斬新な発想と緻密なストーリーで数々のヒット作を生み出している小説家・小川哲さんの最新刊『言語化するための小説思考』(講談社)は、小説を書く時に考えていることや、頭の中にあるものを言語化するための「思考術」をつづった本だ。小川さんはどんな本を読み、影響を受けてきたのかを聞いた。

1回目  小川哲 自分のための文章はいらない、小説思考で上げる仕事の解像度
2回目  作家・小川哲 苦手な「恋愛リアリティーショー」に触れて得た小説のヒント から読む

1日1冊過去問を解くように読んだ岩波文庫

大学の時に理系から文系に変更されていますが、その際、岩波文庫を端から読んだそうですね。

 何か足りないものがあるとしても、それが何かは、ある程度知識がないと分からないですよね。文転するに当たって、自分が研究しようと思っていることに対して、自分は何が気になっているのか、何をすればいいのか分からなかった。それで、「過去問」に当たることで基礎体力というか基礎知識を付けようと思ったんです。古典がそろっている岩波文庫を、入試の過去問を解くように緑(現代日本文学)、赤(外国文学)、青(哲学・宗教など)を順番に1日1冊、端から読んでいきましたね。

小説家 小川 哲(おがわ・さとし)氏
1986年、千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年『ユートロニカのこちら側』(早川書房)で第3回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞しデビュー。18年に『ゲームの王国』(同)で第31回山本周五郎賞、第38回日本SF大賞を受賞。23年に『地図と拳』(集英社)で第168回直木三十五賞、『君のクイズ』(朝日新聞出版)で第76回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)を受賞。近著に『火星の女王』(早川書房)、『言語化するための小説思考』(講談社)。

町田康さんの『告白』に衝撃を受ける

小川さんが、大きな影響を受けた本はありますか?

 20歳頃に読んだ町田康さんの『 告白 』(中公文庫)です。僕の人生の中でもすごく重要な本です。最初は、町田さんのデビュー作の『くっすん大黒』(文春文庫)を誰かに薦められて読んで、めちゃくちゃ面白くて、町田さんの作品を全部読みました。『告白』は、河内音頭の代表的な演目にもなっている大量殺人事件「河内十人斬り」をモチーフにした長編小説なのですが、読んだ時は内面描写でこんなことまで考えていいんだと衝撃を受けました。自分が思考する時は一歩手前で終わっていることの、もう一段階奥まで考える世界を見せられて、視界が晴れた感覚がありました。町田さんは、独特な文章について語られることが多いのですが、どちらかというと内面描写というか思考の切り取り方が僕にとってはすごく新鮮で、感動しました。

『告白』(町田康著、中公文庫)/画像クリックでAmazonリンクへ
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 ここ数年で読んだ本で、同世代か自分より年下の人の作品で、すごく面白いなと思ったのは、浅倉秋成さんの『 六人の噓つきな大学生 』(角川文庫)。IT企業の採用試験で最終選考に残った6人の就活生が、グループディスカッションによって6人の中から1人の内定者を決めるように通達される。二転三転しながら、予想外の結末を迎える。こんな小説があるんだと思いました。

『六人の噓つきな大学生』(浅倉秋成著、角川文庫)/画像クリックでAmazonリンクへ
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 もう1冊は青崎有吾さんの『 11文字の檻 青崎有吾短編集成 』(創元推理文庫)です。短編集の最後に入っている表題作「11文字の檻」の面白さに圧倒されました。言論が統制された架空の独裁国家で、主人公は敵性思想の持ち主としてある施設に収監される。釈放されるためには国家が設定した「11文字」のキーワードを当てなければならないのですが、その推理と思考が鮮やかでスリリングです。

『11文字の檻 青崎有吾短編集成』(青崎有吾著、創元推理文庫)/画像クリックでAmazonリンクへ
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読む本はどうやって選んでいますか?

 最近は仕事で読む本ばかりで、自分が好きな本はあまり読めていないですね。2023年まで読売新聞の書評委員をしていたのですが、その時は候補の書籍の中から自分が気になった本を読んでいました。なんとなく聞いたことはあるけれど深く考えたことがなかったテーマやジャンルの本を優先して手に取るようにしていましたね。例えば、『 索引 ~の歴史 書物史を変えた大発明 』(デニス・ダンカン著、光文社)は、あまり単体として考えたことがなかった索引の歴史をまとめた本で、どのように情報にアクセスしてきたかを振り返ることができて興味深かったですね。

『索引 ~の歴史 書物史を変えた大発明』(デニス・ダンカン著、小野木明恵訳、光文社)/画像クリックでAmazonリンクへ
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生成AIが小説に勝つ日は来るのか

情報へのアクセスや、知識の在り方という点では、文章を作るときに、生成AI(人工知能)を使う人は今後ますます増えていくと思います。どう向き合っていくことになるのでしょう。

 将棋もポーカーもすでにAIは人間より強くなっています。この対局の指し手はどうだったのか、AIで正解が分かってしまう、答え合わせができてしまいます。しかし、面白い小説とは何かという問いの正解はまだ誰にも分かっていません。実際、現状では生成AIが書く文章は面白くないですよね。僕は面白い文章って、これまでお話ししてきたような独自の視点や偏った見方、今まであまり注目してこなかったことに光を当てたりすることが必要な気がしています。生成AIはすごく優等生な文章は書けますが、読んだ人に発見を与えるようなタイプの文章は、現状では苦手としている。

 局所的には、人間が書く必要がなくなる文章の仕事も出てくるでしょう。すでに絵で起きていることを考えると、文章も大きな転機を迎えているのかもしれません。5年後、10年後は分からないですが、それでも究極的には人間が書く文章の需要はなくならないと思っています。

 僕はすごく優秀なアシスタントとしてAIを使っています。具体例を提示してほしい時にパッと出してくれますし、調べ物も根拠となった文献を求めれば出してくれます。出典に当たることで正確な情報なのか確認もできるので非常に便利に使っています。
 そして僕自身は「面白い小説とは何か」を考え続けたいですね。

取材・文/中城邦子 構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集) 写真/鈴木愛子