私自身の読書歴を振り返ると、年代や置かれた立場によって、手に取る本のジャンルや求める内容は変わってきたなあと思います。職業柄、様々な本に触れる機会が多いのですが、時折スイッチが入ったように、ひとつのジャンルにはまり込むことがあります。
「松田紀子 競合誌編集長就任の理由 決断させた『推し本』」 でもお話ししたように、この3年間、私は『水滸伝』(北方謙三著、集英社)の世界にどっぷり浸っていますが、30代後半は、司馬遼太郎さんの作品に夢中になり、司馬さんの作品以外は一切読まないという極端な時期がありました。
文芸作品と距離を置いていた時代
当時の私は、コミックエッセイの書籍編集者として、頭打ちの状態でした。
担当する本すべてに重版がかかるようなこともなくなり、だんだん自分と世間とのズレを感じて、なんだかしっくりこない。これといった打開策も見当たらない。
人間の複雑な感情や揺れ動く心理を細やかに描くのが文芸作品の世界観ですが、当時の私は、グラグラ揺れるような気持ちを読書の世界でも追体験する余裕がなくて、そうした作風の文芸本からは、あえて距離を置いていたんです。
そんな時に、背骨が真っ直ぐなるような、躍動感や疾走感のある物語に触れたくなり、20代後半の頃、数作品読んでいた司馬遼太郎さんの作品を端から端まで読んでやろうと思い立ったんです。
そこからどんどんハマり込み、文庫の巻末にある司馬遼太郎さんの作品一覧から読み終えたものを赤で塗り潰し、ひとりで読書のスタンプラリーを楽しんでいました。司馬さんの作品で一番好きなのは『竜馬がゆく』…ではなくて、『尻啖(くら)え孫市』です。とにかく孫市が気持ちいいんですよね。疾走感満載。
そうやってひとしきり司馬遼太郎さんの世界を堪能して私のなかの背骨が浄化され、再び文芸作品を手に取るようになったのは、45歳を過ぎて、ファンベースカンパニーに転職したあたりから。
ファンベースの仕事は、発言録から心理を読み解くことが必要で、そのためには人間の心の細やかな機微や情感を読み取る力や、それを言語化したり文章化する技術が必要です。そういう意味では日常的に文芸作品に触れることはとても大切になりました。置かれた立場や心の状態によって、求める本がこれほど変わるのだなと実感したものです。
今読んでいる『水滸伝』も、コロナ禍で先が見えないなかで、国を潰して新たに立て直そうとする漢たちの行動力と力強さに心を動かされ、共感し、そのエネルギーに感化されました。
私は、自分の中に燃えたぎるものがあるときに行動するタイプなのですが、世界中が停滞していたコロナの前半期に、再び雑誌編集長に挑戦する、という大きな決断ができたのは、本から得たエネルギーに背中を押してもらった部分があります。
自分に合う本が探せない、読書習慣が身に付かない…そんな人におススメしたいのが、「図書館」です。
かくいう私も図書館のヘビーユーザー。「出版社にとって図書館は商売敵じゃないの?」と思う人もいるかもしれませんが、それも使い方次第だと思っています。
出版社勤務の私が図書館に通う理由
なぜ私が図書館に足しげく通うのか。その理由は、「試し読み」ができる場所だからです。
シリーズものや、初めて読む作者の本などは、自分に合うかどうか分からないし、せっかく購入したのに好みでなかったときは、がっかりしてしまいますよね。でも、あらかじめ図書館で手に取って試し読みをしてから、「じっくり読みたい」「手元に残しておきたい」と思ったら、改めて書店で購入するというステップが踏めるので、自分の本棚が充実します。
大好きな作家の山内マリコさんや角田光代さんの本も、図書館で読んで改めてその魅力にハマり、書店で買い直しました。
私が通う図書館の本には帯がないので、タイトルだけで選ぶんです。まさに直観の世界。ちょっと読んでみて「違うな」と思ったら、すぐ別の本を借り直すことができるのも図書館ならでは。縦横無尽に行き来できる自由度の高さが気に入っています。
図書館に通うもうひとつの理由は、「積読」防止です。
