日本を代表するインターネット企業の社長から東京都副知事に転身した宮坂学氏。宮坂氏のキャリアに影響を与えた5冊を紹介する。第2回は、東京都副知事への挑戦に勇気をもらったという『後世への最大遺物』と、社会人として壁にぶつかった時に読み返したい『李陵・山月記』、『さぶ』について話を伺った。
生き方といえば、内村鑑三の『後世への最大遺物』も示唆的です。彼の言う「勇敢なる高邁な生き方」、すなわち「自分のやりたいことをやって生きてもいいんだ」というメッセージが与えてくれる勇気はすごいです。もっと自分を大切に生きていい、とも読めるかも知れません。
人は人、自分は自分だという感じは植村さんの本ともつながっています。内村鑑三の本を読んだのは、ヤフーの社長になる直前の時期。確か、親が亡くなった頃だったと思います。
大事な人が死ぬと、死について考えるじゃないですか。死とは何だろうと。当時、死についての本を読んでいたんです。その中で、自分が死んだ時に残った人に何を残すかは、大きなテーマだと思ったんですね。
両親は中学校しか出られなくて裕福な家庭ではありませんでしたから、金銭的な財産を残してくれたわけではありませんでした。その代わり、自由に生きていいんだという生き様を残してくれた。『後世への最大遺物』を読んだ後、親が残してくれた最大遺物が何かが自分の中で言語化されました。
誰もが後世に残せるのは「生き様」
自分も子供に何か残せるものをと考えたら、もちろん遺産が残せればいいかもしれないけれど、自由な生き方を残すことが大事だなと思いました。子供に「好きなことをやろう」と言うならば、親がそういう生き方を示さなければならない。親が自由に生きて、それでもちゃんと生きていけると示せれば、「私だって自由に生きてもいいかな」と思うじゃないですか。
お金や事業、あるいは思想を残せなかったとしても、勇敢に、自分の気持ちに忠実に自由に生きたという生き様は誰もが残せる。そこに勇気をもらった本ですね。東京都の副知事の職に挑戦してみようと思ったのも、自分が面白そうだと感じたからなのと、株主のためではなく公共のために働く生き方に憧れもあったから。困難なのは分かっていたけれど自分のやりたいことに、忠実に従ってみようと思ったからです。
一方で、人の期待に応え続けて生きましたというのは寂しいと思います。自分を自己表現できていないことと同じですからね。
※岩波文庫他でも取り扱いあり
『山月記』は、小学校の教科書で読んだのが最初だと思います。その後、随分読んでいなかったんです。そうしたら、ある時、教育学者の齋藤孝さんが、書籍の『声に出して読みたい日本語』で「日本で一番美しい文章は中島敦」と言っていたんです。
それをきっかけに、もう一回読み直してみたら、確かにすごい。美しい漢文調のリズム、抑揚、バランスが素晴らしい文章なんです。中身もとても面白かった。これは小学生が読む本ではないと思いました。
もともと主人公は田舎のスーパーエリートだったんですね。それが上京して都会に出ていったのだけど、力が通用しなかった。そして、すごく鬱屈して、虎になってしまうというファンタジーです。
物語はフィクションですが、現実には社会に出ると、そういう場面が多いと思います。僕も田舎に住んでいて、そこではまあまあできる子だったんですけど(笑)、上京すると、自分より頭のいい人が山ほどいる。さらに就職して孫正義さんや井上雅博さん、ニケシュ・アローラさん達と働くと、自分とのレベルの差にがくぜんとする。自分も何事かを成したいけど上には上がいるということに直面しました。
人は誰もが葛藤している
本の中に、そんな状況に陥った人の心情を表現した有名な一節があります。
「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」
