世界は、経済効率最優先のグローバリゼーションから経済安全保障の時代にシフトしている。経済や高度技術の「武器化」が進む中、最も注目されている戦略物資が先端半導体であり、その製造で圧倒的なシェアを誇るのが台湾積体電路製造(TSMC)だ。『 半導体ビジネスの覇者 TSMCはなぜ世界一になれたのか? 』(王百禄著、沢井メグ訳)で解説文を執筆した鈴木一人氏(東京大学公共政策大学院教授)に、半導体が経済安全保障の「武器」としてどのような役割を果たすのか、さらには、TSMCが本拠を置く台湾の有事のシナリオなどについて聞いた。その前編。(聞き手は、沖本健二・日経BOOKSユニット編集委員)

<b>鈴木一人(すずき・かずと)</b><br>2000年英国サセックス大学大学院ヨ-ロッパ研究所現代ヨーロッパ研究専攻博士課程修了。00~08年筑波大学大学院人文社会科学研究科で専任講師・准教授、08~20年北海道大学公共政策大学院で准教授・教授。12~13年プリンストン大学国際地域研究所客員研究員。13~15年国連安保理イラン制裁専門家パネル委員。20年から東京大学公共政策大学院教授、22年から地経学研究所長(ともに現職)。内閣府宇宙政策委員会委員(宇宙安全保障部会長)、日本安全保障貿易学会会長、国際宇宙アカデミー正会員、日本国際問題研究所客員研究員なども兼任。(写真:品田裕美、以下同)
鈴木一人(すずき・かずと)
2000年英国サセックス大学大学院ヨ-ロッパ研究所現代ヨーロッパ研究専攻博士課程修了。00~08年筑波大学大学院人文社会科学研究科で専任講師・准教授、08~20年北海道大学公共政策大学院で准教授・教授。12~13年プリンストン大学国際地域研究所客員研究員。13~15年国連安保理イラン制裁専門家パネル委員。20年から東京大学公共政策大学院教授、22年から地経学研究所長(ともに現職)。内閣府宇宙政策委員会委員(宇宙安全保障部会長)、日本安全保障貿易学会会長、国際宇宙アカデミー正会員、日本国際問題研究所客員研究員なども兼任。(写真:品田裕美、以下同)

グローバル化に背を向けた米国

近年、「経済安全保障」の重要性が叫ばれ、日本でも昨年、経済安全保障推進法が成立しました。そもそも、なぜ今、経済安全保障の重要度が高まっているのですか。

鈴木一人氏(以下、鈴木):1990年代以降、中国やロシア、かつての東側の国々などがどんどん西側の自由貿易のサークルに入ってきて、いわゆるグローバリゼーションといわれるものが定着するようになりました。

 グローバリゼーションの進展によって、自由貿易の枠組みの中で資本の移動が自由になり、企業は生産拠点を世界のどこにでも置けるようになった。その結果、企業のサプライチェーンのグローバル化が一気に加速し、「国家」や「国境」の役割自体が意味を成さなくなるとまでいわれるようになったわけです。

 けれどもそれは間違った見方でした。確かに国家は一歩後退したけれど、国内の経済活動が活発化することで国民の所得水準が向上し、生活が良くなるなど、国家に恩恵があった。それがとりわけ顕著に現れたのが、中国や発展途上国、グローバルサウスといわれる国々でした。

 逆に、グローバル化の恩恵をほとんど受けなかったのが先進国、とりわけ米国の労働者階級の人々であり、彼らの圧倒的な支持を受けて生み出されたのがトランプ政権だったわけです。

 グローバリゼーションによって自分たちの仕事や生活の豊かさが奪われていると考えた米国は、保護主義的な姿勢に転じ、経済的な威圧を「武器」にするようになっていきました。米国は自由貿易という枠組みをつくり、それを維持し支えてきた国ですが、その米国が今、自由貿易という仕組みを壊しているわけです。

 そして、米国が「もう自由貿易をやめた」と背を向けた瞬間、自由貿易を支えるメカニズムがどんどん不安定になっていき、それに日本やその他の国々が振り回されているというのが、現在の状況です。

 一方、習近平体制の中国は、国家が経済をコントロールする国家資本主義の仕組みをより強化することで経済成長を成し遂げてきました。経済成長が進むとともに、共産党の一党支配を脅かすような存在、例えばアリババやテンセントなどが出てくれば国家権力を行使して頭を押さえつけ、国家の力で経済をコントロールしてきました。

 こうした事情を抱えた二つの大国がぶつかっているのが、今の米中対立です。

米中間では、半導体に関する輸出規制などで対立が深まっていますが、これは米中の覇権争いが原因ですか?

