「自分は不器用で損ばかりしている」「あの人はいつも楽しそうだ」……その根底にあるのが「他人との比較」。しかし「価値は相対的なもの。自然のまま、流れのままに生きていこう」と考えればラクになる。これこそ2500年前に中国の思想家・老子が説いた無為自然の教えだ。周囲がズルく思えたとき、老子ならどうする? 日経ビジネス人文庫『人生に、上下も勝ち負けもありません。 焦りや不安がどうでもよくなる「老子の言葉」』(野村総一郎著)から抜粋・再構成してお届けする。
正直者は損ばかり?
自分は真面目に、正直に生きている。
それなのに周りには不真面目に、ズル賢く立ち回っている人がいる。
そんな人が得をしていることも多く、どうしても納得がいかない。
自分はこんなにもルールを守り、正しくやっているのに、どうしてあの人は周りのお手本になるような、正しい生き方をしてくれないのか。
考えれば考えるほど、情けなく、むなしくなってしまう。
周りに対して、そんなふうにやきもきしている方もいるのではないでしょうか。
もちろん私も、正直に真面目に生きている人が報われて、ズルをしている人が得をすることのない世の中になってほしいと思います。
ただ、そうとばかり限らないのが人生のむずかしいところ。
たとえば、「カスタマーハラスメント」という言葉がありますが、そもそも「お店に対して過剰にクレームをつける人」のなかには「それで得をした経験がある人」もけっこう多いのではないでしょうか。いわゆる「ゴネ得」というやつです。
「ゴネ得なんてあってはいけない」「正直者が損をするなんて納得がいかない」。そんなふうに憤ったときは「毒きのこ」のことを考えてみてください。
でも、僕にとっての毒は、自分を守るための「善」なんだ。
不善人は善人の資(し)なり。
しかし、善い人間だって、悪い人間から学ぶことができるものだ。
本当は何が正しいか誰にもわからない
不真面目で、ズル賢く振る舞う人を見ると、「もっと真面目にやるべきだ」と諭したくなったり、「相手を正してあげなくては」という気持ちになったりするのもわかります。
しかし、そんな「ズルい人」「悪い人」からも(反面教師として)学ぶことはある。そう老子は説いています。
私はこの老子の言葉を読むと、浄土真宗の開祖である親鸞(しんらん)の「悪人正機(あくにんしょうき)説」を思い出します。
善人なおもて往生(おうじょう)を遂(と)ぐ、いわんや悪人をや。
言葉通りに解説すると「善人でも往生して幸せになれるのだから、悪人はなおさら幸せになれる」となるでしょうか。
これだけ聞くと「えっ、どういうこと?」と不思議に思います。
「善人が幸せになる」のはわかる。でも「善人がなれるなら、当然悪人も幸せになれる」なんてわけがわからない……。
しかし、ここで使われている「善人」「悪人」というのは、定義自体がちょっと違っています。簡単に言ってしまうと次のようなイメージです。
「善人」…… 自分が正しいと思い込んでいる人
「悪人」…… 自分が間違っていると知り、他人を傷つけている自覚がある人
つまり「自分が正しいと思い込んでいる人が幸せになれるのだから、自分が間違っていると自覚している人が幸せになれるのは当然」という教えだとわかってきます。
「自分は真面目で、正しいことをしている」と思っている人に、もちろん悪気はありません。
しかし、あえてもう一段深く踏み込んでみると、その「正しさ」とは自分が思っているだけで「本当は何が正しいのか」なんて誰にもわかりません。
まさに「自分がジャッジしている」だけで、もしかしたら、それを誰かに押しつけているのかもしれません。
常識やモラルもすべて同様です。
「ジャッジしないこと」を説いた老子
「不真面目な人」「ズル賢い人」を見ると、「あの人はダメだ」と説教したくなるかもしれません。
でも、そう決めつけてしまう前に、
「もしかしたら、私は自分の価値観を押しつけようとしているのかもしれない」
「あの人には、あの人なりに不真面目にしている理由があるのかもしれない」
と想像することがときには大切です。
何が善で、何が悪か。究極的には誰にもわからないからです。
すべては相対的なものであり「どっちが正しくて、どっちが間違っている」というジャッジそのものをしない。
それこそが老子のスタンスです。
世界が少しだけ違って見えてきませんか。
『 人生に、上下も勝ち負けもありません。 焦りや不安がどうでもよくなる「老子の言葉」 』
読売新聞「人生案内」回答者を17年務めた医師が、「人生がラクになる」老子の教えを伝授します。「他人がうらやましい」「自分は損ばかりだ」と日々モヤモヤする人には、老子の“抜け道をいく”哲学が最善の武器になります。
野村総一郎著/日本経済新聞出版/880円(税込み)

