新刊『 データで徹底解剖 イーロン・マスク帝国 』(日経BP)はマスク氏の事業とリーダーとしての人物像にデータ分析で迫る。同書籍から一部を抜粋・再構成してお届けする連載の第4回では、マスク氏率いる米xAI(エックスエーアイ)の生成AI(人工知能)「Grok(グロック)」が本当に目指している場所を取り上げる。

前回は、マスク帝国の製造を支える「見えない手」をサプライチェーンのデータでたどった。今回はマスク氏のAI事業に目を向ける。米国のチャットボット市場で、グロックのシェアは15.2%で3位。企業の評価額も米Anthropic(アンソロピック)や米OpenAI(オープンAI)に遠く及ばない。数字だけ見れば「有力な3番手」だ。だが、そもそもグロックはチャットボット市場での首位を目指して設計されているのか。開発者自身が書いた技術文書と、エンジニアたちの発言を分析すると、他社とは全く違う方向を向いた設計思想が浮かび上がる。
AI業界の評価軸は明快だ。ユーザー数、マーケットシェア、ベンチマークスコア……。これらの一般的な評価軸で測る限り、グロックの現在の立ち位置は「追いかける側」と言わざるを得ない。一般的には「負け組」と認識している人も多いのではないだろうか。
米Apptopia(アップトピア)によると、26年1月時点の米国チャットボット市場シェアはオープンAIの「ChatGPT(チャットGPT)」が45.3%、米Google(グーグル)が提供する「Gemini(ジェミニ)」が25.2%を占め、グロックは15.2%で3位につける。イスラエルのSimilarweb(シミラーウェブ)によると、ウェブアクセス全体で見ればシェアは2〜3%台にとどまり、サイバーセキュリティー事業を手掛ける米Cloudflare(クラウドフレア)の同年6月1日時点の日次トラフィックランキングでは世界8位だった。資金調達額こそ26年1月のシリーズEで200億ドルを調達し、2月時点で評価額2500億ドルに達したが、アンソロピックの9650億ドル、オープンAIの8520億ドルには遠く及ばない(下の図)。

数字だけ見れば、グロックは「有力な3番手」という評価に落ち着く。だが、この評価軸そのものに、根本的な間違いが潜んでいる。我々が問うべきことは、「グロックはそもそも、チャットボット市場での首位を目指して設計されているのか」という点にある。試合の勝ち負けを語る前に、マスク氏がどの試合に出場しているのかを確認する必要があるのだ。データで見てみることにした。
物理世界を動かす「脳」として設計されたAI
グロックと他社AIの思想的差異を可視化したのが、下の図に示したワードクラウドだ。ワードクラウドとは、対象のテキストデータから、どんなワードがどの程度登場したかに応じて、文字の大きさを変える表現手法だ。
分析に用いたのは、各社が公開する「モデルカード」と呼ばれる文書だ。AIモデルカードとは、そのAIが何を目的に開発され、どう使われるべきで、どんなリスクがあるかを開発者自身が記した技術仕様書である。マーケティング資料とは異なり、エンジニアや研究者が実際の設計思想を率直に記述する文書であるため、各社の「本音」が出やすい。アンソロピック、オープンAI、xAI、グーグル傘下のGoogle DeepMind(グーグル・ディープマインド)の4社について、23年から26年6月にかけて公開されたモデルカード、および新モデルのリリース時に公開された詳細版のシステムカードの計11本を収集し、思想を表す語彙に絞って頻出語を抽出した。

アンソロピックの「行動(behavior)」「ユーザー(user)」「リスク(risk)」、オープンAIの「思考(thinking)」「コンテンツ(content)」「安全性(safety)」――各社が人間とのテキスト対話の質と安全性に集中していることが、頻出語の分布から読み取れる。グーグル・ディープマインドは「推論ショット(shot)」「画像(image)」「マルチモーダル(multimodal)」など、モデルの汎用性能を重視した語彙が目立つ。
ところが、xAIの象限は様相が異なる。「能力(capabilities)」「率(rate)」「測定(measure)」「生物学的(biological)」「迎合性(sycophancy)」といった語が並ぶ。特に迎合性(相手にこびへつらう性質)は、xAI以外には見当たらない語だ。モデルカードに頻出するのは迎合性を認識して排除しようとしているから。チャットボットとして「感じよく振る舞う」ことを拒絶し、何かを「正確に推論し実行する」ことに軸足を置いた思想の表れと言える。「測定(measure)」が頻出するのも同じ文脈だ。会話の自然さではなく、能力が目標を達成しているかどうかを厳密に検証するという姿勢がうかがえる。
では、「正確に推論し実行する」対象とは何か。xAIのエンジニアたちの発言がその答えを示している。
下の図では、グロック3とグロック4の公式発表会と、グロックを完全自動運転(フルセルフドライビング、FSD)や人型ロボット「オプティマス」に統合する役割を担う米Tesla(テスラ)AI担当バイスプレジデント(VP)のアショク・エルスワミ氏が26年に登壇したAIカンファレンスでの講演テキスト(総語数2万1266語)から、頻出語を抽出した。「運転(driving)」「車両(vehicle)」「ニューラル(neural)」「ネットワーク(network)」「ロボット(robots)」「行動(action)」「電力(power)」などが上位に並ぶ。トップ20の半数が、物理世界・自動運転・ロボットに関わる語彙だ。

