知っておきたい今井むつみさんの認知科学の広くて深い世界を、体系的に学べるように、えりすぐってお届けしていきます。今週は、2024年9月の新刊『 学力喪失 認知科学による回復への道筋 』(今井むつみ著、岩波新書)からの抜粋です。2回目は、認知科学と人工知能研究について。ChatGPTが克服した「言語の壁」を中心に見ていきます。
認知科学と人工知能研究の関係
1960年代から70年代における認知科学の創成期において、その中心にあったのは人工知能研究だった。人間の思考や学習プロセスを、言語で抽象的に記述するのではなく、科学として、詳細に、再現可能な形で理解したい──。「人間の知性とは何か」という難題を科学的に解明するための飽あくなき知的探究の対象として人工知能があった。それはまさに認知科学が目指すところと完全に重なっていた。
人間の頭なら簡単にできる計算や推論が、その当時のコンピュータでは難しかった。当時の人工知能研究のネックは、コンピュータの記憶能力と計算能力の制約だった。しかし、その後に、コンピュータのハードウェアは飛躍的な進化を遂げる。同時に、計算の方法も、認知科学の創成期における記号処理のアプローチから、人間の脳の神経細胞の活動を模したニューラルネットが主流となった。その結果、人間には及びもつかない大量のデータを瞬時に計算することができる「瞬間計算機」の開発が進んだ。このあたりから、人工知能研究と認知科学は互いの道を分かれて進むようになっていった。人工知能研究は、産業界と一体になって、人間の思考の解明から、チェス、囲碁や将棋などの人間のトッププレーヤーを打ち負かすプログラム(アルゴリズム)の開発や、大量のデータから人間の目では到底発見できないようなパターンを発掘(=マイニング)するデータマイニングへと、その主軸を移していったのであった。例えば、個人をターゲットに購買の可能性が高い商品を推測したり、クリックの確率が高い広告を配信するアルゴリズムが開発され、実世界、あるいはネット上のバーチャル世界で実用されるようになった。
人工知能と言語の壁
急速に進化する人工知能研究の中で、もっとも困難だったのは、人間の自然言語の理解と生成だった。そしてその先に、異なる言語の間の機械翻訳の壁も屹立(きつりつ)していた。言語は人間の知の集大成ともいえるもので、言語を使うためには、文法、単語、語用(言語を使うための慣習)などの言語に関する知識の他に、多くの概念知識が必要だ。それらを統合させた推論も求められる。言語はAIにとっての最大の「壁」と考えられていて、実際、研究の進歩の速度は他の分野に比べてずっと遅かった。機械翻訳によって、異なる言語を話す人たちとコミュニケーションが可能になることは多くの人が望み、夢見ていたことだったが、相手の言っていることを自分の言語で自然に感じられ、容易に理解できるレベルに翻訳してくれる機械は長い間現れなかった。ChatGPTが出現するまでは。
ChatGPTは人々を熱狂させた。プログラミングなどの特殊な技能がなくても、コンピュータと自然な言語で対話ができ、質問ができるようになった。コンピュータはこちらが自然に理解できる言語で質問の答えを教えてくれる。日本語を英語にも翻訳してくれる。しかも、文法や単語の選択には間違いがほとんどない、質の高い英語で。雨後の筍のように、ChatGPTの他にも様々な生成AI が発表された。このような空前絶後の生成AI ブームの中で、人間の存在意義が改めて脚光を浴びるようになった。「AIに仕事を奪われる」「どういう職種が社会から必要なくなるのか」。そういう議論もさかんに論壇やメディアを賑わせるようになった。
生成AIの苦手な領域
