社員、顧客、投資家、取引先……あらゆるステークホルダーから「愛され」、かつ「ビジョナリー・カンパニー」をも上回る好業績を出し続けている企業には共通点があった。72社を徹底的に分析して分かった、日本の経済的な停滞を打開する考え方とは? 「マーケティングの父」として世界的に知られるフィリップ・コトラー米ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院名誉教授が、2021年10月に日経ビジネスLIVEで「日本人が読むべき1冊」と語った『 愛される企業 社員も顧客も投資家も幸せにして、成長し続ける組織の条件 』(ラジェンドラ・シソーディア、ジャグディッシュ・シース、デイビット・B・ウォルフ著、齋藤慎子訳、日経BP)から一部抜粋・再編集し、「愛される企業」が実践している「癒やし」のマーケティングを紹介する。
「消費者をコントロールするマーケティング」はもう時代遅れ
20世紀はもう終わっているが、21世紀に入ってかなりたつのに、いまだにおこなわれているマーケティング活動を見ていると、すでに21世紀だと気がつかないかもしれない。マーケティングは依然として、誘惑し、口説き落とし、巧みに操ることがベースにある、20世紀的思考に大きく偏っている。
20世紀末に出版されたマーケティング関連書籍のタイトルをちょっと振り返ってみよう。
1999年出版のTriggers: 30 Sales Tools You Can Use to Control the Mind of Your Prospect to Motivate, Influence and Persuade[直訳すれば「トリガー──お客の心をコントロール、欲しがらせ、影響を及ぼし、買わせる30の売り込み手法」、邦題『シュガーマンのマーケティング30の法則──お客がモノを買ってしまう心理的トリガーとは』(ジョセフ・シュガーマン著、佐藤昌弘監訳、石原薫訳、フォレスト出版、2006年)]は、いまも売れている。
これと同様のタイトルの書籍がほかにもいろいろあることから、マーケターやセールスパーソンが、消費者の心をコントロールする方法をなんとかして知ろうと、いまだに躍起になっていることがわかる。
セールス研修のほとんどが、依然として消費者の心をコントロールすることに重きを置いている。「市場占有率」ということばを聞いたことがあるだろうか。これこそ20世紀的マーケティング思考の発想であり、愛される企業は、20世紀がまだ終わらない頃から受け入れていなかった。
20世紀的マーケティング思考の主な特徴は、売らんかな主義だった。消費者の「真の」ニーズよりも企業の販売目標ありきで、猛烈な販促や売り込みをおこなっていた。
こうしたマーケティング思考に感じられるどこか胡散臭い部分は、大手広告代理店による華やかで魅力的な広告でも完全にはごまかし切れなかった。いたるところで売上ノルマが課され、営業部長も営業員も、「売って売って売りまくれ」とプレッシャーをかけられ続けた。ノルマが達成できなければクビという状態は、倫理や道徳の観念を危うくすることには考えが及ばなかった。顧客は獲物、マーケターやセールスパーソンは捕食者だ。こうしたマーケティングやセールスモデルは、ビジネス史のゴミ箱行きだとわたしたちは考えている。
もちろん、顧客を食い物にしようとする個人や企業は、いつの時代にも存在するだろうが、わたしたちは、これからのマーケティングで主流となる道徳的な面を考えている。ニューヨークにある未来派シンクタンク、ネクストグループのCEO、メリンダ・デイヴィスが、マーケティングについて斬新な意見を述べている。
「真の差別化につながる機会は、売り物そのものではなく、癒やされたいという消費者ニーズにどう応えるかにあります。(中略)これこそ、企業の新たな責務です。これからの企業は癒やし手であるべきです」
これこそ「超越の時代」のマーケティングだ。晩冬の凍いてついた大地に霞がふんわりと漂い始め、あたたかい春が近づいているのを知らせてくれるように、愛と癒やしの文化がビジネスの世界に広がりつつある。そして、あらゆる企業のトップから末端の人々にまで行き渡る。それは、顧客を食い物にするような流れを変えていく気持ちにさせる。
顧客を食い物にする流れがピークだったのは、20世紀最後の二、三〇年であり、ちょうど企業が顧客に対して前代未聞の情報優位を獲得した頃だ。情報技術を駆使し、わたしたちを単なるデータの塊として扱っていた。「シート[ライセンスのユーザ数]」「目玉[視聴者数やサイト訪問者数]」「ライフ」や、顔のない「エンドユーザー」など、味気ない呼び方をされていた。わたしたち以上にわたしたちのことを知っている、とされる予測モデルは、わたしたちを、意志がないに等しく、刺激に反応する単なるメカニズム扱いしていた。
こうした考え方を端的にとらえたPBSのドキュメンタリーがある。ダイレクトマーケティングをテーマにした1990年放送のもので、タイトル「We Know Where You Live(あなたのことはわかっています)」が不気味だ。
愛は、こうした人間性喪失に対する解毒剤というと、あまりにもニューエイジっぽいだろうか。しかし、メレディス・パブリッシング・マガジン・グループの元トップも、ヤフーのチーフ・ソリューションズ・オフィサーも、ホールフーズのCEOも、世界的な大手広告代理店のCEOも、市場における愛について臆面もなく語っている。おそらく愛は、ビジネス思考の主流にすでに確かな足がかりを築いているのだ。
愛される企業「ニューバランス」のマーケティング戦略
愛される企業ニューバランスは、癒やしをベースにした市場戦略をとっている。その戦略は同社のマーケティングコミュニケーションを見てもよくわかる。同社の歴史を考えれば、癒やし中心のマーケティング、という崇高な考え方を早くから実践してきたのも不思議ではない。米ウェブサイトには次のようにある。
