画期的な発明や巨大企業の成功を語るとき、私たちはそこに「一人の天才」を見つけたがる。だが、歴史に名前を残した人物の背後には、往々にして忘れられた集団がいる。なぜ人間はチームよりも個人の功績を大きく見積もってしまうのか。そこには、私たちの認知そのものに組み込まれた癖がある。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)スクール・オブ・マネジメント准教授でグループダイナミクス(集団力学)を研究するコリン・M・フィッシャーの最新刊『 最強チームの設計図 成果の6割は「集まる前」に決まっている 』(野中香方子訳、日経BP)から、抜粋記事(一部改変)をお届けする。
世界を動かしているのは集団である
私たちは偉大な個人についての物語が大好きで、ひとりの天才が革新をもたらすという話に夢中になる。歴史書は、人間の業績のほぼすべてを一個人(たいていは男性)によるものとして語る。けれども、こうした物語は表面をなぞるだけだ。
掘り下げていくと往々にして、実際に仕事を担っていたのは集団であることが判明する。「孤高の天才」は現実ではなく、神話のようなものだ。世界を動かしているのは集団なのだ。
私のお気に入りの研究『知識生産におけるチームの優位性の増大』において、ノースウェスタン大学の研究者たちは、個人とチームのどちらがより多くの知識を生み出してきたかを調べた。彼らは1955年から2000年までの入手可能なすべての発見、すなわち1980万件の研究論文と210万件の特許について調べた。すると、STEM(科学、技術、工学および数学)のすべての分野において、チームによる発見の割合は高まっていた。そしてチームの規模も、年々拡大した。
加えて、チームによる発見は、将来の科学者、発明家、起業家が活用するブレークスルーになる可能性が、個人による発見よりもはるかに高かった。例えば、チームで書いた論文は、1000回以上引用される可能性が個人の論文の6.3倍高かった。1000回以上引用されることは、映画で言えば大ヒットに相当する。大半の論文は10回も引用されない。
しかし、常にそうだったわけではない。1950年代には、単独で活動する科学者や発明家は、失敗する確率が高い一方で、画期的な発見をする確率も高かった。けれども、単独での研究が成功する確率は年々下がっていった。
「一人で全部わかる」時代は終わった
発見や発明においてチームのほうが成功しやすく、個人ではうまくいかなくなった理由は推測するしかないが、多くの科学者は、世界がかつてより複雑になっただけだ、と考えている。
ひとりがバスタブに浸かったり、りんごの木の下に座ったりするだけで何かを発見できたのは、遠い昔のことだ。今では、専門分野のほんのひとかけらを理解するだけでも、一生分の時間がかかる。科学と教育と職業はすべて、ますます専門化している。
ミトコンドリア系統学の専門家にはなれても、生物学全体の専門家にはなれない。そして、問題を解決するには、多様な領域の専門家が必要とされる。つまり、チームで取り組まなければならないということだ。
しかし私は、発明や発見においてチームが優勢である理由を説明するには、世界の専門化や複雑化よりも重要な要素が二つあると考えている。一つは、「人間は協働が上手くなった」ということだ。つまり、私たちは時空を越えて会話し協働する能力をたえず向上させているのである。もう一つは、「科学研究や発明は、昔から個人の力だけで成し遂げられてきたわけではない」ということだ。
例えば、電球を発明したのは誰かと問われて、トーマス・エジソンと答えたら、それは間違いだ。白熱電球はエジソンがまだ生まれていない頃に発明されていた。エジソンは、多くの先人たちの成果を土台にして、商業的に成り立つ大衆向けの電球をつくり、その特許を申請した。その電球も共同作業の産物であり、エジソンは「マッカーズ」と呼んだ仲間たちとともに開発に取り組んだ。マッカーズのメンバーの名前はほとんど忘れられ、エジソンは特許に自分の名前を記し、功績を独占した。後は歴史が語る通りだ。
私たちは「英雄」をつくりたがる
私たちは、偉業を成し遂げた英雄の物語に慣れ親しんでいる。優秀だが評価されない天才が孤軍奮闘し、拒絶や失敗を乗り越える物語だ。私たちは個人のことは覚えているが、チームのことは忘れてしまう。
集団が果たす役割を私たちが軽視しがちなのは、社会心理学の最も重要な発見の一つとされる「根本的な帰属の誤り」と深く関係している。「帰属」とは行動の原因を説明する心理的プロセスであり、「帰属の誤り」とは、行動を説明する際に、当人の気質や個性を過剰に重視し、当人が置かれていた状況を軽視する傾向を指す。
成功のような良い結果についても、同じ誤りを犯す。私たちは、誰かが10億ドルの事業を築くと、その人がこれまでの人生で得ていたかもしれない有利な条件を考慮せず、成功したのは彼が天才だからだと考える。
他者の行動を理解しようとするとき、私たちは、その人を支えたり、逆に不利にしたりしてきた集団や状況を十分に考慮しない。
自分がグループにどのくらい貢献したかを考えるときにも同様の問題が生じる。あなたは(そう、あなたも)、「自己中心的な偏見」にとらわれやすい。私たちの脳は、自分の重要性や貢献を過大評価しがちだ。
ある代表的な研究では、チームのメンバーに、チームの成果に自分が果たした貢献を比率で見積もるよう求めた。もし誰もが正確に見積もっていたら、合計は100%になるはずだ。けれども、ほとんどの人は自らの貢献を過大評価するため、合計は100%をはるかに超えた。ある実験では235%になった。
自己中心性と個人主義が相まって、私たちは成功と失敗の両方を誤解しがちだ。特に、成功した場合は、自らの役割を過大評価し、成功に至るまで支援してくれた集団を無視する。
また、集団が成功しても失敗しても、すべての賞賛か非難を受けるべきひとりの人物を見つけようとする。別の言い方をすれば、集団的な視点に立つのは難しいのだ。
コリン・M・フィッシャー(著)、野中香方子(訳)/日経BP/3300円(税込み)

