世の中には、「努力」し続けられる人と、そうでない人がいます。努力できる人は、目標に向かって着実に歩みを進め、大きなことを成し遂げることができます。一方、努力が苦手で何事も中途半端になってしまう人も少なくありません。努力できる人とできない人の差は、いったいどこにあるのでしょうか。この連載では、人間の行動と心理について長年研究し、行動経済学・ナッジを基に企業へのコンサルティングを行っている経済学者・山根承子さんが、「努力ができる人とできない人はなぜいるのか?」「努力をしておくといいのは本当か?」「正しい努力とは何か?」「どうすれば努力できるのか?」という観点から、「努力」を科学で解明します。今回は「サンクコスト」。努力に潜む意外なリスクを考えます。
「せっかく◯◯したんだから」という心理のワナ
この連載では、努力について理解を深め、「努力できない理由」を多方面から探ることで、努力を継続するための様々なコツを見てきた。
努力を継続するのは素晴らしいことだが、それによるデメリットはないのだろうか。今回は、「努力の弊害」として私たちがどうしても無視できない「サンクコスト」というものを紹介しよう。努力を続けたことによって、合理的な判断ができなくなってしまう可能性があるのだ。
「サンクコスト」とは、既にかけたコストのうち、どう頑張っても回収できないコストのことを指す。
「サンク(sunk)」は「沈没する(sink)」の過去分詞形で、「沈んでしまって回収できないコスト」という意味である。日本語では「埋没費用」と訳されるので「土に埋める」感じを強く受けるのだが、「海に沈む」というニュアンスのほうが実態に合っている。
サンクコストは日常にあふれている。具体的な例で紹介しよう。
最近評判の飲食店に行ったら長蛇の列ができており、あなたは並ぶことにした。1時間後、やっと席に通されたが、メニューを持ってきた店員の態度があまりにもひどい。隣の人が食べているものもあまりおいしそうには見えないし、店の清掃も行き届いておらず、あなたは別の店に行きたくなる。
しかしこのとき、「でもせっかく並んだしな」と思い、我慢して注文してしまわないだろうか?
席に着いた時点において、「あなたが行列に並んだ時間」は、この店で食べようが、今から別の店に行こうが、取り戻すことはできない。並んだ時間は、回収不可能な「サンクコスト」なのである。
あなたが本当に考えるべきなのは、「この店で食事をしたときの満足度」と「別の店で食事をしたときの満足度」のどちらが大きいかということだけだ。
おそらくこのケースでは、別の店で食べたほうが満足度は高いだろう。だが、「サンクコスト」にとらわれたせいで、満足度の低い選択肢を選んでしまうということがよく起きる。
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「履けない靴でも捨てられない」のは、あなただけじゃない
他に分かりやすいのは靴の例だ。
返品不可能のすてきな靴をインターネットで購入したが、実際に履いてみるとサイズが合わず、無理やり足を入れてもとても歩けない。この靴は今後履くことはできないのだから、すぐに捨てるのが合理的である。
しかし、多くの人は「とりあえずしまっておく」という行動を取る。
この靴に払ったお金はサンクコストなのだが、私たちはこれを無視することができない。「せっかく買ったしな」と思ってしまうのである。捨ててしまえばいいのに、サンクコストにとらわれたせいで、置き場所という追加的なコストがかかることになる。
そして、こうして大切にしまっておいた履けない靴は、年末の大掃除や引っ越しの際などに「あっ、こんな靴あったな」と発見することになる。その頃には、靴の代金は簡単に諦められるほど深くサンク(沈没)している。あなたは特に苦しむことなく、この靴を捨てることができるはずだ。
十分にサンクすると、サンクコストは見えなくなり、惑わされることがなくなるのである。
サンクコストの「コスト」には、お金だけではなく、時間や労力も含まれる。長い時間をかけて努力したことは「せっかくずっと頑張ってきたしな」という思いを生み、それが最適な行動を邪魔してしまうこともある。「努力した」という事実が、よくない選択を導いてしまう可能性があるということだ。それまでにかけたコストによって「後に引けなくなる」といってもよい。
サンクコストを無視できないのはあなただけではない。ある研究の、次のような質問の結果が、それを示している(1)。
そのとき、ミシガンへのスキー旅行とウィスコンシンへのスキー旅行が同じ日程であることに気が付いた。日付が迫っているので、どちらのチケットも売ることはできないし、返金もできない。あなたはどちらのスキー旅行に行きますか?
なんと半数以上の人が、楽しくないと思っているミシガンへのスキー旅行を選択したそうである。
ウィスコンシンのスキー旅行のほうが楽しめると思っている(=得られる効用が高い)のだから、ウィスコンシンを選ぶのが合理的なはずだ。しかし「100ドルも払ったしな」というサンクコストによるバイアスが、最適な行動を選ばせなかったのである。
サンクコストは会社をも潰す
サンクコストはビジネスにも大きな影響を及ぼす。
あなたは会社で、ある新型のスポーツシューズをずっと開発しているとしよう。ある日突然、ライバルメーカーが同種の、そしてより高機能のシューズを発売して話題になった。あなたはこのシューズの開発を継続すべきだろうか?
