書籍『A.T. カーニー 業界別 経営アジェンダ 2025』(A.T. カーニー編/日本経済新聞出版)は幅広い業界・産業について、各分野を専門とするコンサルタントが最新のトレンドを解説、経営戦略に多様な視座を提供している。著者の代表であるA.T. カーニー アジアパシフィック代表兼日本代表の関灘茂氏に2回にわたってインタビュー。前編の今回は、業界に通底するメガトレンドと新たなビジネスモデル創造のカギを聞いた。

情緒的価値による差別化の再考

『A.T. カーニー 業界別 経営アジェンダ 2025』は幅広い産業、業界について最新のトレンドを取り上げています。業界を横断することで見えてくるメガトレンドにはどのようなものがありますか。

関灘茂氏(以下、関灘) 産業には大きく分けて、ものを作ってお客様に届ける製造業と金融をはじめとするサービス業がありますが、いずれも他とは違う「価値」を生み出すことで差別化を図り、それをお客様に認めていただき、適正な対価を得ることでビジネスが成り立ちます。

 この「価値」と呼ばれるものには、機能的価値、情緒的価値、社会的価値といったものがありますが、製造業であれサービス業であれ、多くの事業領域で機能的価値の差別化のみで差別化をし続けることが難しくなることがあります。

 例えば、A社とB社が提供する住宅ローンは何が違うかと聞かれた場合、多くの生活者は金利の違いしか語れないかもしれません。C社とD社が提供する水は何が違うかと聞かれた場合、おいしさや安全性の違いは感じていないという答えになるかもしれません。

 様々な事業領域で、多くの企業が品質にこだわり、改善を続けてきた結果、機能的価値の差がお客様に知覚され難くなっているということでしょう。そうなると、どのような情緒的価値を創って差別化を図っていくかが非常に重要になります。

 情緒的価値とは、古典的には、かっこいいとか、かわいいとか、知的であるなどの言葉に代表されるものです。携帯音楽プレーヤーであれば、ソニーのウォークマンが上市された頃には、それを持っている人は最先端でかっこいいと知覚された方もいるでしょう。購入者や利用者の気持ちに働きかけ、何かしらの気持ちに変化をもたらす情緒的価値は、マーケティングに関わる多くの人々に知られている言葉でもあります。

 アップルはこの情緒的価値を生み出すことで成功した企業という見方もできると思いますし、エシカル消費(環境など社会の持続可能性に配慮した消費)の動きも情緒的価値あるいは社会的価値の文脈にあると言えるでしょう。経営戦略を考える上で、機能的価値以外の価値、中でも情緒的価値を再考する企業が増えているように感じています。

 これまでマーケティングやブランディングといった考え方から遠かったB2Bを中心とした業界でも、情緒的価値をテーマにした検討・議論が生まれていることは、大きな変化であると思います。情緒的価値による差別化の再考を、今後のメガトレンドの一つと捉える読者がいらしてもよいと考えています。

「情緒的価値を創って差別化を図っていくことが重要」と話す関灘氏
「情緒的価値を創って差別化を図っていくことが重要」と話す関灘氏
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情緒的価値やマーケティングから遠い業界には、どのような業界がありますか。またそうした業界でも、これからは情緒的価値が必要になるということですか。

関灘 例えば、特許技術を有し、自社にしか作れないものを作っているような企業、限られた特定のお客様の期待に応える部品を提供する企業、機能的価値の差が明確な業界など、情緒的価値による差別化の必要性が相対的に低い業界・企業は存在します。

 そうした業界・企業の中には、今後も情緒的価値による差別化の必要性が低い業界・企業もありますが、今後は必要になってくる業界・企業もあると思います。B2Bのビジネスで、これまでは技術力で、圧倒的な品質差、機能的価値の差をつけられていたけれど、徐々にそれが難しくなっているような業界では、情緒的価値による差別化が必要になることは十分にあり得ると思います。

 例えば、船舶領域で、中国・韓国などの企業の競争力向上などにより、造船業、船舶売買業といったB2Bのビジネスでの機能的価値の差別化、持続的成長が困難となった場合にどうするか。船舶を保有し、クルージングサービスを提供するB2Cのビジネスに事業領域を拡大するといったプレーヤーも出てくるかもしれません。この実現を目指すならば、船内空間のデザイン、魅力的な航路、五感に働きかける体験デザインなど、情緒的価値による差別化の重要性が増すでしょう。

 多様なB2Bのビジネスを有する総合商社においても、コンビニエンスストア事業やヘルスケア事業をはじめとしたB2Cのビジネスへの投資が進んできました。B2Bのバリューチェーンの上流だけではなく、下流のB2Cにまで事業領域を広げ、情緒的価値による差別化を実現するための組織能力を強化し、価値創造する企業も増えてくるでしょう。

