「仕事に感情を持ち込むな、はよく聞く話。でも実際には感情を切り離すのは不可能で、この前提を踏まえてどう配慮するべきかが重要だ」。こんな感想が寄せられているのが、書籍『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』(日経BP)です。本パートでは同書から抜粋して、職場で起こりがちなコミュニケーションのトラブルと解決策を認知科学の側面から見ていきます。2回目は、感情と合理性についてです。

仕事に感情を持ち込むのは二流の愚策?

 「話せばわかる」「言えば伝わる」を実現するためには、感情に気を配ることが不可欠です。ここでいう感情とは、相手の感情だけでなく、自分の感情も含まれます。

 人は、自分の気持ちと切り離して何かをすることは基本的に困難です。自分では気づいていなくても、気持ちや感情から、何かしらの影響を受けています。
 このようにお伝えすると、
 「そもそも、仕事に感情を持ち込むなんて、二流のすること」
 などと思う方もいるかもしれません。また、「感情的である」というのは、しばしば「困った性質」として扱われます。

 激しい感情のままに、カッとなって相手を怒鳴りつけるなどすればそれは確かに二流でしょう。
 けれど、このような激しい感情ではない気持ちや意図も、私たちの思考や行動に大きな影響を与えていることを忘れてはいけません。感情の影響を受けずに判断できる人間は存在しません。誰もが仕事に感情を持ち込んでいるのです。

 本連載の、「 どう見ても不合理な判断をしてしまう人が後を絶たない理由 」で「神聖な価値観」についてお話ししました。感情は、まさにこの神聖な価値観に匹敵するものです。

 多くの人は、「自分は合理的に判断し、決定している」と思っているかもしれませんが、そうではありません。選択や意思決定の多くの場合、人は、最初に感情で、端的に言えば「好きか嫌いか」で物事を判断し、その後、「論理的な理由」を後づけしているに過ぎないことを示すデータが、非常に多くの認知心理学や脳神経科学の研究で報告されています。

感情と合理性

 ただし、感情で決めることが合理的でないと言っているのではありません。
 解剖学者の養老孟司(ようろう・たけし)さんは『養老孟司特別講義 手入れという思想』(新潮文庫)の中で、「ビュリダンのロバ」という哲学における有名な比喩(ひゆ)を引き合いに出しながら、感情で決めることの合理性について述べています。

 養老さんは、ロバというのは西洋における馬鹿な動物の代名詞で、お腹が空いたロバをまったく同じ量の干し草の間に置くと、どちらを食べていいかわからずに餓死してしまうと紹介した上で、次のように続けています。

 馬鹿なロバではなくて、皆さんがもし完全に論理的な計算だけをする高度のコンピュータだったらどうするか。このコンピュータはこちらの山を食うべきか、あちらの山を食うべきか、すなわちどちらを食ったら得かをすべて計算で決めようとします、論理機械ですから。(中略)
 コンピュータはお利口ですから、そういう手段を論理的に割り出して、ソナーを使うかレーザーを使うか知りませんけれども、ともかく両方の量を量ります。量ったところが一グラムと違わないという答えが出てしまいます。(中略)
 生き物はそういう馬鹿なことをしないで、非常に強くバイアスをかけています。そして、情報にかかっているバイアスを、意識は自分で把握することができます。そうした把握をしばしば感情、すなわち好き嫌いと呼んでいるんですね。(中略)
 情報に非常に単純に係数をかけること、すなわち重みづけができると考えたとたんに、感情というものが一見不合理に見えて極めて合理的なものであるということがわかってきます。


 これは示唆に富んだ指摘でしょう。あらゆる計算をした上で、それでも優劣がつかないならば、コンピューターでは決めることはできないが、生き物なら決めることができる。それは感情があるからで、感情は合理的なシステムなのだ、というのです。
 ここでいう「感情」とは、必ずしも表情や態度に出てしまうような「大きな波」のようなものでなくて、直感的な「好き・嫌い」が近いでしょう。

直観に基づいた「いい感じ」を大切に

 このことは、ドイツの心理学者ゲルト・ギーゲレンツァーの著書『なぜ直感のほうが上手くいくのか?「無意識の知性」が決めている』(小松淳子訳、インターシフト)に詳しく書かれています。
 そこで紹介されているのは、人は何か(ジャムなど)を選ぶときや迷ったときに、最初の瞬間に注視したものを最終的に選ぶ傾向があるという実験です。つまり人は、「これが好き」という感情が最初にあって、それを基に意思決定をし、あとからその選択でいいかどうかを理性で検証しているというのです。

 このことが示しているのは、結局、感情はときに、優れた「直観」を反映するものであるということです。この直観のことをギーゲレンツァーは「ガット・フィーリング」と呼んでいます。日本語でいうなら「腹で感じる直観」でしょうか。
 将棋の達人たちは、手筋を読む前にまず、よい手には「いい感じ」、悪い手には「イヤな感じ」がすると聞いたことがありますから、私たちの判断は多分に感情の影響を受けており、そしてその判断にはある程度の合理性がある、ということなのでしょう。

 確かに、コロナ禍をはじめとする世の中で日々起こる出来事は、必ずしも判断に足るデータがあるわけではありません。しかしこれまでも私たちは、日々の生活においても、仕事においても、その都度、情報が十分にない中で判断を求められてきましたし、実際に判断してきたわけです。
 「合理的に判断できるだけのデータが集まるまで、判断できない」というのは、究極の非合理といえそうです。

「うまく伝わらない」という悩みの多くは、「言い方を工夫しましょう」「言い換えてみましょう」「分かってもらえるまで何度も繰り返し説明しましょう」では解決しません。人は、自分の都合がいいように、いかようにも誤解する生き物です。では、都合よく誤解されないためにどうするか? 自分の考えを“正しく伝える”方法は? 「伝えること」「分かり合うこと」を真面目に考え、実践したい人のための1冊です。

今井むつみ著/日経BP/1870円(税込み)

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