小川哲さんは2015年のデビュー以来、『ゲームの王国』『地図と拳』『君のクイズ』などのヒット作を次々と生み出している、今最も注目を浴びる作家のひとりだ。新刊『言語化するための小説思考』(講談社)で、小川さんが考える「文体」が持つ意味、「伏線」の在り方とは――。
1回目
小川哲 自分のための文章はいらない、小説思考で上げる仕事の解像度
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文体とは「情報の順番」だ
『言語化するための小説思考』(講談社)では、文体について書かれています。文体というと、「である」調、「です・ます」調の違いや、リズムの違いぐらいしか意識していなかったのですが、「情報の順番」という視点が新鮮でした。
文体って何ですか? と聞かれて、パッと説明できる人はあまりいないと思うんです。あまりに多くの要素を含みすぎていますから。ただ、「情報の順番」は、その中に確実に含まれると思っている要素です。そして、作家ごとに一番違うのは、情報の順番だと思っています。どういう順序で、どこまで、どういった情報を出すか、そこに最もその人の癖が出ると思っています。
例えば語り手が感情的になっているシーンなのに、なぜそんなに感情的になっているのか、読者が理解できないと冷めてしまいます。語り手がどういう思いだったのか何を情報として手にしているのか、読み手に同時に示さなければいけないけれど、後出しになっているから読者は置いていかれたようになる。逆に情報を全部出してしまうことで驚きが少なくなる場合もあるから難しいところです。

情報の順番という意味で、すごいなと思う作家はいますか?
村上春樹さんは本当にすごいですね。春樹さんの小説って、情報の順番がすごく親切なので、書いてある内容が分からないことはないんです。でもストーリーは難解だから、読み終わるとこれってどういうことなんだろうとなる。言葉の意味が分からないとか、この文章が何を意味しているのか分からないというところで立ち止まる人はほとんどいないはずだけれどで、物語は難解という稀有(けう)な作家で、それってすごく高度なことだと思います。
他にも東野圭吾さんは、情報を読者ときっちり共有したり、隠すところは隠したりがすごく巧みで秀でた方だと思いますね。
伏線にならない描写はいらない
小説の書評やドラマ評で、「伏線回収が見事だ」といった言葉を耳にする機会が増えましたが、伏線という言葉が嫌いだそうですね。
納得がいっていない言葉ではありますね。伏線回収って本当に意味のないものに意味が生まれる瞬間、あの時あれが映っていたのはこういうことだったんだ、といった時に使われている気がします。でも、すでに「見えている」ものは伏線としては弱い。その描写自体がほかに関与していないのに描かれているものは、ある程度小説を読み慣れた人からすると、何かあるんだろうなと分かってしまう。
それよりも小説を書く人が、実はずっとやっている「伏線」があります。僕は常々、それがうまいかどうかが、小説がうまいかどうかに直接関係すると思っています。小説がやってきていることは、一見、なんでもない情景描写や会話もその後の展開のなんらかの暗示になっていたり、副次的な役割があったりします。逆にそういった役割がない情景描写はいらない。考え方によっては小説とは伏線そのものなのです。
小説を書くときに、あらかじめプロットを作らないそうですが、そうすると書いているうちに、伏線として後につながらなくなることはありませんか?
ありますね。書き進めていく中で構想した段階では思いつかなかった方向へと進み、前に書いた描写が意味のあるものにつながっていかない時もあります。その時はその部分を削るか、どうしようもなければ全部削ります。自分のための文章になっていたり、意味のある文章になっていなかったりするところは必要ないですから。
情報の順番とか、情景描写が持つその後への展開とか、この本を読むことで小説の読み方が変わりそうです。
それは僕も想定していたというか、むしろそうあってほしいです。より広い視点で小説が楽しめるようになるといいなということは思って書きました。
一方、読者が作家が想定していない読み取り方をすることもありそうです。
書き手のこう伝わってほしいとか、こういうことを考えてほしいという意図とは異なることが、読者の脳内に想起されていくことはありますね。僕はこの本の中でそれを「誤読」と呼んだのですが、誤読は悪いことではありません。100点の小説は書けても、120点、150点の小説は誤読によって生まれるのかもしれません。
小説に書かれた内容から、自分の人生とか大切なものを読み取って、その人が生きてきた時間が、読書の体験に上乗せされるような形でしか、本当に感動する小説にはならないような気がします。
誤読のようなことは、日常の中にもたくさんあると思うんです。だからいろんな人があの手この手で誘発させようと頑張っているという状況もある。書かれていることや、直接的な事象以上のものをどうやって読者や受け手に届けるかは、重要な問題だと思います。
やってみなければ分からないこと、捨てなければいけないもの
本書では、おとぎ話の桃太郎を題材にした書き換えなど、随所に掌編小説が織り込まれて、「小説思考」の具体例を提示しています。実際に書いてみる、手を動かしてみることにはやはり意味がありますか?
何がまずいのか、どういう問題があるのかって、書いてみないと分からないことはたくさんあります。頭の中ではうまくいくはずだったことも、実際に書いてみると意外なところに困難があったりつまずいたりする。そうやって書いてみて困難に向き合ううちに、「こうなるとうまくいかなくなるんだ」みたいなことが抽象化されストックされて、次からはやらなくても分かるようになる。自分のアイデアを試してみて、うまくいかなかったら、何がダメだったのかを反省するのは、文章というか小説を書く上では大事なことかなと思いますね。
同じことが、新しいビジネスをします、新しいサービスを立ち上げますといった時にもあてはまるのではないでしょうか。想定ではこうなるはずだったけれど、実際やってみたら意外なところで必要とする技術を持っている人がいなかったり落とし穴があったり。逆に意外なところに需要が見つかることがあるとか。それはやってみることで出合うことなので、まず手を動かし、実際に行動する。それで直面した時にどうするかが重要な気がします。
本書で、自分の知らない「小説」(のネタや発想)を探すために、最初に捨てないといけないものとして、「自分の価値観」を挙げています。最近、ご自身が価値観を捨てて出合ったものはありますか?
子どものころから「恋愛リアリティーショー」が苦手だったのですが、最近久しぶりに見てみたんです。やはり好きではありませんが、でも面白かったです。つまり、なぜ恋愛リアリティーショーが人気なんだろう、と考える意味では題材としてすごく勉強になりました。中でも僕が苦手だったのが、途中スタジオに戻ってきてMCたちが、あれこれ語るところです。恋愛リアリティーショーにスタジオがあるのはなぜか。恋愛リアリティーショーで僕なりに考えたことや、小説にスタジオを作るみたいな試みをいつか小説に取り入れるつもりです。
世間的には人気だけれど、自分にはあまり良さが分からないものとか、苦手なものってみんなあると思うんです。本来、それに無理して触れる必要はないんですよ。でも、それをなんでみんなは好きなんだろうと、みんなの側の視点に立ってみるのは、体験として面白いとも思いますね。でも本当はそんなことはせずに、好きなものだけ楽しめばいいと思いますよ。
取材・文/中城邦子 構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集) 写真/鈴木愛子
