昨今のビジネスシーンにおいて、「アート思考」「デザイン経営」といった考え方が注目されている。論理(ロジック)で語られることが多いビジネスの領域ではあるが、「新しい価値を生み出す」ことが求められる中、論理を超えたセンスが不可欠ではないか──。経営者であり、東京2020オリンピック・パラリンピックでは表彰式のクリエーティブを担当、新刊『 余白思考 アートとデザインのプロがビジネスで大事にしている「ロジカル」を超える技術 』(日経BP)の著者である山崎晴太郎氏と、日本テレビ報道局プロデューサーである高橋雅昭氏が、「余白」について語った。後編は「余白と空白の根本的な違いと、想定外の楽しみ方」について。

(前編から読む)

「余白」は空白(ブランク)ではない 空白が余白に化ける条件とは

山崎晴太郎(以下、山崎):突然ですけど、西洋圏には「余白」という概念がないんです。

高橋雅昭氏(以下、高橋):えっ、そうなの?

山崎:白い部分は、ただの「白紙」になっちゃうんです。「ブランクスペース」とか「ネガティブスペース」と呼ばれます。どちらの表現にしても、埋めるべきなのにまだ書かれていない場所というようなニュアンスですよね。

 だからこそ、僕は自分でアート作品をつくるときには、余白をテーマにすることが多いんです。東洋的な余白──我々はそこに何かしらの意味を持っているんだということを伝えたくて。

高橋:余白と白紙の差って、分かってしまうと明らかなんだけど、どう説明したらいいんでしょうね。

 人でも、いますよね。全部が白紙、つまり、空っぽな人。そういう人は、上から降ってきた言葉ですべてを埋めてしまう。これって、悪い余白の使い方ですよね。

山崎:軸がなければ、ただの虚無になってしまう。 前編 のテレビ番組の話でも、番組が余白ばっかりだと退屈ですよね。その辺の飲み屋での会話みたいになって。

高橋:飲み屋の会話はあくまで、自分の余白に心地いい情報を入れているという感覚ですよね。後から刺激になっていることも結構ありますが、やっぱり余白メインで。

 そういう意味では「真ん中」、ニュース番組でいえばニュースの部分がまずあってこそだと思います。セイタロウさんはこれを「コア」と名付けていますね。

高橋雅昭(たかはし まさあき)/日本テレビ放送網 報道局「news every.」チーフプロデューサー。「真相報道 バンキシャ!」「ズームイン!!SUPER」「スッキリ」「スポーツうるぐす」など、報道・情報・スポーツ番組を担当。「news zero」では総合演出を務めた。
高橋雅昭(たかはし まさあき)/日本テレビ放送網 報道局「news every.」チーフプロデューサー。「真相報道 バンキシャ!」「ズームイン!!SUPER」「スッキリ」「スポーツうるぐす」など、報道・情報・スポーツ番組を担当。「news zero」では総合演出を務めた。
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山崎:はい。自身の中にある大切な核の部分、ここが「コア」で、そのコアと外の世界の間にある自由なスペースが「余白」だというイメージです。だから、コアがないと余白もない。

高橋:ブランクが余白になるのは、コアの存在があってこそなんですね。

山崎:コアがあるから余白が生まれる。コアが重要なのは間違いありません。

一流クリエーターほど余白を大事にする理由

山崎:ただ、偶発的にいいものができるときって、必ずそれは余白の中からなんですよ。偶発性は余白の中にしかない、という感じでしょうか。

高橋:というと?

山崎:余白がなければ、僕が何かを決めたら、全部がその通りに出来上がります。決めた通りのものはできるんだけど、それを超えることは絶対にない。

 僕は昔は、それがいいと思っていたんです。「俺、天才」って思ってましたから(笑)。だけど最近はその考えはすっかり変わりました。外的な何かを取り込んで起こる偶発性を常に求めています。

「外的な何かがもたらす偶発性がいい作品の条件」と語る山崎氏
「外的な何かがもたらす偶発性がいい作品の条件」と語る山崎氏
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高橋:つまり、セイタロウさんの中で、余白が広がっているということですか。

山崎:絶対にそっちのほうが良くなる、あと、面白くもなることが分かったからでしょうね。

高橋:僕もディレクターをやっていた頃は、一から十まで自分で決めないと気が済まなかったんです。だけど、経験を積むにしたがって、仲間を信用するようになる。そうすると、相手の言葉が入ってくるようになる。出演者だけでなく、カメラマンや音声さんなど、関わる人たちのいろんなアイデアが自分の武器になることが分かってきたんです。