このような、プロジェクトの継続と撤退を考える場面において、サンクコストは目を曇らせるので非常に危険だ。
「ひとごと」としてこの文章を読めば、「もちろんすぐに開発をやめるべきだ」と冷静に判断できるだろう。しかし、実際に自分の身に降りかかったときにも同じ判断ができるだろうか?
サンクコストは「せっかくだから」「ここまでやったんだから」「もったいないから」といった感情と強く結び付いている。これを無視することは簡単ではない。
実際のビジネスにおけるサンクコストが原因の判断ミスとして最も知られているのはコンコルドの例で、あまりに有名過ぎるため、サンクコストが原因の判断ミスは「コンコルドの誤謬(ごびゅう)」とも呼ばれている。
コンコルドとは、1960年頃に開発が進められていた超音速旅客機で、開発に莫大な金額をかけていた。しかし開発途中で、完成しても全く採算が取れないことが明らかになった。
通常であればここで開発を中止すべきところだが、「もうこんなに開発費をかけているんだから」という思いが合理的な判断を阻害し、そのまま継続した結果、大赤字となってしまったという結末だ。
一方で、サンクコストにとらわれず成功を収めた例もいくつかある。
例えば、ある人気ゲームを原作とするCG映画は、主人公のキャラクターデザインがあまりにも原作とかけ離れており、公式トレイラーの公開で「炎上」した。そして翌月すぐに、主人公のデザイン変更と公開延期が決定された。
再デザインにかかったコストは約5億円といわれており、当初のデザインにかかったコスト(サンクコストとなった費用)の大きさもここから想像することができるが、彼らはサンクコストにはとらわれず、冷静に判断したようである。
「せっかく◯◯したんだから」と心によぎったときの対処法
私たちが気を付けなければいけないのは、頑張って続けてきた「努力」が、合理的な選択を邪魔するサンクコストになっていないかという点だ。
努力してきた物事について、「こんなに続けたんだから」「せっかくここまでやったんだから」という気持ちがあるのは当然である。その気持ち自体が問題なのではなく、その感情が最適な行動を阻害するときに「努力の弊害」となるのである。
努力してきたことに関連した選択を行うときは、これまでの努力がサンクコストになって判断を鈍らせていないかどうか、一度立ち止まって考えてみることが重要だ。
それでは、サンクコストに惑わされないためにはどうすればいいのだろうか。
まずは「これはサンクコストかもしれない」と気付けるようになることである。ただし、気付くだけでは対応するのは難しい。
重要なのは「サンクコストが発生する前に時が戻ったら、自分はどうするか」を考えてみることだ。例えば、冒頭のレストランの接客態度や提供される品物、店内の清掃状態が、並ぶ前に分かっていたらどうしていただろうか? 履けない靴を購入したのではなく、何かのおまけとして無料でもらったのだとしたらどうしていただろうか? 新型スポーツシューズの開発を、きょうから始めようとしていたところだったらどうしていただろうか?
「サンクコストがなかった世界」を想像することで、「本当に効用の高い選択肢」が見えやすくなるはずだ。
努力を無駄にしないための心構え
サンクコストが本当にサンクしているかどうかの判定は実は難しく、サンクコストのように見えて「回収可能」なコストである場合もある。
特に努力については、「無駄な努力はない」という言葉もあるように、「努力が意外なところで実を結んだ」話は珍しくない。実際にそのような経験がある人も多いだろう。しかしこの「無駄な努力はない」という言葉は、サンクコストを正当化することにもなるので、やはり注意は必要である。
サンクコストに気付き、無視できる力は重要なのだが、サンクコストにとらわれることは「人間らしさ」の表れでもある。サンクコストにとらわれない発言をすると、「人でなし」のような印象を与えてしまうこともある。
例えば、人がずっと続けてきた「努力」を「なかったことにしろ」「無視しろ」というのは、あまりに血も涙もない。
サンクコストを無視しようと提案することは重要だが、感情的に反発されることもあると知っておくべきだ。言い方や状況に配慮しながら、「努力」が最適な選択の足かせにならないよう、冷静に判断していきたい。
(1) Arkes, H. R., & Blumer, C. (1985) “The psychology of sunk cost” Organizational Behavior and Human Decision Processes, 35, 124-140
- 費やしたお金や時間、労力には、どう頑張っても回収できないものもある。なるべく早く見切りを付けることが、より大きな成果を得るカギである。
- 「せっかく◯◯したんだから」という考えが浮かんだら、「そもそも◯◯していなかったらどう判断するか」を考えること。
- それでも「無駄だった」「なかったことにしたほうがいい」とは認めがたいのが人の心。そのような感情にも配慮を。
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