「昭和」が終わって30数年。あなた自身が「昭和人間」の場合も、身近な「昭和人間」についても、取り扱い方にはちょっとしたコツが必要です。「昭和人間」ならではの持ち味や真価を存分に発揮したりさせたり、インストールされているOSの弱点をカバーしたりするために、有効で安全なトリセツを考えてみましょう。今回のテーマは「クリスマス」。

 昭和人間は「クリスマス」という単語を目にすると、甘酸っぱい思い出やほろ苦い思い出が脳内をめぐります。その青春時代は、クリスマスをめぐる夢や希望や邪念に翻弄された日々だったと言っても過言ではありません。

 イブにプレゼントを枕元に置いてくれるサンタクロースは、現在60代の昭和人間が子どもの頃には、既に片田舎にも存在していました。ただ、大人のあいだで「正体」を隠しておこうという意識は薄めで、「わーい、サンタさんが来た!」と喜んでいる子どもに向かって、母親が「ちゃんとお父さんにお礼を言うのよ」などと言ったものです。

 家に電飾付きのクリスマスツリーを飾ったり、バタークリームもどきで彩られたクリスマスケーキを食べたりといったクリスマスのイベントも、高度経済成長が進んだ昭和40年代には、日本全国の子どもがいる家庭のあいだで広まっていきました。

 その頃に子ども時代を過ごした昭和人間は、昭和50年代後半から60年代に若者時代を迎えます。やがて迎える「バブル」に向けて、世の中が浮かれて調子に乗っている頃です。当時のクリスマスは、家族でほのぼの楽しむイベントから、本能に突き動かされた善男善女が目の色を変えて取り組むイベントになっていました。

 若かりし頃の昭和人間が、男女ともにクリスマスに向かっていかに情熱を燃やしていたか、平成生まれの若者にはピンと来ないかもしれません。仮に「へえー、そんなに一生懸命だったのか」とイメージしたとして、少なくともその10倍は一生懸命でした。

 今回は、個人的な体感や恨みつらみを多めに盛り込みつつお届けしています。そういうことで、多少の筆の滑りは苦笑いでスルーしてください。

多くの昭和人間が抱えるトラウマ

 断言しますが、クリスマスがカップルの祭典に変貌するきっかけになったのは、松任谷由実が歌った『恋人がサンタクロース』です。この曲を収録したアルバム『SURF&SNOW』の発売は1980(昭和55)年12月。たちまち大ヒットして、街には「恋人が~」というユーミンの歌声が流れまくります。当時お年頃だった昭和人間たちは、「そうかサンタクロースは、お父さんじゃなくて恋人でもいいんだ」と気付いてしまいました。

 その後、1988(昭和63)年にはJR東海が「クリスマス・エクスプレス」キャンペーンを始めます。クリスマスに新幹線に乗って恋人が会いに来るとかどうとか、そういう内容のCMのバックには山下達郎が歌う『クリスマス・イブ』が流れていました。

 トレンディドラマでは着飾った男女がクリスマスデートに繰り出し、若者雑誌では「クリスマスデートのノウハウ」が念入りに特集されます。そんなこんなで、当時の若者は「クリスマスは恋人と過ごすのがナウなヤングの必須条件」と思い込んでいました。

若者たちは雑誌のクリスマスデート特集を熟読し、夢と野望を抱いたものだが……(写真:スプやん/stock.adobe.com)
若者たちは雑誌のクリスマスデート特集を熟読し、夢と野望を抱いたものだが……(写真:スプやん/stock.adobe.com)
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 クリスマスデートの定番とされていたのは、フレンチのディナー(2人で4万~5万円)→ 夜景の見えるバーで一杯(2人で1万~2万円)→ 彼女へのプレゼントにティファニーのオープンハート(2万~3万円)→ シティホテルに宿泊(5万~6万円)といったプラン。クリスマス前にはデパートのティファニーの店舗に男性客が押し寄せました。

 上に書いたようなデートをしようと思うと、ざっと15万円ぐらいかかります。当時の若者がリッチだったわけではありません。普段はカップラーメンをすすってお金を貯めるなど、努力と我慢を重ねて、クリスマスというハレの日に備えました。

 非日常的な舞台装置でオブラートに包んでいますが、男女ともに最大の目的は(阪神タイガースの優勝じゃないほうの)アレです。まだまだ純情だった昭和の若者(とくに女性)にとって、クリスマスは一歩を踏み出すかっこうの「口実」でした。チャンスをつかもうと男性たちはケナゲにがんばりました。その情熱を誰が笑えるというのでしょうか。

 ただし、絵に描いたようなクリスマスデートを成し遂げられたのは、ごく一部です。シティホテルの客室数だけ見ても、野望を抱く男女の数と比べたら数パーセント、いやもっと少ないでしょう。いつの時代も何においても、夢と現実には大きなギャップがあります。大多数の若者の夢と野望は聖なる夜の闇にむなしく吸い込まれていきました。

 翌年もそのまた翌年もクリスマスはありましたが、「下剋上」が起きたケースはごくまれ。すなわち大多数の昭和人間にとって、若かりし頃のクリスマスの思い出には、ほろ苦さがくっついています。甘い思い出がくっついている昭和人間もいるでしょうけど、ほろ苦くたってそれはそれで十分にすてきな思い出なので、悔しくなんかありません。

 昭和人間同士で若かりし頃のクリスマスの思い出を語り合うときは、いかに必死に取り組んで、無駄な努力を重ねたかを競い合うのが楽しそうです。大願成就を果たした思い出を話す場合は、ウソでもいいから失敗談の流れにしたほうが盛り上がるでしょう。羨ましいだけの話を平気でするタイプは、確実に嫌われます。まあ、そっちの人同士なら問題ないのかもしれませんけど。

 若者におかれましては、昭和人間の多くはクリスマスに対して、トラウマやルサンチマンがあると理解してあげてください。昨今の若者がクリスマスに対して、それほど情熱を燃やしていないという話は、しばしば耳にしています。しかし、昭和世代は今もなお「クリスマスはカップルで過ごすもの」という思い込みから脱することができていません。

 そんな影響で、クリスマスの夜に残業している部下に対して、慰めるつもりで「クリスマスなのに仕事だなんて寂しいねえ」なんてピントがずれたことを言ってしまったりしそうです。もしかしたら、クリスマス前に「クリスマスは恋人とデートかな?」と聞いてくる不用意で大胆過ぎる上司も、まだどこかに生息しているかもしれません。

 間違いなく大きなお世話であり、立ち入り過ぎているセリフです。反応としては、冷たい口調で「わざわざクリスマスにデートなんかしませんよ」と言ってやるぐらいでかまいません。ただ、ちょっと悲しい背景を持つ刷り込みが言わせていることにも思いを馳せて、広い心でスルーしてあげていただけると幸いです。

 父親や母親が昭和40年±5年ぐらいの生まれの場合は、若い頃のクリスマスの思い出を聞いてみるのも一興。甘い思い出があれば自慢になるし、ほろ苦い思い出だったとしても、頑張った自分を思い出させてあげられます。母親が父親に「あら、私も聞いてみたいわ」なんて言って、父親が困った顔をするという味わい深い展開もあるかも。今年のご両親へのクリスマスプレゼントは、これで決まりですね。

昭和人間(自分を含む)との付き合い上の注意――今回のポイント
  • 若き日のクリスマスの思い出は、ほろ苦くてもすてきな宝物である
  • どんな種類の“武勇伝”を語るにせよ、笑ってもらってナンボ
  • 昔からの刷り込みが言わせているセリフは広い心でスルーしよう

文/石原壮一郎