人は誰もが、多かれ少なかれ「俺は普通の人よりも秀でている」といった自尊心がある。他方、それを目指すことでの失敗を恐れるようになる。自尊心が傷つくからですね。だから人は常に、「自分は何かを成すことができる」と思いつつも、挑戦して失敗するリスクにおびえている。それを、中島敦は臆病な自尊心と書いたと思うんです。
一方の尊大な羞恥心は、人は「失敗したら恥ずかしい」という意識を過剰に持つことを表現しています。周囲は別に何とも思っていないのに、本人が過剰に羞恥心を持ってしまう。
人は結局、自尊心が傷つくことを恐れ、誰も気にしていないのに、過剰な羞恥心を持つから、なかなか挑戦できない。そんな内面の葛藤を巧みに表現しています。そして社会人になると、誰もが多かれ少なかれ直面する状況でもあります。
これ自体を回避する手立てはないし、みんなが抱いて当たり前のものなので、僕自身としてはこうした感情を認識しておくことが大事だと思います。
「ちょっと俺、虎になりかかっているな」「今弱ってるな」と自分を客観的に認識できるようになればいいと思います。客観的に、自分の自尊心・羞恥心を把握することが大事だと思います。最近の言葉で言うと、「メタ認知」と言うのでしょう。
その意味でも、深い話なんです。社会人が読んだ方がいい。ちょっと小学生が読む本ではないよね(笑)。
『さぶ』は、山本周五郎の代表作です。山本周五郎は大好きな作家の一人で、特に心が弱ってるときに読むと染みます(笑)。
この小説では、栄二とさぶという2人の人物が登場します。栄二もさぶも職人で、栄二はいわゆるスタータイプ。何でもできる、スーパーキャリアの持ち主です。一方のさぶは、脇役で、本当にどんくさい。地味で、何にもできない役回りです。
でも、物語では栄二とさぶは結構仲がよくて、助け合って生きていきます。
これは、僕自身のこじつけになるかもしれませんけど、世間には栄二みたいなタイプがたくさんいます。『山月記』も似ていますが、自分よりすごい人は世の中にいっぱいいます。でも、この小説を通して分かるのは、さぶという存在があるから、栄二が輝くということなんです。
例えば、栄二がふすまを張り替えるシーンが出てきます。栄二が完璧な仕事をして他者からの評価を受けるのですが、それにはさぶが作るのりが必要なんです。栄二はさぶののりでなければダメだと言うんです。でも、普通の人には裏方の仕事であるのり作りをしているさぶの重要性は分からないから、やっぱり栄二ばかりが目立つわけです。
あなたが輝けるのは、誰かが支えているから
思うのは、やっぱりスーパースターだけでは世の中は回らない。そういう裏方さんの協力があっての世の中だと思います。現実社会は、栄二1人の後ろに、さぶが10人くらいいるかもしれない。
だから、栄二のような才能を持った人やポジションにいる人は、自分を支えているさぶの存在を忘れてしまうと、よくないと思うんですよね。物語でも栄二がある事件に巻き込まれて苦労に苦労を重ねて自分を支えてくれる人々のことを理解するように人として成長していきます。あるいは、自分自身がさぶというケースがあるかもしれない。でも、そうした役割を卑下する必要はまったくありません。
マネジャーからすると、さぶのような社員は、能力評価では評価しにくい。裏方の仕事を上手にやっていても、数字で見えないので判断できないわけです。でも、そういう栄二の後ろにいるさぶの存在を忘れて、栄二のような人間ばかりを評価すると、スターしか生きていけない社会になっていくと思うんです。
それが果たしていい社会なのか。
ヤマト運輸を大きくした小倉昌男さんはメリトクラシー(能力主義)の弊害を指摘していましたけれど、そういう面は確かにあるのではないか。会社の中には、栄二とさぶが必ずいます。特に栄二的なキャラの人って、やっぱりさぶなんか要らねえ、とか言う人も時々いると思うんです。でも、それをやると、自分の首を絞めるだけだったりする。やっぱり生態系ですよ。強い生き物だけでは、生態系は維持できない。若い人、特に優秀と言われてる人にぜひ読んでほしい本です。