「能力」以外で企業が社員を評価し、組織を運営することは可能なのか。組織開発を専門とする勅使川原真衣氏と考察する。※本連載を基にした書籍『「働く」を問い直す 誰も取り残さない組織開発』が2025年11月に発売。ここでその一部をお読みいただけます。

(写真=maroke/stock.adobe.com)
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若者たちのジャッジが早くなっていて、成長の実感を得られないとすぐに辞めてしまうという話があります。現在50~60代の昭和世代とはかなり感覚や感じ方が違うんだなと改めて思ったのと同時に、ますます今の若手のことが分からなくなりそうです。

勅使川原真衣氏(以下、勅使川原氏):育ってきた環境も違えば、時代背景も違うのですから、分からなくて当然なんですよ。いつの時代にも「イマドキの若者が分からん」という論争はありますし、逆に、同世代同士なら分かり合えている、というのも幻想ですよね。

 ただ、いわゆる昭和世代は、企業中心社会における能力主義のど真ん中で生きてきたことは確かです。能力主義とは配分原理であり、「できる人」が多くをもらい、「できの悪い人」はもらいが少ないことに合意した状態です。企業も、メンバーシップ型雇用でざっくりと社員を集め、配属などを行う際に、「この人にはどんな能力があるのか」を基準に評価し、処遇を決めます。

 企業が掲げる「望ましい人材像」に照らし合わせた「能力」を求められ、際限のない努力を強いられてきた人たちが昭和世代です。「能力主義」という靴を履かされ、足に靴擦れができるほど必死に頑張っても、その存在を承認されたのは出世街道に乗ったごく一部だったかもしれない。そのため、若者に対して、「存在を承認されるためには頑張るしかないのに、なんでそんな簡単に辞めるなんて言うんだ」と思ってしまうのも無理はありません。

昭和世代は能力主義以外の世界を知らないために、若者世代の新しい価値観が理解できない、ということでしょうか。「存在の承認」という言葉が出ましたが、確かに昔は、「仕事ができるヤツ」と会社で認められることこそが存在の承認だったかもしれません。今の若者たちはどうなんでしょうか?

勅使川原氏:私の仮説ですが、若者世代のほうが、「仕事が(生きる)すべて」と思っている度合いが低いのではないでしょうか。仕事以外にも趣味などでつながる有形無形のコミュニティーを持っていたり、日々様々な動画などのメディアで“面白い”ものと出合い続けていたりするわけですから。「自分ってやっぱりこれが好きだなぁ」とか「この場だけは自分を出せるなぁ」と思える場面が多元的にあるのではないかと感じています。能力主義は今もなお連綿と続いているものの、会社で評価されることだけを狙って生きていない。自分が承認される場を見つけているし、見つけようとしているのではないかと。

 そんな世界観の違いを差し置いて、昭和世代は、若者の本音を聞きたくて飲みに誘ったりするわけでしょう? 若い人たちは本音なんて言いませんよ。極論すれば、本音なんて開示し合わなくても、仕事は一応、回りますから。若い世代は、「お互いに本音を言い合い、理解し合えば仕事もしやすい」なんていう思い込みにとらわれず、非常に現実的に、淡々と仕事をしているのではないかと思います。だからむしろ、昭和世代は、「本音」という幻のようなものを聞こうとすることで、自分が本当は何を求めているのかを自問自答すべきです。

 「会社で能力を証明しないと存在が承認されない」という価値観がすでに変わっているということを、昭和世代の上司たちは理解する必要があるということですね。ただ、これまで皆さんが頑張ってきたことを否定したりはしません。かつては、その価値観しかなかったし、それが社会の「正解」でしたから。それこそ、汗と涙の結晶だったと思います。

「それしかなかった」と言われると、ちょっと救われますね。

勅使川原氏:今みたいに、「私は私らしく、必要に応じて、休みながら働きます」なんて口が裂けても言えない時代でしたよね。全身全霊で働くことが当たり前でしたから。ただ、社会が変わったことを理解せずに、いつまでも「もっと食らいついてこいよ」「泣きながらでも、歯を食いしばれ」なんて言って、若者たちをあおるのは、時代錯誤としか言いようがない。私もかつての職場で「バカ」だとか「使えない」などとののしられ、それでも続けてきましたが、今そんな“武勇伝”を若者に話すと、真顔で引かれますよ。若い方たちの多くはそもそも、感情的な振り幅や、いわば「感動」のようなものを職場に求めていないわけですから。またそれを、「今の若者は省エネ重視だよね」「タイパ、タイパって……」などと揶揄(やゆ)するのもお門違いでしょう。

