ライフネット生命保険創業者で、立命館アジア太平洋大学(APU)前学長・名誉教授の出口治明氏は、大の本好き、歴史好きとして知られ、歴史に関する著作も多い。好評を博した『一気読み世界史』に続き、このたび『一気読み日本史』を刊行した。出口氏による日本史講義を、書籍から抜粋して、お届けする。明治政府は、議会開設と憲法制定に向かうのと並行して、中国との緊張関係を深めていく。そのきっかけの一つが、沖縄県だった。
自由民権運動への明治政府の対策は、飴と鞭、そして分断です。
1880年、政府は集会条例を出し、政治集会や政治結社を許可制にしたほか、警官に集会の立会権と解散権を与えました。一方で、公共事業の土木費に補助金を出しはじめます。こちらは、いわば懐柔策で、地方の有力者に稼ぐ手立てを与えたわけです。そして、政党間の対立を煽ります。
1882年、外務卿の井上馨が、自由党の板垣退助と後藤象二郎を、ヨーロッパ視察旅行に連れ出します。資金は三井財閥から引き出していました。このころ伊藤博文も、憲法調査のためヨーロッパを視察していて、板垣にはそれに対抗したい気持ちがあったようです。
周囲からは当然、「政府の陰謀や」「その手に乗ったらあかんで」という声が出て、自由党が分裂します。ライバルの立憲改進党も「財閥から金をもらうんか」と、攻撃しますが、自由党は「おまえらも、三菱財閥から金をもらっとるやろ」と反論して、非難の応酬になりました。
このころ、明治政府は、琉球を沖縄県にしています。
かつての琉球王国は、薩摩藩に服属しながらも、中国の清に朝貢する独立国でした。それを、まず琉球国王を藩主とする琉球藩としました。さらに沖縄県にして、東京から知事を送ることにしました。
これに、中国の清が「あいつ、俺の縄張りに出てきとるで」と警戒感を抱きます。そして、朝鮮に圧力をかけました。「ボケッとしとると、日本が、お前らのとこも侵してくるで」と。清は、1882 年、朝鮮にアメリカと修好通商条約を結ばせ、「朝鮮は清の保護国です」という親書を、朝鮮国王からアメリカ大統領に送らせます。清と朝鮮の関係のアピールです。
すると、中国の北洋軍の李鴻章(りこうしょう)が「これは、ひょっとすると日本と殴りあいになるかもしれんで」と思いました。そこで、威海衛という山東省の港町に海軍基地をつくります。ここに1885年、ドイツから定遠(ていえん)と鎮遠(ちんえん)という7000トン級の装甲艦が届き、日本ににらみを利かせます。
李鴻章が何者かといえば、清の官僚であり、軍人です。

日中史の理解に欠かせない「軍閥」とは何か?
清では、19世紀半ばに太平天国の乱という、大きな農民反乱が起きましたが、このとき、清の正規軍は弱体化していました。そこで、曾国藩(そうこくはん)というエリート官僚に、故郷の湖南省で自警団を組織させます。曾国藩はこの自警団を、湘軍(しょうぐん)という軍隊に育てます。李鴻章も、安徽省で淮軍(わいぐん)をつくりました。いずれも活動資金は民間から吸い上げていて、清の正規軍ではありません。いわば民営の警備隊ですが、これが力をつけて、リーダーの曾国藩や李鴻章は、地方長官の権限を持つようになります。
曾国藩は1870年に湘軍を解体し、あとを李鴻章に任せました。その李鴻章が、淮軍の洋式化を図って、育てたのが北洋軍です。ここから生まれてくる軍閥が、のちの日中の歴史を理解する重要なポイントとなります。
朝鮮で政治の実権を握っていたのは、国王の高宗の妃である、閔妃(びんひ)の一族でした。この閔妃政権に、1882年、兵士たちが反乱を起こします。壬午軍乱です。日本公使館も襲撃されました。清の李鴻章はすかさず軍を派遣し、閔妃政権を復活させました。これを機に、清は朝鮮の保護国化を進めます。李鴻章の部下の袁世凱(えんせいがい)が、朝鮮国王の代理のような立場になりました。
当時、日本陸軍の常備兵は2万人足らず。一方、李鴻章が動かせる兵は10万人超。これではあかんと、日本は8カ年計画で軍備拡張を進めます。
過激化して下火になった自由民権運動
日本では、自由党が分裂していましたね。すると、若手中心に「こんなことでええんか」と考える人が、出てきました。そして「俺たちがもっと頑張らなあかんで」と、過激になっていきます。
1884年、加波山事件が起きます。自由党の若手党員が、薩摩出身で福島県令の三島通庸などの暗殺を謀って、果たせず、武装蜂起した事件です。どうして三島が狙われたのかというと、その2年前、三島の強権政治に対する反対運動を、厳しく弾圧する福島事件があったからです。
自由党は、加波山事件の責任を取って解党します。大隈重信の立憲改進党も、過激化する党員らをコントロールできないと、活動を停止しました。この年には、秩父事件も起きていて、自由民権運動は、一部が過激化した結果、わずか10年ほどで下火になってしまいます。
自由民権運動が求めた議会開設と憲法制定は、その後、伊藤博文によって周到に進められていきました。
[日経ビジネス電子版 2025年12月25日付の記事を転載]
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