を持ち、「閣下(プレジデント)」の呼び名で知られていた女性だ。
1768年にサドがアルクイユ事件(物乞いの女性を暴行した事件)を起こしたときには、彼女は平凡な貴族出身の女性には考えられない政治的権力を行使して、サドを監獄行きから救った。一方で、その後サドがその生涯のほとんどを監獄で過ごすことになったのは彼女の差し金だったようだ。
『サド侯爵の呪い』でこの義母のふるまいを読むと、フランス人女性は強い、という印象を持ってしまうが、サドの義母は例外といえるだろう。フランスの社会では女性よりも男性が優遇されていた。女性参政権運動は、18世紀からフランスで始まったが、女性が投票権を獲得したのは日本と同じ1945年のことだ。1789年のフランス革命では、人間の自由・平等が宣言されたが、封建的な家父長制に支えられた社会において、女性はあくまで男性に従属する存在だった。
実際、ルネ=ペラジは閣下として知られた母とは違い、何があろうと、妻としてサドに献身的に仕えた。結婚してまもなく、サドがルネ=ペラジの妹アンヌ=プロスペルに溺れたことがあった。妹は幼くして修道院に入れられて育ったが、そこは厳格な規律で知られる修道院とは違って、上流家庭の娘が入る花嫁学校のような場所だったそうだ。
サドは初めてモントルイユ家を訪れたその日から、この美しい妹に強く惹かれた。ルネ=ペラジは、サドがマルセイユ事件(娼婦に危険な媚薬を飲ませたとされる)の直後に妹とイタリアを旅していたときでさえ、夫をとがめることはなかったという。ただし、サドのこの裏切りはルネ=ペラジの母マリー=マドレーヌ・ド・モントルイユの逆鱗に触れ、以降、彼女は徹底的にサドを糾弾する側に回るのだが。
贅沢を支えた妻もやがて
ルネ=ペラジはサドの倒錯的な行動に付き合い、彼の罪を隠蔽し、実の母に歯向かった。監獄に収容されてからもサドに寄り添い、手紙でのやりとりを続けている。
『サド侯爵の呪い』のプロローグで語られているように、サドは囚人とは思われない贅沢な暮らしをしていたのだが、バスティーユでつけていた革製のゴーグルも、蝋燭の灯りを覆うランプの笠も、妻に調達してもらったものだった。サドは妻に手紙を送り、時には店まで指定して極上の品々を要求していた。
澁澤龍彦の『サド侯爵の手紙』によれば、18世紀の特権階級の監獄では、飲食費その他の経費をすべて囚人に支払わせていたそうだ。サドの場合も、経費の一切を家族が負担することになっていたという。
というわけでサドは贅沢品に囲まれ、妻が差し入れた食事やデザートを楽しみ、ぶくぶく肥えていった。
そもそもバスティーユの囚人の食事は、朝、昼、晩の計3回用意されているうえ、足りなければ勝手に注文できたそうだ。一方で、ルネ=ペラジはサドの高額な飲食費などをまかなうために、修道院の粗末な一室で暮らしていた。こんなに尽くしているというのに、サドは妻の浮気を疑って嫉妬に狂い、彼女が獄中のサドを訪問した際には、監視がつかなければならないほど危険な状態だったという。
こんな経緯をたどれば、彼女がくだした夫への最後通牒は妥当だったといえよう。だが当時、離婚という選択肢は非常に珍しく、手続きが難しかったので、ルネ=ペラジは別離の手続きをとることになった。1790年、サドが50歳のとき、ルネ=ペラジは別居および財産の分割をパリ裁判所に申請し、認可された。
男性優位の社会で、サドという厄介な男を夫に持ちながら、絵に描いたような献身的な妻として尽くしてきたルネ=ペラジが、残りの人生を自らの思うとおりに生きることを決意し、実行した。この点で、彼女は時代に先駆けていたといえるだろう。
離婚をめぐる紆余曲折
ちなみに、1792年9月20日には離婚が制度化され、夫婦間の性格の不一致でさえも離婚の理由として認められるようになる。当事者の2人が当局に出頭し、申請後、2、3カ月の間に気持ちに変化がなければ離婚が成立したのだ。
つまり、あと2年待てば、ルネ=ペラジも複雑な手続きなどいらずに、離婚に進めたかもしれなかった。ただこうした流れは、1804年に公布されたナポレオン法典によって妨げられ、再び複雑な訴訟手続きを踏まなければ、認められなくなってしまう。そして、ナポレオン法典のもとでは、結婚した女性は夫の許しが得られなければ、法廷に出廷することも、売買も、相続も、銀行口座を作ることも禁じられた。
『サド侯爵の呪い』には、たとえ端役であってもとても魅力的な登場人物がたくさん出てくる。本連載の初回では、そのなかでも特に気になった女性たちを取り上げた。
あなたのお気に入りの登場人物はだれだろう。刑法175条(男性同性愛を禁止するドイツ刑法典の規定)の廃止を求めて活動したベルリンの精神科医イヴァン・ブロッホだろうか。それとも、赤い子爵夫人と呼ばれたサドの母方の子孫マリー=ロールか。巻物を手にした人々の人生にフォーカスしながら、『サド侯爵の呪い』を楽しんでいただくのもまたいいのではないだろうか。
アラン・ドゥコー著、山方達雄訳『フランス女性の歴史4 目覚める女たち』(1981年、大修館書店)
澁澤瀧彦『サド侯爵の生涯』(2020年、中公文庫)
澁澤瀧彦『サド侯爵の手紙』(1988年、筑摩書房)
講演「結婚、離婚、「みんなのための結婚」 18〜21世紀のフランスにおける婚姻形態の変化」(フィリップ・ブトリ、長井伸仁・前田更子訳)
[ナショナル ジオグラフィック日本版サイト 2024年8月8日付の記事を転載]
ジョエル・ウォーナー(著)、金原瑞人+中西史子(訳)、日経ナショナル ジオグラフィック、2420円(税込み)

