英語もままならない一人の青年が、単身シリコンバレーへ。待っていたのは、「日本人には無理」という周囲の視線と、現地の投資家たちから浴びせられる厳しい言葉だった。最初のプロダクトへの挑戦、そして挫折。そんな苦境の中で出合った1冊が、130年以上前に書かれた本だった。米国発のリモートワーク特化型宿泊サービス「Anyplace」創業者の内藤聡さんは、いかにして帰国を踏みとどまり、挑戦を続けることができたのか。その原点をたどる。その1回目。

「英語が話せない日本人には無理」と一蹴された

 2014年1月、バイトでためたお金と親からカンパしてもらった60万円を手に、単身サンフランシスコへ渡りました。最初に住んだのは、ベッド1台でいっぱいになるような、違法すれすれの狭い部屋。周囲の治安も悪く、今振り返ればなかなかの環境でした。それでも、当時の僕にとって何より重要だったのは、家賃の安さだったんです。

 渡米して間もない頃の僕は、まだ起業には至っておらず、プロダクトについても確たるビジョンはなかった。とにかく、「シリコンバレーに乗り込んでやろう」。そんなところからのスタートでした。現地で名の知れたベンチャーキャピタリストの方に会い、話をする機会をもらいましたが、そこで言われたのが、「君、そもそも英語しゃべれないよね。絶対無理だよ」の一言。実際その指摘通り、渡米当時の僕は英語をほとんど話せなかったんです。

 今でこそ笑い話ですが、当時は本当に悔しくて、泣きそうになりました。ただ、その悔しさが、「だったら数字で語ってやろう」と自分のスイッチを入れてくれた。結局、ビジネスで最後にものを言うのは数字です。アイデアやビジョンをどれだけ語っても、最後に問われるのは結果。英語が流ちょうでなくても、「売り上げ」や「成長率」という数字なら世界共通で伝わる。そう思ったんです。

不利な条件だらけの挑戦だった渡米について、「青春というか、学園祭みたいな時間だった」と内藤さんは懐かしむ。二度とは戻れない、特別な日々だった
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起業家・小林清剛さんと出会ったその日に起業する

 シリコンバレーで僕の人生を大きく動かしたのが、連続起業家の“キヨさん”こと小林清剛さんとの出会いでした。キヨさんは2009年にモバイル広告配信の会社「ノボット」を立ち上げ、2011年にKDDIグループへ売却。その後、サンフランシスコへ拠点を移していたキヨさんは、自分が苦労人ということもあって、何者でもなかった若造の僕のことも構ってくれた。僕の著書『 シリコンバレーによろしく 』でも詳しく書きましたが、そして気づけば、そんなキヨさんに巻き込まれるようにして起業していた——。正直なところ、そんな始まりでした。

 キヨさんはノボットの創業者であるだけでなく、実際にアドネットワーク領域でセールスをしていたので、とにかくクロージングがうまいんです。僕が「AirbnbとHotelTonightを掛け合わせたような、余った民泊の在庫を割引価格で販売するマーケットプレイスを作りたい」とアイデアを話すと、「いいじゃん。じゃあ会社つくりなよ」「弁護士に連絡してメールで手続きしておくから」と、どんどん話を進めていく。断る時間を与えない。背中を押すというより、突き落とすようなスタイルです(笑)。そして気づいたら、会社ができていました。そうして始めたのが、「instabed(インスタベッド)」というプロダクトです。もしあのとき考える時間を与えられていたら、僕もシリコンバレーの空気だけ吸って、そのまま帰る9割の人間になっていたかもしれません。

 ただ、起業したとはいえ、お金もなければ人も足りない。とにかくリソースがありませんでした。アメリカで挑戦したい起業家向けのシェアハウス「Techhouse(テックハウス)」を一緒に立ち上げたキヨさんや長谷川浩之、後にAnyplaceの共同創業者となるエンジニアの田中浩一をはじめ戦友には恵まれたものの、基本的にはすべて手弁当。荷物も自分たちで運ぶし、交渉も自分たちでやる。CEOやファウンダー(創業者)自らが足を運ぶからこそ、会ってもらえる、話を聞いてもらえるということも多かったんです。英語が不得手でも、行動量でカバーできる部分は確かにありました。

 考えすぎたり、真面目になりすぎたりすると、できない理由ばかりが浮かんでくる。だから、悩む前にまず動く。そういう人間でいようと決めていました。振り返ると、スタートアップで結果を出している人には、総じて楽観的な人が多い気がします。できない理由を探して悲観的になるより、なんとかなると思って動き続ける。そのほうが、結果的にうまくいくんです。

最初の失敗、2年間の苦しさ

 とはいえ、起業後、初めて自分で手がけたプロダクト「instabed」は、失敗に終わりました。事業は軌道に乗らず、貯金もほとんど使い果たした。そこから次の事業を見つけるまでの2年間は、本当につらかったです。「起業家」と名乗っているのに、プロダクトがない。そんな自分自身に、うさんくささすら感じていました。人に会うのも肩身が狭い。朝、起きたくない。今振り返れば、軽いうつのような状態だったと思います。

 何よりしんどかったのは、失敗が自分一人の問題では済まないことでした。キヨさんをはじめ、「instabed」に出資してくれた投資家がいる。期待してくれた人がいる。その人たちを裏切ってしまったという気持ちが、一番苦しかった。ビジョンを語って、お金を出してもらった。それなのに、事業を軌道に乗せられなかった。もちろん、だますつもりなんてまったくありません。それでもなぜか、自分が人をだましてしまったような感覚になるんです。

 そんな苦しい時期に、キヨさんが1冊の本を薦めてくれました。それが、内村鑑三の『 後世への最大遺物 』でした。

「何を成し遂げたいか」を教えてくれた本

 僕はどこかで、Facebookやメルカリのような大成功を漠然と夢見ていました。でも実際は、9割の起業家がそんなふうにはいかない。みんな苦労しながら、時には事業を変え、少しずつテイクオフしていく。そのことを知らなかった自分は、失敗した瞬間に「自分には才能がないんだ」と、必要以上に落ち込んでしまいました。

『後世への最大遺物・デンマルク国の話』』(内村鑑三著、岩波書店)
『後世への最大遺物・デンマルク国の話』』(内村鑑三著、岩波書店)
キリスト教思想家・内村鑑三が1894年、箱根での講演をもとにまとめたもの。お金や事業だけでなく、人がどう生きたかという生き様そのものが、後世へ遺せる最大の贈り物になると説く

 そんな時にこの本を読んで、初めて「なぜ自分は起業するのか」「何を成し遂げたいのか」という軸ができました。『後世への最大遺物』で内村鑑三が問いかけるのは、人生を通じて後世に何を遺せるのか、ということです。お金や事業だけではなく、自分の生き方そのものが、後の世代に遺せるものになる。その考え方に触れて、自分も「何を得たいか」ではなく、「何を遺したいのか」を考えるようになりました。「シリコンバレーのスタートアップはかっこいい」という憧れだけでは、つらい時期に踏ん張れない。この本があったから今も頑張れているし、事業に夢中になれているのだと思います。

 振り返ると、メルカリ創業者の山田進太郎さんのように、経営者として結果を出している人は、総じて読書家だという印象があります。「経営者の器」というと大げさかもしれませんが、結局、組織は経営者自身が考えられる範囲を超えては大きくならない。だからこそ、常に学び続けることが欠かせないのだと思います。

取材・文/金澤英恵 構成/山口玄太郎(日経BOOKSユニット)、中川ヒロミ(日経BOOKプラス) 写真/小野さやか