待ちの姿勢ではなく、前のめりに探索考動を

関灘 一方で、情緒的価値による差別化も限界かもしれないと感じられる事業領域もあります。このような事業領域では、特定の事業領域だけでは差別化ができないため、他の事業領域と統合することで、新たなビジネスモデルを創造するなど従来にない差別化方法を模索する必要性が出てきます。

 すでにこれを実践している代表例が、アマゾンです。アマゾンには電子商取引(EC)事業だけでなく、メディアコンテンツ事業やITクラウド事業があります。顧客接点を確保しているEC領域で大きな利益を出せなくても、メディアコンテンツ領域やITクラウド領域で利益を確保するという構造になっています。

事業全体を横断した新たなビジネスモデルを創造する際に、最も重要な要素は何でしょうか。

関灘 様々な要素がからみ合って成功例が生まれていると思いますが、最も重要な要素を挙げるとすれば、パッションだと思います。世の中に、お客様に新しい価値を提供したい、困っている人たちを助けたい、など何かしらの強烈なパッションを持っているからこそ、新たな価値・事業の創造という挑戦を続けられるという面があるように感じます。

 会社の柱となるような新規事業の創造は、既存事業の海外展開を成功させるのと同等以上に難しいことが多いのではないでしょうか。新規事業創造を担うリーダーの皆さんは、成功の兆しが見えたと思ってもまた見えなくなるといった変化の中でも、粘り強く前進し続ける必要があります。そのような状況でも前進し続けられるのは、強烈なパッションがあるからこそと感じることがありました。

 「メンバーが良いアイデアを出してくれるだろう」、「外部が何か新しいアイデアを持ってきてくれるだろう」と待ちの姿勢になる方がいらっしゃる一方で、現地現物の考え方で動き、時と場合によっては自らがアイデアを考え出す、メンバーのアイデアを膨らませるなど、前のめりに探索行動をすることで、チャンスの芽を捉えられている方もいらっしゃいます。

「新たなビジネスモデルを創造する際に最も重要な要素はパッション」
「新たなビジネスモデルを創造する際に最も重要な要素はパッション」
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新しい組織能力を獲得する大胆さと緻密さ

海外展開という言葉が出てきましたが、新規事業を創造する難しさと既存事業を海外展開する難しさに、共通点や違いはありますか。

関灘 多くの場合、共通するのは新しい組織能力の獲得ではないでしょうか。既存事業の海外展開であっても、国内での価値創造プロセスをそのまま転用することはできず、各地域・国・顧客セグメントなどによって価値創造プロセスをつくり直し、新しい組織能力を獲得することが必要になります。

 大きく育った既存事業の価値創造プロセスには、多くの人財が関わり、分業化が進み、各プロセスでの専門性が高まり、改善が積み重なった結果として、品質を高められたり、コストが削減できたり、安定的に生産や供給ができるようになったりしているものです。

 だからこそ、既存の価値創造プロセスのうち、海外展開時にも通用するものがあることもありますが、規制、調達環境、雇用労働環境、商慣習など国内と海外の環境の違いを的確に認識し、価値創造プロセスの中でも変える部分と変えない部分を見極め、変えるべき部分を大胆かつ緻密に変えていく仕事の積み重ねが重要であると感じます。

 新規事業では、「新規」の事業なので既存の価値創造プロセスをそのままに使えないことが多く、必要となる新しい組織能力を的確に認識し、その組織能力を獲得する方法を大胆、かつ、緻密に設計することが重要であると感じます。

 既存事業の海外展開であれ、新規事業の創造であれ、M&A(合併・買収)を通じた組織能力の獲得が必要になる場合もあります。M&Aの経験を積み重ねた企業では、M&A対象企業のロングリスト作成からショートリスト化、ビジネスデューデリジェンスの実施、ディールストラクチャーやインセンティブの設計、100日プランの作成などの一連のプロセスを進化させているものです。

 それでも、100日プランであるプランAを実行する中で、プランBに変更せざるを得ない状況になることもあります。経営者・チームを変更しなければならない状況、ヒト・モノ・カネ・情報といった経営資源を大胆に投入しなければならない状況などになることもあります。

 このような状況変化をあらかじめシナリオとして想定しておき、そのシナリオの予兆を捉え、早期に検討し、アクションを取れるようなガバナンス体制を構築することは、言われてみれば当たり前のことではあるものの、徹底するのは難しいことでもあります。

(後編に続く)

文/橋口いずみ 写真/鈴木愛子

2025年の経営トレンドをつかむ

19の業界別のアジェンダについて、各分野を専門とするコンサルタントが解説。幅広い産業で起こっている最新のトレンドをキャッチアップし、様々な業界に通底している経営のメガトレンドを構想する。

A.T. カーニー著/日本経済新聞出版/2200円(税込み)
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