日本を代表するインターネット企業の社長から東京都副知事に転身した宮坂学氏。「株式会社オレ」の経営者として、宮坂氏に影響を与えた5冊の本を紹介する。第1回は、キャリアについての考え方と、12歳の時に読み、今でも読み返すという『青春を山に賭けて』について話を伺った。

 これからの時代、会社に与えられた仕事だけをしていても、自分の理想のキャリアは作れません。自分のキャリアは自分以外誰もデザインできませんからね。

 ヤフーの社長時代に部下からキャリアの相談を受けると、よく「株式会社オレ」という表現を使っていました。誰もが、自分という人生の経営者ですよね。株式会社オレの社⻑はあなたしかいないんだから、人から言われて何かをやるのではなく、自分で決めなさいと。
 会社に⻑期的なビジョンや目的が必要なのと同じように、仕事のキャリアも含めた人生全体を長期的な視点で考えて自分自身を経営することです。

人生を事業ポートフォリオで捉える

 もちろん、そうは言っても、普通は目先の仕事で精いっぱいだから、長期的なこと、例えば「10年後にどうしよう」「結婚や子供はどうするか」「定年後はどうしよう」なんてことは想像できないかもしれない。けれども、仕事のキャリアを含めた自分の生き方について考えることをやめてしまうのは、まずいと思います。

 会社には普通、色々な事業部があります。そして、複数の事業を組み合わせながら、バランスよく経営するのが理想とされています。人生も同じです。自分が株式会社オレの経営者だとすると、「仕事事業部」「家族事業部」「趣味事業部」といった具合に複数の事業を持つべきだと思いますね。そして、それぞれの事業を発展させていくのが理想です。100%仕事事業部だけに資源を集中すると、リスクのある経営になってしまうと思いますね。

「キャリアを会社任せにするのではなく、自分自身でデザインすることが大事」
「キャリアを会社任せにするのではなく、自分自身でデザインすることが大事」
画像のクリックで拡大表示

 僕の場合は、ざっくり3つの事業があります。1つは、家族・友達事業部。これはバリバリプライベート。もう1つは、仕事事業部。あとは、アウトドアが好きなので、アウトドア事業部です。山や海で過ごす時間は自分にとってとても大切でかけがえのない時間です。

 どの事業に資源を注ぐか、その比率は年代や生活状況によって変わると思います。例えば、子供が小さい時は趣味事業部を削って家族事業部にリソースを回す必要があります。独身で若いなら、仕事事業部にほぼ時間を割いてもいいかもしれない。金銭的に厳しい時はとにかく仕事で生活を安定させないといけない。

 ポイントは、自分が今どの事業部に力を注いでいるのかを自分で主体的に経営し続けることです。20代の若い時と、結婚してから、あるいは子供が生まれてからでは、株式会社オレを取り巻く経営環境が変わります。ですから、そういう環境変化に対応して自分を経営すること。「これから家族事業部の比重を増やそう」「子供が生まれたら、子供事業部を作ろう」といった具合に、毎年自分で自分の経営を見直していくのが重要だと思います。

 自分を経営する意識がないと、自分の場合はどうしても仕事事業部の比重が高まっていく傾向があります。というのも、仕事が短期的な結果を得やすいからです。他方、人間関係や趣味、家族は熟成されて価値が出るまでに10年、20年はかかります。腰を据えて取り組む必要があります。でも、つい目先のことを優先し、長期のことをおろそかにしてしまう傾向があります。

 こうした自分の傾向も勘案した上で、ワーク(仕事)とライフ(生活)を考えていきます。極端なことを言えば、「俺は仕事事業部に100%」でも構わない。僕も20代から30代にかけてはお金に困っていたし、とにかく手に職をつけたくて仕事ばかりしていました。

いつの間にか友達がいなくなっていた

 でもね、長期的に見れば、いつの日か必ず仕事事業部は消滅するんですよ。

 僕の場合も、20代、30代の頃は仕事が面白くてしょうがなかった。本当に寝る間も惜しんで仕事をしました。だけど、仕事に没頭しすぎると、いつの間にか友達がいなくなっていくんです。

