私たちはなぜ、短期的な成果にすがり、長期的な展望を見失ってしまうのか——。企業の不正から核兵器やAIの進化まで、スウェーデンの気鋭の知性が経済学の理論などを用いて、よりよい選択をするための方法を探る新刊が『 ダーウィンの罠 私たちはなぜ重要な選択を間違い続けるのか? 』(クリスティアン・ロン著)です。ここでは翻訳を担当した夏目大さんが、公民館のお菓子の例を引き合いに、人類の悩ましい生態と本書の魅力について語る「訳者あとがき」をお届けします。
公民館のお菓子と人類の経済活動に共通するもの
公民館にお菓子が大量に積んであるとする。「どうぞご自由にお取りください」と貼り紙がある。近所の子供たちが一人二、三個取れるくらいの数は十分にある。お菓子は毎日、一定量が補充される。さてどうなるだろうか。
子供たちが一人、二、三個ずつ取るようにしていればとても平和だし、きっと皆、毎日少し楽しい気持ちで過ごせるだろう。だが、ある時、一人で一度に一〇〇個取ってしまう子が現れたとしたらどうか。
一人そういう子がいると、うかうかしていられないと、競うように大量にお菓子を取る子が何人も現れるだろう。あっという間にお菓子はなくなり、毎日補充されてもまたすぐになくなる。お菓子を取れた子は良いかもしれないが、大半の子は、せっかく毎日お菓子をもらえる楽しい生活だったのにそれが終わってしまう。お菓子があったはずの何もない場所を見続けるだけの虚しい毎日になる。一部の子供が得をすることで、コミュニティ全体としては前より不幸になったわけだ。
これくらいなら大したことはないかもしれない。たかがお菓子である。子供たちはがっかりするが、別に世界が終わるわけではない。だが、本書を読むと、この現象が実は世界の終わりにつながる可能性があるとわかる。
本書はクリスティアン・ロン著“Darwinian Trap(ダーウィンの罠)”の全訳だ。ダーウィンとは進化論で有名なチャールズ・ダーウィンのことだ。ならば生物のことを書いているのかと言えばそういうわけではない。簡単に言えば、これは「このままだと人類は危ないぞ」という警告の書である。
生物は常に自分の生存確率を高めるべく行動する。そういう性質を持った生物が生き残り、子孫を残し、今も存在している。どの生物も自分の得のために動く「利己的」な存在だということだ。人間も生物なので基本的には同じだ。誰もが自分の得を考え自分の得のために行動する。それで世の中はうまくいくのだという考え方もある。自分の得になるからこそ皆、懸命に仕事をして何かを生産する。それがひいては人類全体にとって利益になる、という。ともかく皆が自分の得のために行動していればうまくいくのなら楽だ。だが、本書によれば実際にはそうでない。
顕著な例が地球温暖化だ。温室効果ガスは経済活動に伴って排出される。誰もが何も考えずに思う存分経済活動をすれば、地球温暖化はどんどん進んでしまう。だから、それを少しでも抑えようと世界各国が話し合い、温室効果ガス排出量の削減目標を立てるなどの努力をしている。だが、なかなかうまくいかない。なぜか。それは公民館のお菓子と同じ理屈である。削減目標を決めていたとしても、どこか一国でも、それを無視して好き勝手に行動すれば、その国だけが得をするからだ。お菓子を一度に一〇〇個取ってしまう子供と同じだ。他国が約束を破るかもしれない、と思えばどの国も「うちだけ律儀に約束を守っていては大損をしてしまう」と考える。国レベルの場合は子供のお菓子の取りすぎとはわけが違う。下手をすれば、国が滅びるかもしれない。死活問題だ。どこも自分たちの生存のためにやむなく利己的な行動を取ることになる。誰もが良くないと思っていながら、やむなく利己的に行動する。それを促す圧力がはたらくからだ。この圧力を本書の著者は「ダーウィンの悪魔」と呼んでいる。ダーウィンの悪魔の力は凄まじく、そのせいで人類は滅亡に向かうかもしれない。滅亡に向かっていることを多くの人が知っていても、止められない。車が崖に向かって走っているのを知っていて、ブレーキを踏めないような状態である。
著者は自ら「ノーマティブ」という会社を設立し、温室効果ガス排出量削減のために活動している。それだけに言葉には説得力がある。本書には、ダーウィンの悪魔がいかにして人類を滅ぼし得るかが詳しく書かれている。問題は地球温暖化だけではない。資源の枯渇、核軍拡競争、AIの無秩序な進歩なども同様に大きな脅威になり得るという。実を言えば、本書でも紹介されている通り、あと一歩で人類が滅亡したかもしれない事件は何度も起きている。
ではどうすればいいのか。著者は、ダーウィンの悪魔に打ち勝てるのは「ダーウィンの天使」だけだと言う。ダーウィンの天使とは、皆に利他的、協調的な行動を促す圧力のことだ。全体の幸福を考えて行動した方が利己的に行動をするより得になる状況を作らなければ問題は解決しないと著者は言うのだ。いくら地球温暖化は良くない、核軍縮すべき、などと正論を叫んでも何にもならない。何が正しいかはほとんどの人がすでに知っているが、自分の身を犠牲にしてまで正義を実現しようとする人はほとんどいないからだ。
著者は自ら提案する解決策について事細かに説明している。単に「こうすればうまくいく」と言っているわけではなく、どのようなデメリット、危険性が潜んでいるかも隠すことなく書いている。完全無欠な対策などあるはずもないので、著者の提案に対し読んでいて色々と感じる人はいると思う。ただ、大きな方向としては正しいし、これしかないとも思わされる。
実際にできるかどうかはわからないが、できなければ破滅、という提案だ。大事なのは、何もかも本に書いてある通りにすることではなく、この方向しか生きる道はないと皆が納得することだろう。そのように「マインドセット」を変えなくてはならない。
本書を読んで「マインドセット」を変え、人類の未来のために、少しずつでも行動をする人が増えれば訳者としてこれ以上の喜びはない。