鈴木:米中の対立について「中国が米国の覇権に対して挑戦をしている」「米国はナンバーワンであり続けるため中国と対立している」という説明がしばしばされています。これは半分は正しいが、半分は間違っている。つまり、米国は独力でナンバーワンを維持することはできないので、中国との激しい対立を必要としているということです。

 例えば、半導体製造のナンバーワンは台湾であるし、5Gに関しても、米国はファーウェイを追い出しましたが、その後に頼ったのはノキアやエリクソン、NEC、富士通であり、米国企業ではありません。

 グローバル化の進展によって、米国は自らの衰退ぶり、つまり、自分たちがナンバーワンでなくなった分野がたくさんあることを自覚するようになりました。そこで、米国は「悪いのは中国だ」と理由づけることにより、自分たちの怒りや不満を中国にぶつけ、中国もそれに対して反発している。こうした流れの中で、経済がまさに安全保障上の「武器」になってきているわけです。

 冷戦が終わって30年、どこに投資しても、誰と取引しても大丈夫という時代は終わりを告げ、今や誰に投資するか、どこと取引をするかを真剣に考えなければいけない時代になりました。

「中国が米国の覇権に対して挑戦をしている」との見方は、半分は正しいが、半分は間違っている、と話す鈴木氏
「中国が米国の覇権に対して挑戦をしている」との見方は、半分は正しいが、半分は間違っている、と話す鈴木氏

なぜ先端半導体が「武器」になるのか?

グローバル化の進展により米国が痛手を負ったことが、グローバリゼーションが後退し、世界が経済安全保障時代にシフトしている原因なのですね。

鈴木:米国はグローバル化によって最も損害を受けた国なんです。経済学者のブランコ・ミラノビッチ氏らが考案した世界の所得階層の分布を示す有名なグラフ「エレファント・カーブ」(編集部注:縦軸「実質所得の累積増」、横軸「世界の所得分位」とし、1988年からの20年間における世界の所得階層の分布をグラフ化したもの。描かれた曲線が、鼻を持ち上げた象の姿に似ていることから、その名が付いた)にも示されているように、所得の低い国々ほどグローバル化の恩恵を受け、先進国では中・下位層を中心に、経済の停滞が長期化している実態が浮き彫りになりました。

 だからこそ、米国は自由貿易に背を向け、TPP(環太平洋パートナーシップ)協定から離脱し、NAFTA(北米自由貿易協定)はUSMCA(米国・メキシコ・カナダ協定。NAFTAより「原産地規則」が大幅に厳しくなった)に名前を変え、そして、WTO(世界貿易機関)の上級委員会の委員選任を拒否し、WTOを実質的に機能不全にさせるという行動に出ました。

 今バイデン政権が取り組んでいるインフレ抑制法(IRA)やCHIPS法、それに米国では大統領選挙のキャンペーンがもう始まっていますが、バイデンのX(旧ツイッター)のアカウントを見ていると、米国にいかに仕事を持ってきたか、米国経済をいかに回復させたか、米国のインフラにどれだけ投資したかをすごく宣伝しています。

 米国では、グローバル化によっていろんなものを失い続けてきたことに対する国民の不満がものすごく大きい。バイデンのポストはこれに応えるものです。だから、サリバン(国家安全保障問題担当補佐官)が打ち出した「中産階級のための外交政策」は、まさにその名の通り、中産階級にいる人たちを利する、自由貿易ではない、簡単に言えば保護主義的な措置であり、これが今のバイデン政権の基本姿勢です。

 こういう米国だからこそ中国は反発するし、中国が米国に反発することによって日本やその他の同盟国にもいろいろと負の影響が出るわけです。

経済安全保障時代の中で、先端半導体がクローズアップされている理由は?