ニューバランスの歴史は20世紀の夜明け(1906年)とともに始まりました。マサチューセッツ州ボストンで、当時33歳だった英国移民ウィリアム・J・ライリーは、足に問題を抱えている人たちの役に立とうと決心し、フィット感を高めるアーチサポートや処方シューズの製造を開始しました。
ジム・デイビスがニューバランスを買収した(中略)のは、1972年のボストンマラソンの日でした。デイビスは、創業時の価値観である、フィット感、性能、製造をしっかり守っていく、と明言しました。1978年、ニューバランスの経営に参加するようになったアン・デイビス(ジムの妻)は、同社の仲間や取引関係のある世界中の企業のために、より優れた文化を築いていくことに焦点を当てるようになったのです。
これで、ニューバランスが足囲(ワイズ)の種類を他の大手スポーツシューズメーカーより多く取り揃えている理由がおわかりだろう。履き心地のよさや癒やし(ヒーリング)は、きちんとフィットしてこそ実現される。
ニューバランスの創業理念である癒やし(ヒーリング)の考え方は、ジムと、ビジネスパートナーでもあるアンの夫妻によって、創業後100年以上たったいまも維持され、ニューバランスの遺伝子に組み込まれている。
社会が高齢化し、足に関する問題が増えるにつれ、ニューバランスは癒やし(ヒーリング)というマーケティングモデルにさらに熱心に取り組んでいるようだ。シューズの適切な形状とフィット感への強いこだわりを、足の専門医など、足の問題に関わっている人たちにもっと知ってもらうためのさまざまな活動にも力を入れている。
ニューバランスの癒やし(ヒーリング)の文化が表れているのは、シューズの機能性だけではない。特に、いま中年期のベビーブーマーに対する配慮によく表れている。
中年期は人生の岐路であり、少なくとも、これまでになかった不慣れな問題に向き合う時期だ。自分の精神エネルギーを「社会的実現」ではなく「自己実現」に振り向けたい衝動が絶えないため、現状維持が難しくなる。
社会的実現は、社会に認められたいという発達プロセスの一段階であり、仕事や物質的な成功につながりやすい。また、内なる自分自身よりも外の世界の人たちの要求や期待を重視しようとする。
ところが、中年期に近づくにつれて、これが変化してくる。ニューバランスのスローガンにあるように、「Connect With Yourself. Achieve New Balance. (自分自身とつながろう。新たなバランスを手に入れよう)」の必要性を感じるようになる。
高齢化した社会が広告に求める新たな視点
ニューバランスの広告に、きらめく海を見渡す山道をひとりの男性が走っているものがある。ヘッドラインは「2つの地点(ポイント)の最短距離が重要(ポイント)なのではない」。ナイキが同じような広告を打つとしたら、より優れたパフォーマンスや勝つことを強調するはずだ。ニューバランスのテーマは自分自身との闘い、あるいは「自然とともにある人間」であり、ナイキの広告にありがちな「1対1の対決」にはならない。
闘志満々の若者や大人になったばかりの頃は、「なんとしても成功してやる」と意気込み、恋愛、仕事、遊びにおいてライバルをしのごうと多大なエネルギーを注ぐ。しかし、中年期に近づくにつれて、とても人間らしい部分がそうしたエネルギーをほかのことの追求に向けようとさせる。ニューバランスのマーケティングはそれを反映している。同社の広告には、スポーツシューズのマーケティングにありがちな男らしさがまったく見られない。人間の価値は他者に対する優位性ではなく、「真の自己」に忠実かどうかで判断されることを前提としているからだ。
こうして、かつてのようにがむしゃらに走り回ることができない事実に気づき始めたり、なぜ以前のように「モノ」では心が満足しないのかを考えるようになったり、「これでいいのだろうか」「人生の意義、『わたしの人生』の意義は何なのか」といった中年期の疑問が絶えず浮かび始めたりしたとき、自己発見や新たな眺めの安らぎのメッセージを発信しているニューバランスがそこにいる、というわけだ。
「イメージ戦略」を超えた信頼の築き方
20世紀の売らんかな主義的マーケティング思考を生んだマインドセットのままでは、21世紀の新たなマーケティング思考を取り入れられない。古いやり方でうまくいかないときは、考え方そのものを変えることが大切、というアインシュタインの言葉を思い出そう。
「どんな問題も、それをつくり出したのと同じ考え方では解決できない」
だれに聞いても、マーケティングは問題だらけだ。古い考え方も熟知している法則も捨て、新たな考え方と未知の法則を受け入れるのは、なかなか厄介だ。理屈のうえでも、気持ちのうえでも難しい。「古き良き時代」が過ぎ去ったことへの嘆きや、新たな概念にまごつくストレスが気持ちを不安定にさせる。
その結果、多くの人が、問題をつくり出したのと同じ考え方のままでその問題と格闘し、同じやり方を何度も繰り返し、今度こそ違う結果が出るはずだと期待している。同じことを何度も繰り返して違う結果を期待するのは狂気の沙汰だと、もうみんな気づいてもいいのではないだろうか。
なぜ、賃金が高く、顧客から愛され、投資家からも地域からも応援される企業が、高い成長率を維持できているのか? 業績が市場平均を大幅に上回り、さらには「ビジョナリー・カンパニー」をもしのぐ72社を徹底的に分析して見えてきた「共通点」とは? いまの日本にもっとも必要な経営書の決定版!
ラジェンドラ・シソーディア、ジャグディッシュ・シース、デイビット・B・ウォルフ著、齋藤慎子訳/日経BP/2970円(税込み)