 30代の頃かな、猛烈に仕事が楽しくて、休日も出社し泊まり込みで会社に住んでいるような状態でした。仕事は面白い。けれど、どこかブラックホールのようなところもあって、いつの間にか、どんどんそこに自分の時間が吸い込まれていってしまうんですね。

 ふと気付くと、友達がほとんどいなくなっていました。仕事の知り合いや部下は増えるけど、本当に友達ってゼロになるんです。確かにアドレス帳に名前は登録されているけれど、ほとんど連絡が途絶えてしまいました。

「いつの日か必ず『仕事事業部』は消滅するんです」
「いつの日か必ず『仕事事業部』は消滅するんです」
画像のクリックで拡大表示

 当時はよく分からなかったから、仕事と友達はトレードオフでそれでも仕事をやるべきだと思っていました。一方で、現実に友達ゼロになって危機感も覚えました。キャリアとしては成⻑できているけれど、「ずっとこれでいいのかな」と思うところがありました。キャリアプランだけ充実させるのではなくライフプランも充実させた方がいいなと思い始めたのはそのあたりからです。

人のつながりは会ってこそ

 今なら分かりますが、人間関係って時間を投資して会って育まないとだめになるんですよ。そうしないとどんな仲のいい友達でも、切れちゃうじゃないですか。みなさんの周囲に、時々、まめに飲み会をセットしてくれるコネクターみたいな貴重な人、いません?とても大事です。人間関係に時間を投資する努力をしないと、豊かな人間関係は維持したり育てたりできないんですね。恐らく、家族関係や地域社会や趣味での人間関係も一緒だと思います。

 気付いたら、30代で管理職になった頃に友達が1人もいなくなっていました。もう、株式会社オレの社長としては大失敗ですよね。そこから、僕の中で意識的に自分を経営する感覚を持つようになりました。

 例えば、キャリアは、「成功」「不成功」みたいな表現ができますね。成功イコール、お金がたくさん稼げるとか、肩書きが偉くなるとか、高級車に乗れるとか。反対に不成功はお金がなくて、生活に困ってしまう状況かもしれない。

 一方で、人生(ライフ)とはそうした物差しでは比較できないものだと思っています。その指標は、友達の数とか、自分の葬式の時に弔問に訪れてくれる人だったりするかもしれません。今の言葉で言えば、ウェルビーイングですかね。

 理想は、キャリアで成功して、ライフでも幸せになることです。しかしあえて言えば、僕自身は、キャリアの生活よりもライフの充実の方が大事だと思っています。先程言ったように、キャリアよりも圧倒的に⻑い時間で考えないといけませんから。

幸せの物差しは人それぞれ

 だから、会社のCEOが時価総額の最大化をするのと同じように、株式会社オレの経営者であるあなたは、自分の幸せを最大化することを考える必要があります。そして、その指標は自分で決めていいんです。死の1秒前に「最高の人生だった」と思えれば、一番美しい去り方になるのではないでしょうか。

 誤解を恐れずに言うと、しょせん、キャリアは人生の一部ですからね。仕事で思うようなキャリアが積めなくても、幸福に楽しく暮らしている人はいます。仕事以外の事業部が充実してトータルの株式会社オレとして充実しているならば、別にいいと思いますし、むしろ成功しているといえるかもしれない。それは自分の選択の問題ですからね。
 あまり仕事事業部ばかりコミットしていると、定年退職する日が俺のピークだったみたいなことになりかねない。これが一番やばいな、と思います。

「キャリアは人生の一部ですからね」
「キャリアは人生の一部ですからね」
画像のクリックで拡大表示

 だから、仕事事業部ばかりに比重を置いてしまうと、例えば友達がいない人生の後半戦なんてことになりかねない。寂しいじゃないですか。その意味でも、若い人には株式会社オレの社⻑として、キャリアの成功を目指しつつも、それだけでなくどうやって幸せになっていけるかを、大切に考えて自分を経営してほしいと思っています。