図書館には、返却期限があるから、無理やり時間をつくってでも、読まなくてはいけない。つまり、購入したものの、本棚に眠ったままになっている「積読」状態を物理的に防ぐことができるというわけです。これは読書習慣を根付かせたい人にはオススメの方法です。習慣になれば、あとはもう体が求めるので、すらすらと読書する自分になれると思います。
実は今年に入り、「1年で100冊本を読む」という目標を立て、読み進めてきました。といっても、まだ5割ぐらいの達成度なので、年末に向けてペースを早めようと思っているところです。
本を読むのは、主に移動時間や就寝前。いつでもすぐに読めるように、カバンに入れて持ち歩き、ちょっとした隙間時間があれば、こまめに開くようにしているのですが、気持ちの切り替えや気分転換、スマホのだらだら見防止にも役立っています。
3つのわらじを履くメリット
現在は、企業のファンベースへの取り組みを支援するファンベースカンパニーに所属しながら、『オレンジページ』の編集長を兼任し、さらに、2021年に創刊した「はちみつコミックエッセイ」の編集長も務めています。よく、「3つも仕事を掛け持ちして大変でしょう」と言われるのですが、実は、これらが相互に良い影響を与え合っていて、すごくいいバランスが取れています。なにより、仕事で煮詰まることが、ほとんどなくなりました。
ひとつの仕事だけだと、どうしても頭がそのことで埋め尽くされてしまい、視野も狭まりがち。壁にぶつかっても解決法が見いだせないまま、積み上がっていくことも少なくありません。
でも、3つの仕事を同時並行化することで、それぞれで培ったものを別の仕事に汎用できたり、広い視野から見ることで、壁にぶつかった時も、「そういえば、あの手法って、ここでも生かせるよね?」と意外とすんなり解決法が見つかることがあります。所属するメンバーもそれぞれ個性的ですし、いろんな人の知恵や経験を吸収させてもらいながら、多方面で学ばせてもらってます。
こうしてあらゆる方面からアプローチできることで、アイデアやスキルが縦横無尽に行き来して、どんどん広がっていく感じ。それが刺激的だし、ワクワクします。コミックエッセイに20年間、レタスクラブに3年間と、ひとつのジャンルをとことん掘り下げた時代があるからこそ、そこで養われたエッセンスをシャッフルしながら、いろんなところに生かしていく。
長年携わってきたコミックエッセイの仕事は、私にとってライフワークのようなもの。ただ、ここ数年で少し流れが変わってきました。
コミックエッセイ編集者としての使命感
コミックエッセイといえば、これまでほんわか楽しい日々の出来事を描いた作品が主流でした。でも、言語化できないような日常のモヤモヤや人間の闇の部分を描いた作品を手がけたいと考え、2014年に野原広子さんの『離婚してもいいですか?』を出版し、多くの読者から共感を得ました。ただ、そのヒットを受けて、主婦の愚痴や夫の悪事を暴くような内容の作品も数多く出版され、書店でのコミックエッセイの棚が荒れてしまいました。最近の読者からは「コミックエッセイって主婦の愚痴漫画でしょ?」と言われる場面も増え、残念な思いをしたことも。
コミックエッセイはもっと、読者に希望を与えることができる。そこで再び、野原広子さんに依頼し、2022年9月に発行したのが、『人生最大の失敗』というコミックエッセイです。この作品は、離婚したその先、独り身の生活を描いたものですが、最終的には「自分をしっかりもって、生きてさえいれば、いいことがある」という前向きで読後感の爽やかな作品です。
人間のいろんな面を描くのがコミックエッセイではありますが、やっぱり最終的には、人々を明るく照らし、勇気づける作品であってほしい。そういう私の願いを込めたのがこの作品だったりします。
2021年から編集長を務めている「はちみつコミックエッセイ」は、「甘いはちみつのように、ご褒美にもお薬にもなったりもする、心に効くコミックエッセイ作品を編集していきたい」という思いを込めて創刊した新レーベル。
私を育ててくれた出版界のために力を尽くしたいという思いで、『オレンジページ』の編集長を引き受けた気持ちと同じく、コミックエッセイ界を才能の広がる場にしたいと願い、描き手の育成にも注力しているところです。
取材・文/西尾英子 構成/長野洋子(日経BOOKプラス編集部) 写真/洞澤佐智子