鈴木:バイデン政権が先端半導体を米中対立の鍵にしたのは、中国が独力で先端半導体をつくれないことが、最大のポイントです。経済安全保障というのは、経済をいかに強力な武器にできるかというところにかかっています。当然、先端半導体における優位性を失うと、AIやクラウドサービスのような次の世代の中心となるサービスやそれを使った軍事活動が中国に支配されてしまうという懸念もあります。

 現時点で中国は先端半導体をつくることができない。ですが、何もしないでいると、近いうちに中国が追いついてくることは目に見えています。これは米国の安全保障上、不利益であり、そして先端半導体が生み出す将来の膨大なマーケットや、今の米国企業の強みが製造業ではなく、AIやクラウドなどハイパフォーマンス・コンピューティング(HPC)を基盤にしたサービスにあることを考えると、HPCの心臓部となる先端半導体を中国に握られるのは不都合です。

 米国とその同盟国が持っている技術や製造装置の輸出管理を強化すれば、中国はしばらくの間、独力で先端半導体をつくることはできず、その間に自分たちが1歩も2歩も先に行って引き離す。中国に対して勝てる見込みのある分野だからこそ、先端半導体が経済安全保障の重点対象になるわけです。

 微細化の技術レベルでいうと、今、中国は7nm(ナノメートル)プロセス、米国は5nmプロセスが最先端ですが、中国がここで足踏みし、米国が2nmプロセスをつくれるようになり、さらに、その先のビヨンド2nmプロセスまで行ければ、この差を埋めるのはかなり大変になってくる。だからこそ、中国をこの時点の技術レベルで止められるかどうかが重要なポイントになるわけです。

先端半導体の製造に関しては寡占化が進んでおり、製造装置についても、最先端の半導体をつくるのに欠かせないEUV(極端紫外線)露光装置のメーカーは、オランダのASMLしかありません。

鈴木:中国は7nmプロセスまでつくれると言っていますが、オランダの輸出規制強化によってEUV装置が手に入らないので、性能が劣るDUV(深紫外線)露光装置で多重露出(マルチパターニング)という手法を使ってつくっています。おそらく歩留まりが非常に悪く、普通ならペイしないはずですが、国策により採算度外視でやっているのでその心配はない。ただ、EUV装置なしにその先に進むのは難しいでしょう。

TSMCは「護国神山」なのか?

TSMCは世界一のシェアを誇るファウンドリー(半導体チップの製造受託企業)です。その本拠地のある台湾は地政学的ホットスポットですが、『半導体ビジネスの覇者』の著者は、TSMCが台湾を守る「護国神山」(国を守る偉大な存在)だと位置付けています。

鈴木:昨年、日本で制定された経済安全保障推進法の議論の中でも、「戦略的不可欠性」という言葉が出てきました。この「不可欠性」が、まさに「護国神山」に当たると思います。要するに、世界にとって不可欠な存在になればなるほど、他国も攻めにくいということは、一面の真実としてはあると思います。

 ただ、しばしば戦争というのは合理的な理屈だけでは動かないものです。合理的に考えれば、ロシアがウクライナに侵攻して3日でキーウが陥落するなんてことは考えられないわけです。それでも、誤ったインテリジェンスと過大な自信、思い込みなどが折り重なってしまうと、ウクライナ侵攻のようなことが起こってしまう。

 中国と台湾の間でも、こうしたことが起きないとは限らない。その意味で、「護国神山」というのは、世界が合理的に動いている限りはその通りですが、絶対ではない。「不可欠性」はもちろん必要であり、それがあることによって、台湾が米欧日から守られる確率は確実に高くなります。だからといって、それで安心というわけではありません。

(後編に続く)

「戦略的不可欠性」は重要だが、それだけで国が守られるとまでは言えない、と話す鈴木氏
「戦略的不可欠性」は重要だが、それだけで国が守られるとまでは言えない、と話す鈴木氏
TSMCの七つの競争優位性を徹底解説

1987年に創業し、今や世界最強のファウンドリーとなったTSMC(台湾積体電路製造)。台湾政府の国策として「偶然」誕生した同社は、モリス・チャンというカリスマ的な経営者のもとで急成長を遂げ、あらゆる意味で「台湾の守り神」となっています。その強さの秘密である「七つの競争優位性」を解き明かし、半導体ビジネスを10年先まで見通します。

王百禄(著)、鈴木一人(解説)、沢井メグ(訳)、日経BP、2200円(税込み)