 …と、前置きが長くなりましたが、僕から紹介する本は、株式会社オレを経営する際に大きな影響を受けた作品を選びました。30年以上前に読んだ本もありますが、30年たった今でも、新鮮な気持ちで読み返せます。これから40年たった未来でも色あせないと思います。キャリアだけでなく、ライフを考えるヒントにしてほしいし、今だけでなく30年後に再読できる本を選んでみました。

『青春を山に賭けて』 植村直己(文春文庫)
宮坂メモ:「できないと言っていたら一生外国に行けないのだ。一度は体を張って冒険をやるべきだ」。キャリアは事前に計画された道があるすごろくではないし、偶発と出会いと運に左右される。キャリアだって旅をするように直感を信じて回り道と思ってもいいからやってみてほしい。行動力と楽観が大事。

 若い人向けにということで、ビジネスパーソンでも、そうでない人にも読めるものを選びました。僕が比較的若い頃に何度も読み返したし、今くらいの年齢になってもう一度読み直せます。それぞれ、人生の節目で、補助線になっているような作品でもあります。

 最初は、植村直己さんの『青春を山に賭けて』です。

 初めて読んだのは、僕が12歳の時です。1971年の出版だと思うのですが、初版本で読んでいると思います。とにかく、読んでむちゃくちゃ感動したのを覚えています。

 当時、外国はすごく遠かった時代です。そんな中、植村直己さんは1960年代に単身で米国に渡るんですね。明治大学の山岳部で、それこそ株式会社オレではないけど、自分にとって大切なのは山だと言って、就職せずにひたすら山登りに明け暮れていました。そして、世界の山に登るんだと言って、色々な仕事をして貯金し続けたんです。

 ただ、当時は円が安かった。1ドル300円ぐらいでしょうか。これではいつまで日本でお金をためても世界の山に行けないというので、船に乗って米国に行くんですね。英語が一言もしゃべれないのに。それでも、カリフォルニア州までたどり着いて、果樹園で働き口を見つけます。そこでお金をためて、ひたすら世界の山に登るという夢を目指すんです。

自分のやりたいことに忠実に従う人生

 はっきり言ってむちゃくちゃ無鉄砲(笑)。だけど、痛快じゃないですか。

 直感を信じて、自分のやりたいことに、忠実に従う。そうした生き方が、小学生だった自分にも衝撃で、すごい!と素直に思いました。かっこいいですよね。

「小学生だった自分にも衝撃で、すごい!と素直に思いました」
「小学生だった自分にも衝撃で、すごい!と素直に思いました」
画像のクリックで拡大表示

 でも、彼は労働ビザがないまま果樹園で働いていたので、やがて不法移民扱いになってしまうんです。ビザのことなんて知らなかったんでしょうね(笑)。揚げ句の果てに捕まって、強制送還されかけます。その時、彼は必死で説得します。

 俺は山がやりたいんだと。相手からしたら、訳が分からなかったでしょうね(笑)。でも、当時はおおらかな時代で、最後は理解してくれて、欧州に山に登りにいけと送り出されるわけです。そして、今度はシャモニのスキー場で働き始めます。そして、モンブラン、キリマンジャロという世界の高峰に登頂します。やがてエベレストに登る日本初の山岳隊に選ばれ、成功するわけです。

 本では運がよかったと書いていますが、本人の行動力の成果だと思います。植村さんのキャリアでいえば、恐らく最初から明確なキャリアプランはなかったと思うんです。あったのは、自分が進みたいと思っている方向感だけ。「オレは世界の山を登るんだ!」みたいな。

明確なベクトルを持つことの大切さ

 植村さんの計画は、はっきり言って行き当たりばったりだと思うんです(笑)。でも、ベクトルの強さというか、それを信じてひたすら突進していく行動力があると、困難に陥っても周囲がなぜか助けてくれます。結果的に、彼は国民栄誉賞を受賞するような成果を残しました。