2024年の7月に、オランダで国際認知科学会が行われ、筆者も出席した。この学会でも、生成AIを扱った研究が多数報告された。しかし、「認知科学」という学問の性質からして当然なのであるが、研究のほとんどは、生成AIを通して人間の思考、学習、発達を改めて理解しようという意図で行われたものであった。人間と同じ推論や学習の課題をAIにさせて、人間とAIの思考、推論のパフォーマンスを比較し、そこから生成AIの限界とは何かを考え、人間の知性の特徴を改めて考えるというものだ。多くの発表で共通して指摘されていたのは、ChatGPTは、解決に至る道がひとつに決まらないオープンエンドな問題ほど、パフォーマンスが低くなり、人間の思考とは離れていくということだった。オープンエンドとはいえ、認知科学の研究で扱われるのは、実世界でよくあるような、だれにも正解がわからない問題ではない。人間の大人ならほとんどの人が「正解」できる類推やアブダクションの課題であり、そんなに難しいものではない。それでも、ChatGPTには、科学の仮説形成に必須であるオープンエンドな類推課題などは難しいことが報告されていた。例えば第6章で紹介した、「かずのたつじん③」大問9のように、与えられたモノどうしの関係と同じ関係にあるモノのペアを、たくさんのモノの中から見つけることを求める問題が、オープンエンドな類推課題の一例である。
解法が複雑でオープンエンドな問題に取り組むために、まず必要なものは何か。全体を見通し、ゴールから逆算して、ゴールまでの行程を考える力である。こう書くとたやすいことのように聞こえるかもしれないが、これには本書を通じて述べてきた(特に第6章、第7章)、熟達者の直観が必要なのである。最初からゴールまでのステップをすべて見通せるような問題は、その分野の知識と熟練があれば解決できる。よい例が、囲碁や将棋をはじめとしたボードゲームだ。AIは、例えばボードゲームのように、問題のゴール(相手を負かす)と探索の範囲がはっきりしていれば(つまりオープンエンドの反対なら)、人間の達人を超えるパフォーマンスを見せる。すべてを、確率計算で行うからである。1ステップごとに、ゴールまでのすべての可能な分岐点で「勝つ」確率を計算し、もっとも確率が高い手を選んで次の一手を決める。相手が次の手を選べば、そこからまた確率計算を始める。このようにAIはゴール(勝利)に向かってひたすら前に進んでいく。そこに、アブダクションと直観はない。もちろんそれは、人間の脳の情報処理能力ではできないことである。
なぜ直観が必要なのか
しかし、人間が実世界で取り組みたい(あるいは取り組まなければならない)のは、このようにゴールがはっきりとわかっていて、そこに至るために必要なステップが事前にわかり、「最良の一手」を確率的に計算できる問題ばかりではない。多くは、もっとずっとオープンエンドの極(きょく)のほうに針が振れている問題である。しかも、ゴールさえぼんやりとしか見えない場合も多く、人によって「正解」が異なってしまう場合さえある(文化や個人の価値観が絡む問題はほとんどそうである)。しかし、複雑すぎて何から始めたらいいかわからない場合でも、ゴールのあるべき姿と進む方向性について、なんらかの直観(イメージ)があれば、最初の一歩を踏み出すことができる。ただしその場合は、直観に導かれて進んでいきながら、つねに自分の状況を確認し、誤っていれば修正していくことが必要である。さらに、手探りで進んでいきながら、自分の道筋が誤っているかどうかを見極める判断にもまた、直観が求められる。
芸術でも科学でも、あるいは他のどんな分野でも、ほとんどがこのように、確率計算ではなく、達人の直観によって新たな道が切り開かれ、偉業が成し遂げられてきた。そして、私たちも歴史に名を残すような偉業ではなく、もう少し小さいスケールで、頻繁にオープンエンドな問題に直面している。例えば、ChatGPTが手も足も出なかった東大の数学の入試問題もそのひとつだ。数学は(少なくとも入試問題のレベルでは)たしかに答えが一義的に決まる。しかし、問題を解く過程ではいくつものステップを踏む必要があるし、ゴールと道筋(論理の進め方)が直観的に見えないと、その行程を進むことができない。ChatGPTに欠けているのは、このような全体を見通して、問題の本質を把握するための直観力なのだ。