 自分たちが若かった時代は、能力を証明するために頑張るしかなかった。だけど、「振り返ってみれば結構つらいこともあったな」と自分の中で認めつつ、それを脊髄反射的に今の若い人にも求めるのは「違うよな」と立ち止まらなければならない。ただ、「自分は今も昔も猛烈に働いているし、仕事がつらいと思ったことはない」という人も、経営者を中心にいるかもしれません。『職場で傷つく』(大和書房)を出版した際に、いわゆるエリートサラリーマンからそう言われました。そういった人たちでも、「仕事でつらい思いをしてきた人も多かったのではないか」という仮説は受け止めてほしいなと思います。そこまで自己の強靱(きょうじん)さを誇るのであれば、人の弱さを受け止められるはずです。

確かに、昭和世代でも、自分の能力を証明しようと頑張って働いたけれども、出世街道には乗れなくてつらい思いをしたという人のほうが大多数かもしれません。

勅使川原 真衣(てしがわら・まい)氏
勅使川原 真衣(てしがわら・まい)氏
1982年横浜生まれ。東京大学大学院教育学研究科修了。BCGやヘイ グループなどのコンサルティングファーム勤務を経て、独立。教育社会学と組織開発の視点から、能力主義や自己責任社会を再考している。2020年より乳がん闘病中。著書に『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)、『働くということ』(集英社新書)や『職場で傷つく』(大和書房)、編著に『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』(東洋館出版社)がある(写真=稲垣 純也)

組織改善に生かされないなら、サーベイなんて意味がない

突然退職してしまう「サイレント退職」や仕事への熱意を持たず、必要最低限の業務のみをこなすような働き方である「静かな退職」の話もあります。昭和世代からすれば、それが理解できない。「こんな会社、辞めてやるー! バーン!」といった辞め方のほうが分かりやすいかもしれません。

勅使川原氏:そう、自分たちが見たことあるものだから分かりやすいんですよね。一方で、「サイレント退職」や「静かな退職」は見たことがないから戸惑っているだけだと思いますよ。

ただ、不思議なのが、今、企業は「人的資源経営」の下、エンゲージメントを高めるためのサーベイやストレスチェックなどを社員に対して実施し、大企業であればその数値を開示しているところもあります。そうして常に組織の状態をチェックしているにもかかわらず、若者の離職を招いてしまう。それはなぜなんでしょうか? サーベイでは問題なかったのに、若者が突然辞めたら驚きますよね……。

勅使川原氏:私は以前、エンゲージメントサーベイの業界で働いていたことがあるので、実態の想像がつきます。おそらくは、エンゲージメントサーベイもストレスチェックも、状況を把握して終わりで、組織改善にほとんど活用されていないことが影響しているでしょう。改善に活用されないサーベイなんかに、忙しいのにそれこそ「本音」を託したりするでしょうか。ある民間人事コンサルティング会社の調査によると、6割超の社員が「回答したところで何に生かされているか分からない」、半数近くが「解決策が実施されていない」と指摘しています。サーベイをさんざん形骸化、茶番化させておいて、「せっかくサーベイで尋ねてやったのに、しれっと辞めるなんて」と言うのはひどいですよね。

若者たちは本音で回答していない、と?

勅使川原氏:そうです。2015年から従業員50人以上の企業で義務化された「ストレスチェック」の実態について、ある会計事務所の社員Kさんの事例をお話しましょう。上司が夜中の1時でも4時でも、業務のチャットを送って来きていたそうです。チャットの最後には「報告まで」と書いてあり、リアクションは求めていませんよ、という気づかいらしきものを示していますが、部下からするとそんな時間に業務連絡が来ること自体がプレッシャーです。

 そこで、Kさんは勇気を出して、ストレスチェックにそのことを書くことにしました。彼にとってはちょっとした「告発」のつもりでした。しかし、最終的に「4人しか部下がいない部署は、匿名性を守るために分析結果を非表示にする」という結論になり、当然のことながら何ら改善は施されませんでした。

 Kさんのがっかり具合は容易に想像できます。このように、法制化されているから何となく実施しているけれど、結果的に形骸化しているケースというのは多いのではないでしょうか。企業としても、データが手元にあったところで、何をどう活用していいかよく分からない、というのが本音だと思います。

ストレスチェックもエンゲージメントサーベイも、結果を組織改善に生かせなければ意味がない。回答しても組織が変わらないことが続くと、若手は諦めて、まともな回答をしなくなるということですね。