 その意味では、キャリアにおいてはプラン(計画)も大切だけど、どの方向にどれだけ強く進みたいと思い行動しているのかというベクトルも大事だということですね。自分が信じる方向だけでも、まずは決められたらいい。そして、それを強く信じて歩くことですね。

 自己肯定感の強さと言えるかもしれません。自分の進みたい方向が、時に周りからは、変だと言われるかもしれない。それでも信じて歩く。

 植村さんだって、当時は言われていたかもしれないですよね。「そんなことしたら就職できなくなるぞ」とか。恐らく色々言われながらも、米国に渡って、最後まで自分の直感を信じたんだと思います。それが、僕らを感動させた。

「キャリアにおいてはベクトルも大事です」
「キャリアにおいてはベクトルも大事です」
画像のクリックで拡大表示

 自分を信じられるのは、自分だけですからね。当たり前かも知れないけど、これってすごく大事だと思います。付け加えれば、当時はそういう自分を信じて無鉄砲に体を張って海外に飛び出した人の本が多かった気がしますね。

 小澤征爾さんの『ボクの音楽武者修行』や堀江謙一さんの『太平洋ひとりぼっち』。沢木耕太郎さんの『深夜特急』もそうでしょう。共通しているのは、綿密なプラン(計画)のことよりも進むべきベクトルがあったということですよね。信じる力も大事だというメッセージですね。

 「自分は何をやりたいのか」を考えて、信じることは大事。年齢を重ねるにつれてやらない理由をつけて自分自身を説得するのが上手になってしまい、行動する胆力が衰えていきますが、こういう本を読んで体を張って行動する勇気をもらいます。

日本には「アドベンチャー」が足りない

 日本でも、ベンチャー企業、いわゆるスタートアップに注目が集まってきています。日本にはまだまだベンチャー企業が足りないと言われていますけれど、僕は植村さんのようなアドベンチャーをする人も決定的に足りていないと思うんです。

 ベンチャー企業の場合は、リスクに応じて金銭的なリターンが期待できるけれど、アドベンチャーの場合、いわばハイリスクノーリターン(笑)。チャレンジ精神の最も純化した形態だと思うんです。

 命を懸けている割には、金銭的にはいいことなさそうですよね(笑)。それでも、「冒険とは生存の可能性の芸術である」と言われるように、冒険とは生きることの芸術だと思うんですね。

「日本は、植村さんのようなアドベンチャーをする人も足りていない」
「日本は、植村さんのようなアドベンチャーをする人も足りていない」
画像のクリックで拡大表示

 今はネットで何でも情報が手に入る時代です。地理的にも、大抵の場所で探検はやり尽くしています。そんな中で、冒険のテーマを見つけることって、実はとてもクリエイティブなことではないかと思います。「どんな冒険をするか」という行為自体が創造性に溢れているというか。このあたりは現代の日本を代表する探検家の角幡唯介さんの著作をどうぞ。

 日本は冒険というと、時にネガティブに捉えがちです。「そういうことをやると危ない」「何かあったらどうするんだ」となってしまう。冒険家のような大胆な行動をする人が生きづらい時代になっているのではないかな。そういう風土だと、ビジネスの世界にベンチャーも生まれないと思うんです。

 命のリスクに直面する冒険家に比べれば、スタートアップを立ち上げる起業家のリスクは小さいのだから、せめて起業家である彼ら・彼女らの挑戦に寛容な社会であってほしいですよね。アドベンチャーを選ぶ人を「危ないからやめろ」ではなく尊敬できる環境ができれば、もっとビジネスの世界で誰もが伸び伸びと挑戦できる社会になるのではと思います。

 僕自身は、いつかアドベンチャーファンドとか作ってみたいんですよ。ベンチャーファンドはすでにあるので。ただ、リターンを何にすればいいのかが全く思いつかないですよね(笑)。

取材・文/蛯谷敏 写真/中西裕人