エルスワミ氏が語るのは常に、この文脈だ。「どう物理空間で推論し、車を動かすか」。マスク氏が狙うグロックの役割とは、3次元の物理世界に実在するロボット(オプティマス)、FSD、さらには工場を、自律的に駆動させる「物理世界のAIエンジン」なのだ。スマートフォン(スマホ)上の会話アシスタントとは、そもそも目指す目的地が違う。
グロックが自動運転テスラ車のドライバー
「ヘイ、グロック。そこの駐車場に入れて」
26年6月、マスク氏はXのポストで「この(走行判断)機能は3カ月ほどで実装される」と宣言した。テスラのFSDに、ユーザーがグロックを介して音声で直接指示を出せるようになるという発表だった。エルスワミ氏もXで7月、ユーザーからの同機能への要望に「Working on it(取り組んでいます)」と返し、開発が順調に進んでいることを明かした。

それまでのグロックは、車載AIとして情報検索やナビ目的地の設定はできたが、FSDの「走行判断」には介入できなかった。26年秋に実装予定のアップデートでは、「次の交差点を右に曲がって」「入り口の近くに止めて」という自然言語の指示がFSDのプランニング層(走行経路を判断する制御層)に直接渡されるようになる。大規模言語モデル(LLM)が「意図」を解釈し、自動運転システムの判断に組み込まれる構造だ。人間が「どこへ行くか」を告げ、車が「どう走るか」を決める、いわばAIドライバーへの道がいよいよ現実味を帯びてきた。
技術的には、クラウドベースのLLM推論にかかる1〜5秒という応答時間は遅く、安全運転制御に必要な0.05〜0.1秒には及ばないため、現時点ではグロックとFSDは意図的に分離したアーキテクチャーを持つ。グロックは高レベルの「意図」だけをFSDに渡し、瞬時の走行判断はFSDのニューラルネットワークが担うという。この分担は今後の進化の余地をあえて残した設計でもある。
グロックとFSDの連携がもたらすもう一つの意義は、学習データだ。テスラの公表資料によれば、26年時点で累計970万台超のテスラ車両が世界を走る。それらすべてが潜在的なグロックの学習端末となり、「どの家の駐車場」「どのゲートの入り口」という超ローカル文脈の知識を、テスラ車両群が自動的に積み上げていく。他社のAIアシスタントがスマホの画面上で文字や音声の対話を洗練させている間、グロックは1トンを超える車両が時速100キロで走る現実世界に根を張り、学習し続けるというわけだ。
「コード生成」もまた物理世界への道
xAIによるコーディング支援ツール開発の米Cursor(カーソル)の買収も、同じ文脈で読み解ける。カーソルが毎日生成する約1億5000万行の企業向けコードは、グロックの訓練データとなるだけでなく、コードを書く能力そのものが物理世界との接続点となる。
マスク氏はカーソル買収を発表した日、「AIはストックフィッシュ(チェスで人間を凌駕(りょうが)したAIエンジン)レベルのコーディング能力と汎用的なコンピューター操作を実現する」とXに投稿した。コードを書けるグロックは、工場の制御システムを自ら書き換え、ロボットのファームウエアを自ら更新する――その可能性を見据えた動きとも解釈できる。
ここまでの流れを整理すると、グロックを巡る一連の動きの輪郭が浮かび上がる。ワードクラウドが示した「運転」「ロボット」「測定」という語彙群、FSDへの統合、そしてカーソルの買収――これらはすべて、AIを物理世界の実行エンジンとして鍛え上げるという一本の軸で貫かれている。
チャットボット市場でのシェアは、マスク氏にとって本質的な測定対象ではない。25年1月から翌年1月までの1年間で米国のチャットボット市場でのシェアを1.6%から15.2%へと約9.5倍に伸ばしたグロックの急成長も、マスク氏の目には「物理世界への統合に向けた通過点」として映っているはずだ。米SpaceX (スペースX)のS-1(米証券取引委員会に提出する新規株式公開の目論見書)ではグロックの月間アクティブユーザーを26年3月時点で約1億1700万人と開示しているが、この数字はテスラ車両へのグロック統合が本格化した段階で別次元の意味を持ち始める。
マスク氏が25年間語り続けてきた北極星(人類を火星に移住させる、意識を保存するという目的)には、人間の代わりに危険な環境で働くロボットが欠かせない。そのロボットに搭載される物理AIエンジンが、これから地上の道路や工場で鍛えられようとしている。グロックは負け組どころか、他のAIとは全く異なる使命を持った別物だったのだ。
[日経ビジネス電子版 2026年9月18日付の記事を転載]
池松由香(著)/日経BP/2420円(税込み)