勅使川原氏:はい。一方で、「うちはガバナンスの効いた企業だから、しっかり対応している」という会社でも、その対応が本当に適切かどうかは疑問です。例えば、「360度評価」では、「上司の指示が不明瞭」「個人プレーで全然部下のことを考えていない」など、マネジメントに関するいわば部下からの苦情が明るみに出ます。そうすると、自称「ガバナンスの効いた会社」では、そのような評価を受けたリーダーはマネジメントには向いていないと判断して降格したり、マネジメントラインを外されたりする対応がとられる場合があります。

 しかし、じゃあ新たな、いわゆる「優秀」とされるリーダーを迎えれば業績が上がるかというと、そんなに単純な話ではないですよね。優秀な人が優秀な組織をつくっているわけではありません。いろんなリーダーがいて、いろんなメンバーがいて、その凸凹の組み合わせがうまくいっているときが、組織として良好な状態です。つまり、組織風土と呼ばれるものは、「誰と何をどのようにやるか?」次第でいかようにも変容するということ。組織の問題を安易に個人の問題にして、「上司のリーダーシップに問題があるからだ」とか「部下の主体性が……」などと言っている限り、厳しいでしょうね。

 問題を個人化し、経営側も個人マターとして「処理」したところで、組織の問題が根本から解決されることはほぼないのです。上司個人のマネジメント能力だけの責任にしたり、逆に部下の主体性や思考力などの問題にしたりするのではなく、組織がうまく回っていないのであれば、「人と人」や「人とタスク」の組み合わせに何かしら問題があるのではないか、と仮説を立ててみてほしいのです。それは、個人の能力に関するデータで「評価」を続けていても見えてきません。現場の「観察」から始めないと。

 これは、「データドリブン」「エビデンスベースド」を称揚する今の時代の落とし穴だと私は思います。人が人を評価し、数値化をすればするほど、複雑な事象の単純化は避けられない。データがないと困るとはいえ、データがすべてではない。データによってそぎ落とされた現場のつぶさな日常が何なのかに目を向けること。組織改善を導く「魔法の杖」は、分かりやすくどこかに落ちてはいないことに、経営層は気づかなければなりません。

中身のない1on1に若者は嫌気がさしている

エンゲージメントサーベイの結果を部署ごとに競っているという話も聞きます。そんなことをされたら、中間管理職もつらいでしょうね。

勅使川原氏:中間管理職は組織評価の結果の責任を負わされやすい立場にあります。繰り返しになりますが、ろくに組織改善の手立ても教えず、組織の問題を個人化して通達しておしまい、というのはひどいですよね。

 あと、エンゲージメントサーベイで「コミュニケーションが足りていないようです」という結果が出て、「1on1ミーティングをしてください」という解決策が提示されるというのもよく聞きます。言われた側は仕方なく1on1をセッティングするも、「コミュニケーション不足」が意味する具体的な問題が何なのかを理解しているわけではないので、「最近どう?」って聞くわけです。部下からすると、「最近どう? じゃねぇよ!」ってなりますよ。結局、問題とされた「コミュニケーション」という言葉が大きすぎるまま、地に足のついた会話にならず、「お互い忙しいから、次回は……時間ができたとき、ってことでいいかな?」などと、またも形骸化の流れに落ちてしまいます。

 ある会社で、社員に「1on1ミーティングを増やしたほうがいいか」というアンケートを実施したところ、20代は誰1人「はい」と答えた人はいなかったそうです。若手は、自分の時間が侵食される割に、中身のない1on1に嫌気がさしています。

1on1は嫌われ者ですね……。ほかに方法はないのでしょうか。

勅使川原氏:聞いた話では、「雰囲気を変えて対話をしましょう」といって、チームメンバー数人で会社からわざわざ10分以上歩いて代々木公園まで行って、緑を見ながら話したことがあったそうです。ダメとは言いませんが、緑を見ながらなら「本音」が出てくる、という発想もどこか昭和ですよね。若手はこのとき、「何この時間……」と思ったそうです。

情景が目に浮かぶようです(苦笑)。とはいえ、コミュニケーション不足だと言われた場合、中間管理職はどう解決すればいいのでしょうか?

勅使川原氏:そもそもサーベイが「コミュニケーションを増やしましょう」と提案することに、疑問を持つことから始めましょう。「コミュニケーション」という言葉は明らかに大きすぎます。例えば、平たく言って「意思疎通」、つまり意見交換の双方向性に問題があるのだとしたら、まず考えるべきは「双方向性を妨げるものが現状にあるのではないか?」といった仮説を立てることです。

 多くの場合、組織内の権限・裁量の傾斜(権力勾配)や情報格差などのせいで、双方向性のある対話になっていません。その前提に気づかず、「闊達なコミュニケーションを!」「もっと対話の機会を!」と言っても、表層をなぞるばかりで、無理ゲーにほかなりません。「もっと若者らしく意見を言ってよ」と、若手の「コミュ力」に期待した施策なんて、最悪です。

