子どもたちの間にじわじわ広がる「読書格差」と「能力格差」。そもそもなぜこうした現象が起こってしまうのでしょうか。そして読書は、「タイパの悪い」取り組みなのでしょうか? 子どもの成長における読書の意味を、『科学的根拠が教える 子どもの「すごい読書」』の著者で、読書研究の専門家である猪原敬介さんが解説します。連載最終回となる4回目のテーマは「読書とタイパ」。これからの読書とのつきあい方を考えます。
子どもには、それでも本を読ませるべきか
ここまで3回の連載の内容を総合すると、子どもも大人も、二極化を伴う読書離れが進行している、とまとめることができるでしょう。
では、なぜこうした現象が起こるのでしょうか。簡単に説明がつくようなものでもないでしょうが、いくつか考えてみましょう。
読書活動が全体的に低調となっていく要因としては、まずは「これまで読書が担ってきた役割を他のものが代替するようになった」ことがあると思います。
ちょっとした暇をつぶすのにも、以前は「文庫本で読書」だったものが「スマートフォンで動画やSNS」になりつつあります。娯楽として、あるいは、何らかの必要性にかられて物語に触れていた人々も、ネット配信の映画やドラマで手軽に物語を取り込むことができます。知識への渇望も、YouTubeや生成AIに尋ねることで充足されているのかもしれません。
また、「読書以外にもやることが多い」ということもあるのではないでしょうか。
私も1人の親として、子どもにどんな経験をさせてあげるのがいいのかな、と悩んでしまいます。やはり英語が話せなければいけないでしょうか。いや、それよりもプログラミングスキルのほうがこれからは必要になるのでしょうか。いやいや、プログラミングさえこれからは必要ではなくて、生成AIを活用するための「地頭」が大切……なのでしょうか。
「朝の読書」があるから大丈夫、とはいえない事情
こうした悩みはきっと私だけのものではないのでしょう。保護者や文部科学省は、教育現場にさまざまな要求を出します。
例えば、小学校に英語やプログラミング教育が導入され、そのための時間を確保するために「朝の読書」の実施頻度を下げざるを得なかった、という話をよく聞きます。
朝の読書は2025年5月現在でも学校数ベースで「小学校82%、中学校81%、高校42%」で実施されている活動ですが、実は、「毎日実施」しているのはそのうちの34.8%にすぎず、もっとも多いのは「週1~2回」(37.6%)です(トーハン, 2025)。
さらには、朝の読書の原則は「毎朝、ホームルームや授業のはじまる前の10分間、生徒と『先生が』それぞれ自分の好きな本を黙って読む」なのですが、実際には、生徒が朝の読書をしている最中、先生は忙しそうに書類仕事をしてしまうケースが多いのだそうです。
第1回記事で少し触れたように、「朝の読書」活動はおそらく不読率低下に貢献していました。読書活動の体験を増やすという意味でも、学校側から生徒側への「読書は大切なものなのだ」という暗黙のメッセージを出すという意味でも、これは納得できる作用です。
その「朝の読書」が形骸化してきていることは、読書離れの一因である可能性は高いと考えます。
タイパ時代に読書の意味を問い直す
先ほどの「読書以外にもやることが多い」ともつながりますが、近年は短い時間で完結するコンテンツが人気です。
例えば、TikTokやYouTubeでは、15秒から長くても60秒程度の短い尺の「ショート動画」がよく再生されます。スマートフォンに合わせて縦型のフォーマットになっており、ちょっとの隙間時間に、数多くのコンテンツを視聴することが可能です。
自らの時間を大切にする「タイパ重視」の考えが普及していることと、これは無関係ではないでしょう。
しかし一方で、一部の人は読書に価値を感じて、そこに長い時間を投入していることも事実です。こうした人たちはタイパを重視しない、というわけでもないでしょう。大切な自分の時間を投入する先として読書を選んでいるわけです。
例えば、私は前著『読書効果の科学』(京都大学学術出版会)で「読書だけが持つ魅力」を5つ挙げていますが、その中でも「主体的で自己ペース」「整然・静謐(せいひつ)性」の2つを強調しました。
誰にも急かされずに、自分がめくりたい速度でページをめくる。中断も再開も気の向くまま。自分の好きな場所で、整然と並んだ文字を目で追うだけの静かな時間……。