山崎:やっぱり。僕はアートやデザインの世界で、高橋さんはテレビの世界で、同じ体験をしていたんですね。

 僕たちはこの、余白が広がっていく感覚について「分かる、分かる」って共感していますが、これって、年齢を重ねたおかげですかね。

高橋:年齢というより経験かな。自分が考えもしなかったことで面白いことがある。「その手があったか」「そっちだったか~」っていう体験って、中毒性がありますよね。

まずは自分の「旗」を立てること

高橋:年齢が関係しているのは、余白じゃなくて、コアのほうじゃないでしょうか。人がコアを持つのは、「とがって」いる、若いときだったりしますよね。

山崎:余白も何もない、むき出しのコア。若者の特権という感じがします。

高橋:コアがあるから、他に何もなくても無我夢中で突っ走ることができる。で、そのうちだんだんチームで動くようになると、その周りに余白がないと自分もつらいし、相手はもっとつらいということに気づいて、余白を広げていく。

山崎:とがっていた時期があるから、自分の「旗」が立ち、軸ができる。旗があるからこそ、その周りに余白が生まれるんですよね。旗、つまり中心がないと、ただの真っ白状態で、余白ではない。そう思うと、すごくとんがっていた時期も必要だったっていうことでしょうね。

高橋:そう思います。『余白思考』の中に出てきた梶井基次郎の「檸檬(れもん)」、実は僕もめちゃめちゃ好きなんです。学生の頃は、書き出しの部分を暗記するくらい繰り返し読みました。
“えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)えつけていた※”――ちょうど、自分の中にコアが生まれつつある頃でしたね。

※「檸檬」(梶井基次郎、青空文庫、 https://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/424_19826.html 、2024年1月4日参照)

山崎:「誰も、俺に触るな!」みたいな頃ですよね。

高橋:そうそう。人のやっていることなんて、いいとはまったく思えない。自分の内へ内へと入っていって、そこに絶対軸をつくろうともがき苦しむ。

山崎:小説の中で「私」は檸檬を爆弾に見立てて、とある場所を「粉葉(こっぱ)みじん」にすることを想像して面白がる。

高橋:セイタロウさんも、そういう時期を経て、空白を余白に育ててきているわけですね。

山崎:今でも、「檸檬」の考え方ができれば、余白を無限に育てていけると思っています。

余白は相手への敬意の裏返し

高橋:ところで、中には余白を理解せず、余白を隙間かのように捉えて、埋めていくような人、いますよね。こちらが距離を取ろうとしても、ぐいぐい踏み込んでくるような人。

山崎:います、います。こちらが余白をつくろうとしているのに、コアにガンガン触れてくる人ですよね。

 独立したばかりの15年くらい前は、まだデザイナーなんて業者扱いされることも多くて。名前で呼ばないで「外注さん」なんて言ってくるところは、ことごとく仕事をお断りしてきました。そういうのって、僕のコアにすごく触れる行為で、イヤだったんです。
 仕事上の人間関係だけではなくて、家族との関係だってうまくいっていないのは余白がないケースが多いような気もしますよね。余白が足りない親子は「あなたのことは全部、分かっているわ」っていう関係になりがちで、それってちょっと苦しかったりしますから。

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高橋:コミュニケーションの余白にも、やっぱりお互いを尊重しようという気持ちがないとダメですね。尊重しているから、不用意に踏み込まない。適度な距離感を持てる。そこに余白が生まれて、そうすると相手の話も聞ける。
 相手の発言に驚いたり感動したりして、そこに価値を感じられるようになると、また尊重の気持ちが生まれる。それが相手を「リスペクトする」ってことかもしれません。

 テレビ制作とかデザインとかのクリエーティブな世界に限らず、余白の考え方が広まっていくといいですね。

(構成/白鳥美子、写真/尾関祐治)

「余白=埋めるもの・まだ何も書かれていないスペース」だと思っていませんか? その発想をやめ、「いかに“いい余白”をつくるか」に考え方を変えるだけで、物事の捉え方・見え方が変わり、思考の幅が広がります。「KPIやPDCAでガチガチなのに業績はいまいち」「いつも資料作成や会議でただただ忙しい」「予算や計画に縛られて自由がない」「数字・データ一辺倒で、人の心を軽視している」…そんなビジネスの行き詰まりを突破する、新しい思考法の提案です。

山崎晴太郎著/日経BP/1760円(税込み)