 その上で、360度評価などの評価方法の是非はともかく、まず上司は部下からの素朴な疑問を喜べないといけないと思います。「なるほど、そう思ったわけだね、それは思いつかなかった」と言えるかどうか。それがなければ、部下は「存在を認められている」と感じられないので、コミュニケーションをとるインセンティブがそがれてしまいます。

なるほど。かつては、存在の承認を得るためには能力を証明しなければならなかった。今は、存在の承認を前提とすべきだ、ということですね。

勅使川原氏:そうです。かつては、頭ごなしに否定したり、そもそも質問すら受け付けずに「自分で考えろ」と突き放したり、はたまた、ダメ出しを続けることこそが指導だと信じてきたかもしれませんが、いったんは相手を受け止めましょう。相手を承認すると、何か自分の持ち分が減るかのように思っている管理職に出くわすことがありますが、そんなことはありません。

 能力主義では、「優秀さを巡る奪い合い」だったかもしれませんが、脱・能力主義では、存在の承認をし合うほどにパイが広がると考えています。存在の承認は、組織に必要な「ケア」の一部なんです。その上で、何かしら自分や周りが「これは問題だ」と言っている場合、その裏にある「期待」に着眼してほしいですね。問題を指摘する裏には、必ず期待があります。どういう状態だったらいい組織であり、どういう仕事がいい仕事なのかを丁寧に「棚卸し」する必要が、どの組織にもあると思います。

(写真=稲垣 純也)
(写真=稲垣 純也)

棚卸しというのは、チームのみんなで、「こういう点がうちのいいところで、改善点はここ」「あの仕事はうまくいったけど、これは良くなかった」などと点検し直す感じでしょうか。

勅使川原氏:まさにそうです。「コミュニケーションが大事だ」と当たり前のように言いますが、会議などの限られた時間の中で、誰も傷つけずに議論を展開したり誰かを説得したりするのは相当難しいですよ。ましてや新型コロナウイルス禍以降、会議がオンラインになり、生産性重視だと言って「15分で終わり」というような時代に、全員が全員、自分の意見をまとめて発言するなんて、無理な話です。場合によっては、口が達者な人が優位に進められるゲームが繰り広げられてしまう。“コミュ力おばけ”みたいな人だけがうまく切り抜けられる会議って、おかしいですよね。そうやって何でもパっと言える人と、何も言わない人との二極化を、生産性やコミュニケーション能力の名の下に放置することこそが問題でしょう。

 それなら、例えばですが、何かを決めるための会議そのものはサクッと終わらせて、その他の問題提起や素朴な感想などは、一度持ち帰って、それぞれが自分の考えをまとめ、あとは「交換日記」でもいいじゃないですか。日報や週報などで共有するプロセスにするんです。そうやって、現在地を確かめ合ったり、何がこの組織にとって最適なのか、議論を深め合ったりしていく。生産性重視の時代だからこそ、あえてコミュニケーションは口頭での滑らかな対話に頼りすぎない、「急がば回れ」の姿勢が大事だと思います。

なるほど、コミュニケーションといえばミーティングで行うものと思いがちだけれども、組織がどうあるべきかを考えるには、「交換日記」でもいいわけですね。

勅使川原氏:はい。正解はいろいろあるはずです。「必ずこうでなければならない」という一元的な正しさを求めるような発想では、うまくいかないでしょう。「人は能力によって評価されるべきだ」という能力主義こそ、まさにそれですね。何を正しいと思うのかは、人によって違います。コミュニケーション、もとい、何らかの双方向的なやりとりの中で、「〇〇さんにとっての正しさはそういうことだったんだね」と分かることに意味があるんです。ぜひそれを、コミュニケーションのゴールにしてほしいと思います。

よく分かりました。今回は、エンゲージメントサーベイやストレスチェック、1on1ミーティングの課題が深掘りできました。能力主義に頼らない組織運営について、まだまだ議論を深めていきたいです。

(聞き手:竹内靖朗、構成:尾越まり恵)

日経ビジネス電子版 2024年12月24日付の記事を転載]

「人の働きは能力よりも周囲との関係次第。当たり前だけど見落としがちなことを教えてくれる一冊だ」――篠田真貴子さん推薦!! ギスギスする職場、ヘロヘロになる管理職、板挟みの人事担当者、孤独な経営者……。なぜ、みんな頑張っているのに、職場は問題だらけなのか? 気鋭の組織開発コンサルタントが、「働く」という大問題に切り込む!

勅使川原真衣著/日経BP/1870円(税込み)