こうした体験は、読書でなくては得られないでしょう。そういった視点で読書をする人は、1冊を読むのに長い時間がかかるという読書の「弱点」は気になりません。むしろ、1冊で長い時間楽しませてくれるという「長所」に映ります。
説明文の読書では知識獲得が大きな目的になりますが、結論だけでなく、その結論がどのように導かれたか、根拠は十分にあるのか、しっかり知りたい人にとっては、文章や図表が豊富に使われた書籍が最適のメディアになるでしょう。
わからない部分があってページを戻ったり、線を引いたりしながら情報を少しずつ自分のものにしていく。途中で本を読み進める手を止めて、自分の関心のある事柄へとその本の議論を応用して考えてみる。こうした草をはむようなじっくりとしたプロセスは、やはり読書だけが持つ独特な魅力であるといえます。
本の魅力の再発見
また、ショート動画全盛と対照的な出来事として、「鈍器本」人気があります。
凶器の描写として、よく「鈍器のようなもの」という表現が使われますが、鈍器本とは、非常に分厚くて重い、「場合によっては鈍器としても使える」本のことです。高い専門性と膨大なページ数を反映して、高価格です。
例えば、2024年10月に出版された『物語要素事典』(神山重彦著、国書刊行会)という本は、4段組み1368ページ、税込み28600円ながら、発売後1週間で重版がかかる人気だそうです。この本以外でも、読むのに相当な根気が必要となりそうな分厚い本が、近年、予想以上の売り上げを見せています。
びっしりと文字が詰まった真っ黒なページは、読む人を圧倒します。実際、最初から最後まで鈍器本を通読する人は少ないでしょう。
しかしそれでもこうした本に挑戦してみたい、自分の知的好奇心の赴くままにページをめくってみたい、そんなふうに考える人がいたのだと思います。
ゆったりとした静謐な読書は、今の時代では貴重な体験となっているのかもしれません。「自分の大切な時間を、他では得られない価値ある体験に使う」という意味では、読書はタイパ重視の考えに沿っているともいえそうです。
まとめると、読書をする人は確かに減っていて、今後、読書が他のメディアをおさえて最も一般的なメディアへと返り咲くことはないのかもしれません。それは、以前は読書が満たしていた「人々のニーズ」を、他のメディアや活動が登場したことで、読書が独占できなくなったからでしょう。
しかし今でも、読書にしか担えないニーズは存在しており、そのことに気づいた何パーセントかの人々は、今でも読書を支持してくれている、ということなのではないでしょうか。
こうした世の中の動きを把握した上で、読書の特性を捉え直し、親子で読書をどのように生かすかを考える……そんなふうに参考にしていただければと思います。
研究者の立場から見た「これからの子どもの読書」
今回の連載記事では、読書離れは実際に起こっているのか、起こっているとすれば、その実態や理由はどういったものなのか、ということを見てきました。
結論としては、
- 子どもも大人も、二極化を伴う読書離れが進行している
というものでした。
「二極化を伴う」というところがポイントで、読む人は読んでいるわけです。
私は読書効果そのものが「読書を続ける決定的な理由」にはなり得ないと思っています。やはり、読書は楽しみや知的好奇心から行われ、継続されていくものでしょう。
しかし読書の効果を科学的に明らかにし、その知識が学校や家庭まで普及することは、大人が「子どもが読書に時間を使う」ことを受容しやすくします。結果、子どもたちが読書に触れる機会を増やすことにつながると考えています。
そんな中から、他メディアと比較した上で「ゆったりとした静謐な読書」を選ぶ子どもが少しでも多くなれば、同じ読書好きとしてはうれしいものです。
『科学的根拠(エビデンス)が教える 子どもの「すごい読書」』は、そういった気持ちで書いた本です。ぜひ多くの保護者の方に読んでいただき、お子さんとの読書活動を充実したものにしてほしいと思います。
・ トーハン. (2025). 「朝の読書」全国都道府県別実施校数.
本が好きな子にも、ちょっと苦手な子にも。本を読めば、将来、直面する「壁」や「迷い」を乗り越えやすくなる。本の効果は、「頭がよくなる」だけではありません。探究心・知的好奇心・思いやり・友達や周囲の大人とのコミュニケーション力…読書の効果を無理なくいいとこ取りするための、科学的根拠が教える読書法!!
猪原敬介著/日経BP/1980円(税込み)

